蓮華遊子 – 06

「よく来たヴァヴァロ いらっしゃい。でもでも ごめんね 修理はまだよ。作業は進めているけれど 今日仕上げるのは ちょっと無理」
「そっかぁ、残念」
 一夜明け、雨上がりとともにイディルシャイアに帰還したヴァヴァロは、バドマを伴い稼働し始めたばかりの大工房まで足を運んでいた。
 できれば次の戦いには機工士として参戦したかったのだけれど。なんて間の悪い時期に壊してしまったのだろうと、ヴァヴァロは肩を落とした。
「でもでもあまり 落ち込むな。実は改良 加えてる。修理が終われば  おまけに強化。イカした品に 仕上げてみせる」
「ありがとう、期待して待ってるね」
 懇意にしている修理屋の言葉に、ヴァヴァロはぱっと顔を輝かせた。

 

「はー、やっと帰ってきたって感じがする」
 大工房を一歩出ると、眼下には広場を行き交う人々が作る賑やかな光景が広がっていた。
「まるで故郷に帰ってきたような口ぶりじゃな」
 うんと伸びをしながら言ったヴァヴァロにバドマは目を細めた。ヴァヴァロは照れ臭そうに頬をかく。
「イディルシャイアを活動拠点にして結構長いですしね。初めてここに来た時は本当に瓦礫ばっかりだったから、こうやって賑やかになった光景を見ると、なんだか自分のことみたいに嬉しくて」
「街に愛着があるのじゃな。此度の討伐に率先して当たるのも、その想いゆえか?」
「それは……。あんまり深く考えてたわけじゃないけど、そう言われてみればそうかな……?」
 バドマに問われ、ヴァヴァロはきょとんとしてしまう。
「考えていなかったのか?」
 呆れたように言われ、ヴァヴァロはううん、と首を傾げた。
「ええと、イディルシャイアが好きだからっていうのはもちろんあるんですけど、冒険者として強敵に挑戦したい気持ちもやっぱりあるし、そもそもクランに参加してるから仕事の一環だし、討伐すれば報酬ももらえるから」
 うんうんと唸りながら理由を捻り出そうとするヴァヴァロにバドマは苦笑した。
「理由は常にひとつとは限らぬからな。街への思い入れが強いようには感じたが」
「それはもちろん──」
 ヴァヴァロは視線を広場に戻した。人も獣人も関係なく、そこを行く人々が織り成す光景は実に雑多でまとまりがない。
 ヴァヴァロが初めてこの街に足を踏み入れた時、そこには多くのゴブリン族と少しの人、そして山積する瓦礫しかなかった。都市と称するにはほど遠く、隊商が廃都で腰を休めるついでに荷をほどき、小さな市を開いている──いっそそんな印象さえ抱いたものだ。今でこそ歩道の整備や家屋の再建も進み、都市らしい風貌を見せるようになったが、それらは全てごく最近のことなのだ。
 ヴァヴァロは当時を思い返しながら大工房を振り返る。すっかりイディルシャイアの街並みに馴染んでいるこの大工房も、まだ稼働を始めて間もない。ヴァヴァロがイディルシャイアに辿り着いた当初には、まだ骨組みすらできていなかった。街の北部に広がる畑にしてもそうだ。集まった人々で瓦礫を退け、岩を退け、土を耕し、水路を引きながら畑を広げてきた。
 そうして少しずつ、少しずつ廃墟が都市へと成長してきたのだ。それはこの街で汗水をたらし、知恵を絞ってきた人々全ての努力の結晶だ。
 無論、良い出来事ばかりではない。時に意見が食い違い、人々の間で衝突が起こることもあった。イディルシャイアの噂を聞きつけてやってきた人間が自由の意味を履き違え問題を起こすことも少なくない。
 それでも、とヴァヴァロは思う。
 衝突と和解を繰り返しながら、それでもこの街は、ゴブリン族と人間が互いに手を取り合い、自由な都市を作るという実直な熱意でここまで発展してきたのだ。
 ヴァヴァロがイディルシャイアを訪れたのは、光の戦士として新たな戦いに身を投じた仲間を追ってきたからだ。戦勝祝賀会から一向に戻らない仲間を案じていたところに転がり込んできた”暁の血盟および光の戦士指名手配”の報せ。リンクパールに応答はなく、仲間は忽然と姿を消してしまった。オルシュファン卿が密かに使いの者を差し向けてくれなければ、光の戦士を知る人々は──ヴァヴァロたちはいまだ混乱と悲嘆のどん底にいただろう。
 ヴァヴァロたちが仲間の元に辿り着いた頃には既に汚名は雪がれていたが、それでもヴァヴァロの胸に巣食った他者に対する不信感はなかなか消えなかったものだ。長く共に過ごした仲間以外は全て裏切り者に思えてならなかった。そう、あの頃は酷く心が荒んでいた。──光の戦士として過酷な戦いに身を投じる仲間がなぜ、どうして濡れ衣を着せられなければならないのかと。悔しい、悔しい、悔しい──と。
 だからこそ、ヴァヴァロの胸に強く響いたのだ。生まれも経歴も、それどころか種族すらも違う人々が、手に手を取り合って新たな都市を作ろうとしている姿が。
 それだけではない。彼らはただ安直な楽観主義に頼って互いに手を携えてきたわけではない。互いの信頼関係を崩さず裏切らず、良好な関係を築き、維持することに傾注してきたからこそ、ここまでやってこられたのだ。ヴァヴァロはそれを知っている。この街で過ごしながら、ずっとその姿を見てきたのだから。
 ──皆でひとつの目標に向かって邁進する。
 鬱々とした思いに心を塞がれ、忘れそうになっていた気持ちを思い出させてくれたのは、この街とそこで暮らす人々の在りようにほかならない。そして今は、この街の発展に自分なりの方法で寄与できることが、とても誇らしいのだ。
「そう──そうだな。あたしにとってイディルシャイアは、ちょっと特別ですから」
 ヴァヴァロたちが植物園から獲得してきた種は園芸師たちの手に委ねられ、じきに実を結ぶだろう。長らく募っていた大工房の研究員も手応え充分らしく、まもなく募集を締め切ると聞いた。完成したばかりの公園は、親の帰りや仕事が終わるのを待つ子どもたちの絶好の遊び場だ。
 道を整え、伸ばし、建物を修繕して、さらに増やした。シャーレアン様式とゴブリン族の様式が組み合わさった光景は珍妙なようで、そのくせ妙に調和しているとヴァヴァロは思う。
「そうか。──良い顔じゃ」
 ひとりでに顔を綻ばせていたヴァヴァロの横顔を見て、バドマも柔らかな笑みをこぼした。バドマの視線に気づき、ヴァヴァロははにかむ。
 今は朝の陽射しに照らされ白く明るいこの街も、夕暮れ時になれば茜色に染まるだろう。街が夕陽に照らされるごく僅かなその時間は、ヴァヴァロの好きな、この街の瞬間だ。
「もし皆が遠くに旅立つことになったら、その時はあたしもきっと着いて行くだろうけど、それまではこの街の一員でいたいんです」

 

 定宿へ戻る道すがら、ヴァヴァロはよく見知った人物を見つけ、顔いっぱいに喜色を浮かべた。
「──エミリアさん!」
 駆け寄ってきた人物を見て、呼ばれた当人も破顔した。抱きつく勢いのヴァヴァロを優しく抱きとめる。
「ヴァヴァロちゃん! よかった、合流できて」
「来てくれたんだ! ……大丈夫? 疲れてない? 無理はしてないよね?」
 ──なにしろ過酷な身の上なのだ。合間を縫って顔を出してくれることは嬉しいが、同時に彼女の負担を思うと心配になる。彼女がイシュガルドに落ち延びて以来、以前ほど共に行動することがなくなってしまったから──エミリアがそれを望まなかった──、ヴァヴァロはなおのこと心配だった。暁の仲間がいるから大丈夫だとエミリアは言うけれど、今も顔色は優れないように見えた。
「うん、大丈夫。みんなはもう来てるのかな」
 しゃがんで目線を同じくしてくれるエミリアの問いに、ヴァヴァロは首を傾げた。
「ファロロさんとノギヤさんは日が暮れるまでには合流できるって。ミックも間に合えば来てくれるって言ってるけど、通信でも反応がないから立て込んでるのかも。イェンさんは……相変わらず行方不明かな。あの、おじいちゃんは?」
「アンリオーさんは家に戻ったよ。今回はさすがに疲れたから、老骨は引っ込んでおります、だって」
「そっか……」
 では、何はともあれ祖父も無事なのだ。
 光の戦士として時に孤独に戦うエミリアを、超える力に覚醒した祖父アンリオーは可能な限り支えようとしていた。しかしいくら異能の力を持つとはいえ、祖父ももう無理のできる齢ではない。エミリアと祖父が次の戦いへと赴く度、ヴァヴァロは──仲間たちは──ともに戦えないことがもどかしくて堪らなくなる。異能の力を持たないただの冒険者でしかない身の上が憎らしくなるのはこういう時だ。
 とにかく無事でよかった、とヴァヴァロはエミリアを抱きしめた。慈しむように抱きしめ返してくれる腕が暖かく、ヴァヴァロは安堵する。
 穏やかで情に厚く、それでいて凜としたこの光の戦士のことが──エミリアのことが、ヴァヴァロは大好きだった。
「あ、紹介するね。こちらバドマさん。今回の捜索に協力してくれてるんだ」
 エミリアとバドマを引き合わせ、二人を宿まで案内した後、ヴァヴァロとアルテュールは先行して街に集った自警団やモブハンターの面々と情報を交換し合った。より詳細な作戦会議は主要な面々がイディルシャイアに揃ってから、それまでは我々が交代で街の内外を警戒するからと言われ、二人はありがたくその提案を受け入れた。
 なにしろここしばらく、ペイルライダーを追っていたのはヴァヴァロとアルテュール二人だけだったのだ。ようやく所在を掴み、今すぐにでも出撃したい思いはあるが、体力気力ともに消耗しているのは確かだ。激しい戦いになるであろうことを思うと、ここで焦れても仕方がない。後の作戦会議まで解散となり、集った面々は代わる代わる二人に労いの言葉をかけながら馴染みの酒場を出て行った。

 

「テンメイさーん。なにしてるんですか?」
 しばしの休息時間を手に入れたヴァヴァロは、公園の片隅に集う子どもたちの輪の中に思いがけない人物の姿を見つた。
 テンメイは顔を上げ、ヴァヴァロの姿を認めると目を細めた。
「子どもたちに凧を」
 石畳の上には、街のあちこちから集めてきたのか、紙や布、糸や木材などの廃材が広げられていた。
 テンメイの周囲に集った子どもたちは、彼の凧づくりを熱心に見守っている。子どもたちに囲まれながらその上背のある背を丸めて手仕事をするテンメイの姿は、なにやら微笑ましい。
「ヴァヴァロねーちゃん、見て! これ作ってもらったんだ!」
 ヴァヴァロもその輪に加わって座ると、一人の少年が嬉しそうに出来立ての凧を掲げてみせた。簡素な作りの凧だったが、少年は目を輝かせて喜んでいる。
「あたしのも作ってもらってるの」
「その次は僕のだよ!」
「わあ、いいなぁ!」
 思わず羨望の声を上げたヴァヴァロに、テンメイは首を傾げる。
「……君の分も作ろうか?」
 ヴァヴァロは慌てて背筋を伸ばした。
「あ、あたしは大人だから、子どもたちに作ってあげてください。凧って、そんな簡単に作れるんですか?」
「一度覚えれば、自分たちでも簡単に作れるようになる。……そこの君も、おいで」
 テンメイの視線の先に桃色の衣を身に纏ったミコッテ族の少女を見つけ、ヴァヴァロも立ち上がって手を振った。
「ケビちゃん、おいでよ!」
「う、うん」
 輪に加わるでもなく、それでも遠巻きに凧づくりの様子を眺めていた少女──名をチャ・ケビと言う──は、おずおずとやってくると、遠慮がちにヴァヴァロのそばに座った。
 テンメイは新たに完成した凧を、お行儀よく順番を待っていた少女に微笑んで渡す。
「これは無地だが、好きな布や紙で凧を作るのも、自分で模様を描いた凧を作るのも楽しいだろう。慣れてきたら挑戦してごらん」
「あ! 俺、ひんがしの文字を書いたやつ作ってみてぇ! ニンジャとかサムライとか書いたやつ!」
「あたし知ってる。侍ってハラキリ! セップク! ってやつでしょ」
「たいていは縁起の良い文字を書くものだが……そうだな……」
 誇大に言い伝わった自国文化に苦笑しながらも、テンメイは廃材の中から拾い上げた紙のひとつに手持ちの筆で”忍”と書き記した。
「おぉー……」
 見慣れぬひんがしの文字は妙に威風を放って見えて、ヴァヴァロも子どもたちと一緒に知らず知らず感嘆の声を漏らしていた。
「あっ! テンメイさん、あたしの名前の書き方、教えてください。ひんがしの文字で!」
 凧に記された文字を見て、ヴァヴァロは閃いたように腰に提げた鞄から愛用の手帳を取り出した。
 テンメイは手帳を受け取ると、思案するようにしばし口を噤み、少し困ったようにヴァヴァロを見返した。
「ヴァヴァロ? ババロ?」
「ヴァ、です。ヴァ」
 テンメイが何を問いたいか察し、ヴァヴァロは意識して明瞭な発音をしてみせる。
 異邦人との交流では間々あることだ。共通語で概ね問題なく意思疎通を図れるが、時に音が正確に伝わらないこともある。地理的に密接なエオルゼア諸国でさえ国や地方によって訛りがあるのだから、遥か東方からの来訪者であるテンメイには耳慣れない音もあるだろう。
 表情の乏しいテンメイの顔になおさら困惑の色が浮かんだので、もしかしたらヴァヴァロの名をひんがしの文字に当てはめるのが難しいのかもしれない。少しハラハラしながら成り行きを見守っていると、テンメイは二種類の名前を手帳に書き記した。
「少しむりやりになるが、これでどうだろうか」
「か……かっこいい……」
 手帳を受け取り、ひんがしの文字で記された自分の名にヴァヴァロは目を輝かせた。
 二種類のうち、片方には”ババロ”と。もう片方は、既存の文字にむりやり濁音をつけて”ヴァヴァロ”と記してあるのだと教えてもらい、ヴァヴァロはほくほく顔で備忘録をつけた。
「ヴァヴァロねーちゃんずりー! 俺にも書いて!」
「あたしにも!」
 ヴァヴァロの手帳を覗き込み、子どもたちは一斉に声をあげた。弾けんばかりの笑顔で詰め寄られ、テンメイは苦笑して子どもたちをなだめる。
 順番を待つ子に凧を作り、希望があればひんがしの文字を記し、あるいは教え──やはり口数は少なく表情には乏しかったが、子どもたちに教えるテンメイは柔和な雰囲気を纏っていた。
 その様子を眺めながら、ヴァヴァロは昨日から張り詰めていたものがゆるゆると溶けていくのを感じる。なんの変哲もない和やかなやり取りが妙に愛しくて、ひとりでに笑みが漏れた。団欒しながら思い思いに遊ぶ子どもたちを眺めていると、帰郷したのだという実感がいっそう強まった。輪に加わる前は元気のない顔をしていたチャ・ケビもまた笑みを見せていて、ヴァヴァロはことさらにほっとする。
「そういえばヴァヴァロねーちゃん、アルテュールにーちゃんはー?」
「んー、さっきまで一緒だったんだけど、どっか行っちゃった」
 すっかり肩の力が抜け、童心にかえって子どもたちと──実際には彼らと大差ない年齢なのだが──廃材で遊び始めたヴァヴァロは、少年の問いに唇を尖らせた。
「またナンパかなー」
「どうせ振られるのに、にーちゃんも懲りねーなー」
「ねー」
 道行く美女を性懲りもなく口説いては一蹴されるアルテュールの姿は、子どもたちの間でもすっかりお馴染みの光景だった。
 美女とは口説くもの、美女を目の前に口説かないなどという無礼なことはできない、とはアルテュールの言であるが、それならせめて隣で聞いていても恥ずかしくない口説き文句にしてほしいものである。彼と行動を共にするようになって長いが、ナンパに成功したところを一度も見たことがないヴァヴァロである。もっとも、本気で口説き落とす気があるのかは疑問だが。
「あたし、アルテュールさんのおうた聞きたいな」
「俺は光の戦士のおはなし聞きてぇ!」
 道行く美女には──本人にとって非常に気の毒なことに──さっぱり相手にされないアルテュールだが、子どもたちには人気者だった。旅先で仕入れた情報や出来事を歌に乗せて聞かせたり、手持ち無沙汰の時には勉強を教えてやることもあるからだ。特に昨今、なにかとエオルゼアの人々を賑わす光の戦士の冒険譚は子どもたちに大人気だった。
 光の戦士の活躍を面白おかしく脚色しつつも功績をしっかり歌い伝えるあたりは、さすが吟遊詩人と言ったところだろうか。居ても居なくても人々を賑わす相棒である。
「そういえば、バドマさんの名前はゼラの言葉で蓮の華って意味なんですよね。二人の名前はなんて書くんですか?」
 子どもたちが盛り上がる横で、ヴァヴァロはテンメイに再び教えを請う。テンメイは頷いて手帳を受け取ると、夫婦の名前をそれぞれ記してくれる。
「そうだ、バドマさんに簪を見せてもらったんですよ。テンメイさんに貰ったっていう」
 テンメイの記してくれた箇所に再び備忘録をつけながら、ヴァヴァロは昨夜の出来事を思い出していた。
「……バドマが?」
「はい! 自分にはこんなのいらないのにーなんて言ってたけど、すごーく大切そうにしてましたよ、バドマさん」
 書き終えて手帳から顔を上げると、テンメイは驚いたように目を丸くしていた。目が合うと逸らされてしまい、ヴァヴァロはきょとんとする。なにか変なことを言ったかしらと首を傾げたが、テンメイの頬がわずかに赤く染まっていることに気がついた。言葉に詰まったまま手仕事を再開したテンメイの顔を覗き込む。
「……もしかして、照れてるんですか?」
「ほんとだ、にーちゃん顔赤くなってらー」
 少年に指摘され、テンメイは咳払いをして周囲に散らばった廃材を片付け始めた。
「……そろそろ、食事の支度を……」
「あー、逃げたー!」
「また遊んでねー!」
 ぎこちなく立ち上がったテンメイの背に子どもたちの無邪気な言葉が突き刺さり、ヴァヴァロはつい苦笑してしまうのだった。

 


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