蓮華遊子 – 05

 先を急ぐヴァヴァロたちの行く手を阻むように雨雲が空を覆い始めた。
 各々が持ち合わせの雨着で風雨に備えてしばし、街に着くまで保ってくれという願いも虚しく、ぽつり、ぽつりと雨粒が地面を濡らし始める。
「うわ、降ってきた」
「街までまだあんのに、勘弁してくれよな。飛んどくか?」
 この地域の雨は、一度降り始めると横殴りの雨になることが多かった。ぽつぽつと降ったのは最初の数滴。すぐにサァッと音を立てて降り始めた。
「う、あんまりお金ない……」
 転送魔法を使えば文字通り一息で街まで飛べるが、利用には決して安くない料金を支払うことになる。エーテライトの保守整備のために必要な費用らしいが、街を目前にして払うには、少しばかり額が大きい。
「しゃーねえ、雨宿りしてくか」
「そうしよっか」
 顔を見合わせたバドマとテンメイを振り返り、ヴァヴァロは廃屋の一つを示してみせた。
 早急に街に戻り、再捜索の準備に取り掛かりたいところだが、仲間と合流するまで迂闊に動けない以上は、冷たい雨の中を強行軍で戻る必要性も低い。
 ヴァヴァロは手近な廃屋のひとつに駆け寄った。
「ごめんくださーい……」
 外からよく聞き耳を立て、建て付けが悪くなった扉をなんとかこじ開けながら、そっと中を覗き込んだ。
「よかった、誰もいない」
 急な雨に降られた時は、風雨を凌げる程度に原型を保つ廃屋を雨宿りに使わせてもらっていた。
 もう十何年も前に捨てられた街だ。今さら家主がいるはずもないが──いるとしたら盗賊の類だ──、それでもかつて誰かが暮らした家に足を踏み込むのは、少しばかり気が引ける。結局、利用させてもらうことに違いはないのだが、一言声をかけてから入らずにはいられない。
 屋内の安全を確認すると、ヴァヴァロは三人を中に招いた。屋内の家具は大部分が破損し、いかにも寂しい雰囲気ではあったが、風雨を凌ぐには充分そうだった。
「立派なものじゃ……」
 人の手が入らないせいで、屋内の壁も所々苔むしていた。それでも立派な趣のする壁を、バドマは悼むように撫でた。
「バドマさん、あたしたちはこっちの部屋で休みませんか」
 奥に部屋を見つけ、ヴァヴァロはバドマを手招きした。家具も少なく殺風景な部屋だったが、窓に入ったガラスは割れておらず、特に物が散乱しているわけでもない。旅慣れた女性二人が休むには充分は場所だった。
「ぷは、冷たかった」
 雨衣を羽織ってもいても冷気は足元から忍び寄ってくる。濡れてしまった靴を脱ぎ捨て、雨衣では防ぎきれなかった雨で冷えた上着も脱いでしまうと、適当な場所にぽいっと投げて引っ掛ける。
「ずいぶんと強い雨じゃな。早々に止むとよいのじゃが」
 冷えた衣類を脱ぎ、ようやく落ち着いたヴァヴァロはバドマの言葉に振り返り、そして咄嗟に体を強張らせた。すっかり衣類を脱いでいた──極めて裸に近い──バドマは、荷物から予備の衣類を取り出しながら、窓の外をしんみりと眺めていた。
 同じ女性なのに、ヴァヴァロはバドマの裸体にすっかりどぎまぎしてしまっていた。褐色の肌に、わずかな明かりを受けて陰影をつける黒い鱗。無駄のない引き締まった体に金とも銀ともつかぬ不思議な色の髪が垂れ、妙に艶美だった。
「なんじゃ? そんなに見つめられるとこそばゆいぞ」
 ようやく視線に気がついたバドマは、黄昏時の色をした紅紫の瞳をヴァヴァロに向けた。
「あ、ご、ごめんなさい。綺麗だなと思って……」
 もじもじするヴァヴァロの言葉に目を丸くし、バドマはすぐに破顔する。
「素直な娘じゃな。面と向かって言われると、さすがの妾も照れくさいわ」
 あまり照れているようには聞こえないのだけど、と思いつつ、ヴァヴァロはちらちらとバドマを見てしまう。
 ヒューラン族にしろエレゼン族にしろ、ルガディン族にしろミコッテ族にしろ、体格や体の部位に各々特徴はあっても、そこまで目立った差があるわけではない。むしろエオルゼアで馴染み深い種族のなかでは、ララフェル族だけがとびきり小さく、他の種族との差が際立つ。アウラ族も──エオルゼアではまだ馴染みの薄い種族ではあるが──ほかの種族と極端に異なっているわけではないはずなのに、つい目を惹かれてしまう。耳の代わりを務める器官だという角に、鱗に覆われた尻尾。首や背、腕や足をまるで装飾品のように覆う鱗は、ヴァヴァロの瞳にとても神秘的に映った。
 バドマが着替え終え、その肌がすっかり隠れると、ヴァヴァロはほっとしてしまうのだった。

 

 ひと息つき、雨が上がらないまま夜を迎えた一行は、そのまま廃屋で夜を越すことになった。
 ようやく掴んだ手かがりを前に焦れる気持ちを宥め、街への帰着が明日になる旨を各所に連絡する。捜索を切り上げた段で連絡を受けていたモブハンターや自警団の一部は、徐々にイディルシャイアに集結しているようだった。とはいえ、この雨では街に着いた者も大した動きは取れないから、街周辺の警戒はこちらに任せ、そちらは体を休めるよう提案され、ヴァヴァロたちはありがたく従うことにする。テンメイと交代で番をするから、というアルテュールの申し出もまたありがたく受け入れ──バドマは渋ったが──、ヴァヴァロとバドマは早々に部屋に下げると、野営用の寝具を床に広げて横になった。
「こちらの雨はずいぶんと長く続くのじゃな」
 並んで横になったバドマは、今も窓のガラスを叩き続ける雨音に聞き入っている様子だった。
「珍しいですか?」 
 既にうとうとし始めていたヴァヴァロは目をこすりながら尋ねた。
「妾の生れ育った大地は乾いた土地柄だったのじゃ。降らぬわけではないが、こうも長く強く、幾度も降るようなことはなかったかの」
「ザナラーンに似てるのかな……」
 ヴァヴァロは首を傾げた。
「砂の都一帯の土地じゃな。確かに近いものはあるが、ザナラーンよりは緑が多いかの」
「へぇ……。でも、雨は少ないんですよね?」
「そうじゃ。雨が降るのは夏のごく短い間だけ。その雨を待ちわびたように草原はいっせいに緑になる。見渡す限り緑の海原は実に清々しいぞ。こうして旅に出てそれなりの月日が経つが、いまだ大草原を馬で駆ける爽快さは忘れられぬ」
「わあ……」
 バドマが目を細め、懐かしそうに語る。
 馬という生き物をヴァヴァロはほとんど見かけたことがないが──軍馬として各国グランドカンパニーに導入された個体を遠目に見たことがあるだけだった──、クルザス地方に生息するという幻獣ユニコーンによく似ているという。そんな優美な獣に騎乗し、一面が緑の草原を駆けるのは、きっと気持ちが良いだろう。
「んと、遊牧民の暮らしって詳しくないんですけど、家畜を放牧しながら暮らしてるんですよね? ちょっとしか雨が降らないのに、餌は足りるんですか?」
 すっかり眠気が飛んだヴァヴァロは、ころりと転がってバドマのすぐそばに寄る。
「一ヶ所に留まり続ければいずれ羊たちが草を食べ尽くしてしまうが、そうなる前に次の放牧地へと移動するのじゃ。そうしてアジムステップを──大草原を巡りながら暮らす」
「ああ、それで旅をしながら暮らしてるってことなんですね。たくさん家畜を連れながら旅をするのは大変そうだけど……」
「なに、旅と言っても、毎日のように移動するわけではない。羊たちと草原の塩梅をみて、少しずつ、年に幾度か移動しながら暮らすのじゃ」
 なるほど、と納得した様子のヴァヴァロにバドマは微笑んだ。
「季節ごとに大地を巡り、冬は寒さを凌げる山裾に留まり春を待つ。春は生命の誕生を喜び、夏には雨を乞う。秋にかけては冬への備えをし、そして再び冬がくれば、ひたすら春の訪れを待ちわびる……」
「大変そうですね……」
「街の暮らしとはかなり勝手が違うであろうな。実際、暮らしは豊かとは言えぬ。大地の恵みは天候に左右されるから、時に家畜に食わせるため、土地を巡って他の部族と衝突することもある」
「そ、そうなんですか」
 バドマがにやりと笑うので、ヴァヴァロは驚いて目を丸くする。
 大草原がどれほど広大な土地なのか、ヴァヴァロにはさっぱり検討もつかないが、少しでも雨量が足りなければ一族が食い詰めてしまうほど過酷な環境なのだろうか。
「それゆえに、これほど雨が多く水が豊かな土地には驚くな。耕作ができるほど土地が肥えているなら、敢えて大地を巡りながら暮らす必要もあるまいと納得させられる。妾は生まれついての遊牧の民ゆえ、定住には慣れず、今もこうして旅暮らしの身じゃがの」
 バドマは再び窓の外へと視線をやった。いまだ上がらない雨は屋根を、窓を、激しく叩いている。
「バドマさんは、どうして旅に出たんですか?」
 ヴァヴァロも窓の外を眺めやり、しばらくしんみりと雨音に耳を傾けていたが、ふと気になってバドマに尋ねた。
 ヴァヴァロの問いに、ふむ、とバドマは考え込んだ。
「それを聞かれると答えるのが難しいが……。ひとつは、強敵と渡り合い弓の腕を磨くため。もうひとつは、故郷は広大であったが、その先にまだ見ぬ大地が広がっていると知ったから、かの」
「向上心と探究心から、ですか?」
「そうと言えるかもしれぬ。事実、こうして旅をしていると、いかに自分が矮小な存在か思い知らされるな。時折、途方に暮れたくなるわ」
 言って、バドマは口を噤んだ。何事か思い出したように表情を曇らせたので、ヴァヴァロは怪訝に思って首を傾げた。
「それだけですか?」
 聞いてから、出過ぎたかしら、とヴァヴァロは慌てて口を閉じた。
 しばらく黙り込むと、バドマは静かに口を開いた。
「そうじゃな……。傲慢で未熟な己を許せなかったから、というのも大きいな」
「許せないって」
 辛辣な言い様に、ヴァヴァロは目を瞬かせた。
「そう面白い話ではないが。はて……」
 バドマは苦笑を浮かべた。
「妾は己が弓の腕に確固たる自信を持っている。族長には遠く及ばぬが、部族の若い衆のなかでは一、二を争う腕前であったと自負しておる」
「おお……」
「しかしそれを妬む者がいた。同じ頃に生まれた娘たちは、妾の弓の腕が優れていることに不満を抱いていたようでな」
 ヴァヴァロは咄嗟に返す言葉が浮かばなかった。

「それは……」
 バドマは軽くため息をついた。
「ある春のことじゃ。我々の夏営地を荒らす獣がいると分かり、これを若い衆で討って出ることになった」
 ヴァヴァロは黙って相槌を打つ。
「獣の正体は、力をつけ過ぎた狼じゃった。あれでは獣というよりも魔性の……魔物と呼べる存在であったろうな。魔狼、とでも呼ぶべきか。狼でありながら群れもせず、一匹で草原を荒らす魔性の獣へと変貌しておった。夏に家畜に食わせることができなければ、我々は即座に食い詰める。これを討たねば後の被害は明らかじゃ。そこで部族のなかでも若い妾たちは、腕試しも兼ねてこれの討伐に名乗りを上げ、族長もこれを許した。しかし──」
 言葉を切ったバドマの横顔には苦いものが浮かんでいた。
「仲間のなかに、悪いことを考える人がいた……?」

 おずおずと尋ねると、バドマは頷く。
「どうも妾が弓の腕に優れ、族長にも目をかけられ将来は有望、おまけに美しいことを妬む輩が多くいたらしい。彼奴らはこの討伐にかこつけ、妾の評価を貶めようとしたのじゃ」
「は、はあ」
 深刻な表情をすれば良いのか、それとも笑えば良いのか。本気なのか冗談なのか全く分からないバドマの口調に、ヴァヴァロは拍子抜けしてしまう。
 困惑するヴァヴァロに笑ってみせ、バドマはすぐにその笑みを引いた。
 ──バドマたち若い狩人の一団は夜明けとともに出発し、すぐに野を荒らす魔狼の捜索に入った。いずれも狩りに秀でた者たちばかり。獲物を追う勘にも優れており、頭数も揃っているとあって、獲物を発見するのにそう時間はかからなかったという。
 しかし、とバドマは続ける。
「件の魔狼を見つけ、追い立てるまでは良かった。……じゃが、彼奴らはそこで唐突に引き、妾を孤立させた」
「そんな」
 バドマは深いため息をついた。
「各個の狩りの腕は申し分ない。あれを討つのも我々ならばそう難しくはなかったであろう。しかし彼奴らは妾を孤立させ、ぴぃぴぃと泣きっ面を下げて戻ってきたところを笑い者にする魂胆だったようでな。どうやら日頃から妬みを買っていたようじゃから、妾の情けない姿を見て溜飲を下げるつもりだったようじゃ」
 確かに、バドマは敵を作りやすい種の人間かもしれない。口が裂けても本人には言えないが、ヴァヴァロは密かにそう思ってしまう。
 気位が高い口調、憚りなく己の腕を自慢する様を、驕り高ぶっていると感じる者もいるだろう。ヴァヴァロにしてみれば、自信に溢れた言動も優れた弓の腕前も、憧れが募るばかりだけれど。
 バドマはゆるく首を振った。
「弓の腕で叶わぬのならば、鍛錬を積み妾を越えればよいだけのこと。族長に目をかけられるのが妬ましければ、実直に日々働けばよい。美しさは……父母から授かったものゆえどうしようもないが」
「はあ……」
 やはり深刻なのかそうでないのか。困惑するヴァヴァロにバドマはニッと笑ってみせた。
「それで、その魔狼は……?」
 ヴァヴァロの問いに、バドマは目を伏せる。
「ふむ、そうじゃな。どうも仲間に嵌められたらしい、ということはすぐに分かった。──しかし妾にも意地があった」
「引かなかったんですか?」
「そうじゃ。仲間の目論見に気づいた妾は、ならば彼奴らの鼻を明かしてやろうと、愚かにも単騎で獲物を深追いした」
 ヴァヴァロは黙って頷いた。バドマは懐かしむように視線を宙にやる。
 ──魔性を帯びた狼は、その力も疾さも並みの獣を遥かに上回っていたと言う。恐ろしく獰猛で、そして知性を感じさせた、と。己を狩ろうとする人間を恐れもせず、翻弄するように大草原を疾走する魔狼に、弓矢は悉く躱された、とバドマは語る。
 遊ばれるように大草原を駆けるうち、本営からはあまりにも遠く離れてしまったことをバドマは頭の片隅で自覚していたが、引き返すことはできなかった。バドマの意地がその選択を拒んだ。
 ようやく攻勢に転ずる機を見出せたのは、馬の足に食らいつこうと急接近してきた魔狼に、馬上から刀剣の一撃を叩きつけられたからだと言う。
 わずかに失速した魔狼はしかし、相対した獲物の攻撃に怯える様子も見せず、むしろ笑っているようだった。
「笑った? 狼が……ですか?」
「妾の目にはそのように映ったな。狩るか狩られるかの力比べを心底、愉しんでいるように見えた」
 ──この孤独な獣がいかにして魔狼へと変貌を遂げたかバドマは知らない。
 草原を並走するうち、群れをなす生き物でありながら孤高を貫く魔狼を、バドマは美しいと感じるようになっていた。魔狼に奇妙な友情さえ感じたと言う。
 お前もか、と魔狼は笑っているようだった。バドマもまた、知らず識らずのうちに笑みを浮かべていた。高揚を抑えきれない獣の笑みを。
 この闘争を永久に続けたい心地さえした。──だが、決着をつけねばならない。狩らなければ、バドマ一人の命では済まなくなる。そして何よりも、他の誰にもこの獲物を横取りされたくなかった。魔狼を討ち取るのは自分でなければ辛抱ならない──。
 敵愾心にのぼせた頭の片隅に残った理性が、バドマを現実に引き戻した。
「愛馬を駆り、がむしゃらに魔狼を追い込み、矢を幾度か打ち込んだ頃には、本営から遠く離れた場所まできておった。あと一撃喰らわせれば魔狼も地に伏せようかという時、奴は最後の反撃をみせた。妾が射るほうがわずかに早かったが、しかし──」
「……しかし?」
 ヴァヴァロは言葉の続きを待つ。
「……最後に、愛馬が身を呈して妾を庇ってくれたところまでは覚えておるのじゃが。その背にしがみつくだけの力が残っていなかった妾は、滑稽にもそのまま崖下に真っ逆さま、というわけじゃ」
 幼い頃より共に育った親友だったと言う。その背にまたがり、大草原を魔狼と一進一退の攻防を繰り広げながら駆けたバドマは、いつしか足を踏み入れたことのない渓谷まで到達していた。
 最後の力を振り絞り、騎手めがけて跳躍した魔狼を避ける余裕はなかった。──これまでか、とその血濡れの牙が迫るのを呆然と待ち受けるしかなかったバドマはしかし、大きく立ち上がった友の背から振り落とされ、大地を掻いて踏みとどまることもできず、転がるようにして暗い渓谷の底へと滑落していった。遠のく意識のなかで、友の声高いいななきを聞きながら。
「よく、無事で」
「ほんにな。我ながらよくもしぶとく生き残ったものじゃ」
 沈痛な面持ちでヴァヴァロに言われ、バドマは微苦笑すると、しばし口を噤む。
「……妾は興奮しておった。かつて相対したことのない強敵と対峙し、渡り合うことが愉しかった。どちらかが命を落とすことでしか決着がつかぬと理解していながら、一向に構わぬと思うほど狩りに熱中しておった。……そして妾は勝った。勝ったが、同時に友を失うことになった」
 バドマは深いため息をこぼした。
 魔狼と対峙した高揚感は、友を失った事実を前に霧散したと言う。
「あの時、意地を張らずに引き返していれば、友を失わずに済んだかもしれぬ。仲間に侮られまいと蛮勇を振るい、妬みに怒り、冷静な判断を欠いた。……狩りに興じて無用な死を招くなど愚の骨頂よ。そんな己の未熟さや傲慢さに嫌気が差し、奇しくも生還した妾は部族を去ったのじゃ」
「そんな……。元はと言えば、置き去りにされたからバドマさん独りで戦わないといけなかったんでしょう? バドマさんが恥じ入るようなことじゃ……。だ、だいたい、彼女たちはなんのお咎めもなしだったんですか?」
「さて。まさか妾が単騎で突撃するとは思わず、たいそう狼狽えて族長たちに救援を要請しに戻ったそうじゃが。族長あたりがこってり絞ったじゃろうて」
「バドマさんは怒らなかったんですか? 彼女たちに」
 真剣な眼差しで問われ、バドマははて、と呟いた。
「戻った頃にはどうでもよくなっていたな。嵌められたとわかった時には頭に血が昇ったが、魔狼を討ち、友を失った後では、もはや些細なことに過ぎなかった。……まったく失望しなかったわけではないがの」
 バドマは苦笑し、そしてゆるく首を横に振る。
「弓の腕に秀でるだけでは、優れた狩人とは言えまい。大草原随一の狩人揃いと名高いダズカルとして、一族の名に泥を塗ることには耐えられぬ。さて、ではこの愚か者を鍛え直すためにどんな道が残されているか考えた時、ふとある男の言葉を思い出してな」
「ある男?」
 ヴァヴァロはきょとんとした。バドマはくつくつと笑う。
「テンメイじゃ。この身を崖下に投げ出され、気を失っていた妾を助けたのはテンメイだったのじゃ」
 ヴァヴァロは驚いて目を丸くした。
「じゃあ、テンメイさんはバドマさんの命の恩人なんですね」
「そうじゃ。奇しくも街から離れ、貴重な薬草とやらを求め渓谷まで遠出しにきていたあやつが地に倒れ伏していた妾を見つけ、手当を施してくれてな。初めは死んでいるものと思い、せめて葬いだけでも、と思ったらしいが。まだ息があると分かり、妾が動ける程度になるまで、満足に治療もできぬ環境で手を尽くしてくれたのじゃ」
 渓谷を流れる川の縁で、半ば水に顔を突っ込むようにして気を失っていたとは、バドマも後から聞かされた話しである。水が貴重な大草原において、最初に自分を発見したのが、他の部族の者でなかったことも幸運だっただろう。
「見ず知らずの人間など捨て置けばよいものの、生まれ持っての仁の心なのか、はたまた度を越したお節介なのか。テンメイは名も素性も知れぬ女を助け、この命を永らえさせたのじゃ」
「わあ……なんだか運命の出会いですね」
「ほんに。まさかあの時は、あれと夫婦になるとは夢にも思わなかったものじゃ」
「それで、テンメイさんは、バドマさんになんて言ったんですか? 旅に出るきっかけの言葉をくれたんですよね?」
 ずいっと身を寄せて聞いてきたヴァヴァロにバドマは笑ってみせた。
「なに。実を言うとたいそうな言葉でもなんでもないのじゃが。妾がいつか助けられた礼をしに訪ねていきたいと聞くと──礼はいらない。が、訪ねてくるなら宿ぐらいは提供する。……だから、いつでも訪ねてくるといい。とな」
「うーん?」
 もっと決定的な──それがなにかはともかく──言葉を想像していたヴァヴァロは、ちょっと気勢を削がれて首を傾げた。なにやら拍子抜けしているヴァヴァロに、バドマはくつくつと笑う。
「妾はそれまで草原の外を見たことがなかった。交易で街の者と言葉を交わす機会はあっても、ただそれだけじゃ。それまで外の世界に興味を抱くこともなかった。しかし、ふと思ったのじゃ。外の世界で見聞を広め、よりいっそう腕を磨けば、いずれこの胸に凝ったような後悔も晴れ、少しは真っ当な狩人になれるのではないかと。テンメイはそのきっかけをくれた。草原からまずは街へと、点と点だったものを線として結んでくれたのじゃ。無論、本人はそんなつもりで言ったのではなかろうがの」
 なるほど、とヴァヴァロは頷く。それなら少し分かる気がした。
「それで、部族を離れたんですね」
「そうじゃ。愛しき父母や姉妹兄弟に別れを告げ、妾は独り旅立った」
 故郷を、家族を懐かしんでいるのか、バドマは微笑みながら目を伏せた。
「それからは、テンメイさんのところに向かったんですか?」
 首を傾げながら尋ねると、バドマはそうじゃ、と頷いてみせた。
 馬もなく自らの足で部族を離れ、まずは街に辿り着くまでが大変な苦労だったと笑いながら。本当に礼をしに訪れたバドマに目を見張るテンメイの表情がいまだに忘れられない、とも。
「なんとか奴のもとに辿り着いたは良いものの、草原育ちゆえ、街暮らしの勝手はさっぱり分からぬ。文字も読めなければ、金勘定もいまいちときた。さらに遠くへ旅立とうにも、まったく支度も心構えもできておらぬ状態でな。半ば無理やり、テンメイとその師匠が暮らす家に居座って、まずは下働き生活よ」
「テンメイさんはお医者さんだから……そのお手伝いをしたり?」
「それもあったが、むしろ家の切り盛りが主体かの。テンメイの師は妻も子も持たない独り身のお方での。赤子の頃に父母を亡くしたテンメイを拾って、以後ずっと二人で暮らしてきたそうじゃ。女手がないゆえ、物心ついた頃にはテンメイが家の切り盛りをしていたらしいが、妾が居候を始めてからは、妾が代わりにな。もっともダズカルでは俗にいう男女の立場が逆転しておったから、初めの頃はテンメイの仕事を何倍にも増やしておったが」
「あはは……」
 ニッと笑われ、ヴァヴァロは苦笑するしかない。

 ヴァヴァロも家事は得意ではないので、その光景は簡単に想像できてしまう。同時に、あの無口で強面の青年の渋い顔が容易に想像できてしまった。
「あとは、そうじゃな。時折、狩りに出ては獲物を捕らえ、テンメイたちに料理を振る舞うことはあったな。魔物の駆除や護衛、荷運びまで、今にして思えば随分と色々な仕事をしたものじゃ。街ならではの経験を多く積ませてもらった」
「駆け出しの冒険者みたいに過ごされたんですね」
 言って、ヴァヴァロは自分が冒険者として走り出した頃を懐かしんだ。駆け出しの頃は、小間使いのような仕事を多く経験したものだった。
「それで、テンメイさんとはどんな経緯で夫婦になったんですか?」
「なんじゃ、惚れた腫れたに興味があるかえ?」
「えへへ……ちょっぴり」
 ようやくバドマとテンメイの馴れ初めを知れたのだ。夫婦としての情が二人の間にあるのか、それとも旅の相棒として契りを結んだだけなのか、実際のところかなり気になっていたのだ。
 まったく仕方がないな、と笑ってバドマは話しを続ける。
「居候し始めた頃は、いずれ準備が整えば独りで旅立つつもりだったのじゃが、どうも知れば知るほど世界とやらは広い。さすがの妾も、これに独りで挑むのは少しばかり心細いものがあってな。年齢的にも部族にいれば婚姻していてもおかしくない年頃だったゆえ、ちょうど近くにおった婿候補を娶ることにしたのじゃ」
「テンメイさんが好きになったから……とかじゃないんですか?」
 期待とは違う返答に、ヴァヴァロは軽く落胆する。
「テンメイは無愛想じゃが聡明な男じゃ。家を任せるに充分な能力も持っておる。おまけに薬師ならば旅の同行者としてありがたい。ゼラとレンでは同じアウラ族でもかなり風習が違うが、それもひとつ屋根の下に暮らすうちに慣れた。なかなか雄々しい角をした美男子であるし、ダズカル風に言えば、婿として申し分なかったのじゃ」
「テンメイさんは、バドマさんを一人にしておくのが心配だから一緒になったって言ってましたよ?」
「なに? そんなことを言ったのか、あやつめ。妾の旅の計画を聞くたびに少年のように目を輝かせておったくせに」
 それまで笑っていたバドマは、ヴァヴァロがぽろりともらした言葉に軽く身を起こした。
「テンメイさんが?」
 あの朴念仁が如き青年が目を輝かせる様子を想像するのは難しい。
 うーん、と首を捻りながらテンメイが目をキラキラさせる様を思い描こうとするヴァヴァロをよそに、バドマは尻尾の先で床を叩きながらぷりぷり怒っている。
「まったく適当なことを。妾の求婚を受け入れる時、妾の伸びやかで何事にも囚われぬ生き様が好きじゃと、はっきり言いおったというに。だいたい、妾が求婚する前から頼みもしない品を妾に捧げておったではないか。妾に惚れておったのは透けて見えておったぞ」
「テンメイさんがプレゼントかぁ。なんだか想像できないな……。どんな物を貰ったんですか?」
「蓮の意匠の髪飾りや帯飾りをな。あたかもその辺りで安く買ってきたようなフリをしておきながら、わざわざ特注した品もあったのじゃぞ」
「蓮の?」
 きょとんとすると、バドマはああ、と頷いた。
「バドマ、とは我々の言葉で蓮の華を指すのじゃ。その昔、泥中に凛と咲く蓮の姿に父母はいたく感動したそうでな。生まれてきた妾にこの名を授けてくださったのじゃ」
 もっとも自分で実物の蓮を見たのは、こうして旅に出てからなのじゃが、とバドマは笑う。
「素敵な名前ですね」
 ララフェル族の名は韻を踏んでつけるため、名自体は特定の意味を持たない。
 だからヴァヴァロなどは、バドマに限らず、意味を込められた名を持つ人々のはなしを聞くと、微笑ましく感じるものだった。
「そうであろう、そうであろう」
 バドマは自慢げに頷くと、荷物を手近に引き寄せ、その中からひとつ木箱を取り出した。
 その中からそっと布に包まれた物を取り出すと、丁寧な手つきで布を取る。丁重に仕舞われていたそれは、一本の簪だった。
「これは妾が居候していた頃に貰った品じゃ」
「わあ、綺麗……」
 バドマが簪を持たせてくれ、枕辺に小さく灯してくれた灯りを頼りに、ヴァヴァロは簪を軽く掲げる。
 柄の部分は銀、装飾は紅玉だろうか。幾重にも重なる蓮の花びら一枚一枚は薄く精巧で、少し触れただけで折れてしまうのではと思えるほどだ。そっと花びらのひとひらを撫でてみたかったが、不用意に触れると折れてしまいそうで、灯りにかざして眺めるに留めた。
「妾があまりにも飾り気がないのを気にして、これをな。妾のような狩人には無用じゃというに。うっかり壊しはしないか、身に着けても気が気でないわ」
 そっと簪を返すと、バドマはそれを丁寧に布で包みなおし、大事そうに木箱に戻した。愛おしそうに木箱をひと撫でし、取り出した時と同じように荷物の中に戻す。
「やっぱりテンメイさんのことが好きなんですね?」
 覗き込むように見上げてくるヴァヴァロにバドマはちらりと笑う。
「まったく、ませた子じゃな、お主は」
「えへへ……」
 どこか照れたようなその顔に、やはり二人は夫婦なのだな、と妙に納得してしまうヴァヴァロであった。
 再び灯りを落とし、バドマはしばし、夜を雨音に身を委ねていた。ヴァヴァロも口を噤み、大地を、窓を、屋根を叩く雨音に耳を傾ける。
「……テンメイ(天明)、とは夜明けのこと。あれは妾にとっての僥倖。無明長夜を彷徨う妾に、一条の光を投げかけた……」
 静かな声に、無粋な相槌は必要なかった。

 

 しばらく雨音に聞き入っていたが、ヴァヴァロはふとひとつの疑問を思い浮かべてしまった。
「あのぉ……」
「うん?」
 おずおずと声をあげると、なにやら物思いに耽っていたバドマが振り返る。
 ──これを尋ねてしまって良いものか。相当迷ってから、ヴァヴァロは恐る恐る口を開いた。
「アウラ族って……その、男の人でも……しゅ、出産できるんですか?」
 唐突な質問にバドマが目を見開くので、ヴァヴァロは頬が熱くなるのを感じる。
「ダ、ダズカルだと男女の役割が逆だって言ってたから……」
 例えば──そう、例えば、アウラ族は卵生だったりとか。性別に関係なくつがいの卵を産んで育てるとか。だから部族全体で男性が母親役を、女性が父親役でも日々の生活を営んでいけるのかも、とか。
 一拍おいて、バドマは弾かれたように笑い出した。あまりにも盛大に笑われ、ヴァヴァロは耳まで赤くなってしまう。
 ひとしきり笑うと、バドマはそれでもくつくつと笑いながら言う。
「さすがに産むのは女じゃな。確かに他の部族とは違い、女が男の、男が女の役割を担うが、生まれ持った性の役割までは覆せぬ」
「そ、そうですよね」
 妙にほっとして胸を撫で下ろすと、ヴァヴァロはもうひとつ、聞きたかったことを思い出す。
「そういえば、テンメイさんって本当に戦えないんですか? あんなにがっしりしてるのに」
「戦わぬな。そもそもあれは殺生を嫌う。命を傷つけるなど到底できぬ男じゃ。それでも身体を鍛えておるのは、ひとえに師の教えによるものじゃな。健全な精神は健全な肉体に宿る、と。確かに剣術や体術は学んでおったが、仮にその力を振るうことがあっても、あくまで護身のためであろうな」
「そっかぁ……」
「お主も見たであろう。街で悪漢に絡まれても、反論ひとつせぬ様子を。まったく、生きていく限り、なにひとつ傷つけずに済むはずもなかろうに。いざという時、本当に己の身を守ることができるかも怪しいところじゃ」
「最後のほうは、反論しようとしてたみたいですけど……」
 悪漢に絡まれ、テンメイがきゅっと唇を引き結ぶのを、ヴァヴァロは確かに見た。
「遅すぎるのじゃ、いつも。あそこまでコケにされてなぜ我慢するのか、妾には全くもって理解できぬ」
 バドマは盛大に顔を顰めてみせる。ヴァヴァロは苦笑するしかなかった。
「バドマさんは、剣も扱えるんですか?」
 魔狼狩りでは馬上で剣も振るったという。出会ってからも、確かに剣らしきものを腰に帯びていた。
「多少な。普段は弓で事足りるゆえ、滅多に鞘から抜くことはないが」
「すごいなぁ。あたしもノギヤさんに──あ、ノギヤさんって言うのは冒険者仲間なんですけど、彼女に勧められて弓以外もあれこれ試した時期があって。最近では銃の練習もしてるんです」
「ほう、銃か」
 ヴァヴァロが弓を得物に戦うのは、父に幼い頃に教わったから、という単純な理由からだ。一時期は父との繋がりにこだわり、頑なに弓の鍛錬に励んでいた時期もあった。
 弓を奪われ、ないしは破損してしまった時に備え、別の戦い方も覚えたほうが良いとノギヤに勧められ、格闘術を教わり始めたのがきっかけとなり、その後は随分と色々な武器の扱い方を学んだ。そうして今では、イシュガルドで巡り合った機工士としての戦い方を身に付けようと奮闘していた。
「力が弱い人でも銃を扱えれば強力な戦力になれるって聞いて。基本的な立ち回りは弓とあまり変わらないから、すぐ習得できるだろうって甘く考えてたんですけど……実際、銃を扱おうと思うとなかなか難しくて……」
「して、得物は? 此度は持ってきておらぬのか?」

 バドマに尋ねられ、ヴァヴァロは肩を落とした。
「今は修理中なんです。銃本体じゃなくて、機工兵装っていう装置のほうを壊しちゃって。本当は今回の捜索にも持ってきたかったんですけど、今はイディルシャイアの工房に預けてるんです」
 言いながら、ヴァヴァロは自分でがっかりしてしまう。ただでさえ弓の腕もいまいちなのに、ようやく自分でも戦力になりそうな武器を見つけたかと思えば、上手く扱えずに壊してしまう始末。冒険者になってそれなりに経つというのに、仲間たちにはどうしたって及ばないのだ。
「あーあ、はやく一人前になりたいな」
 ぼやくヴァヴァロの背中をバドマが優しく叩いた。
「なに、実直に鍛錬を続ければ必ず努力は実る。妾は機械とやらには疎いが、銃にしろ何にしろ、これは変わるまい」
「はい」
 落ち込みたくなることばかりだが、バドマの励ましには素直に頷いた。
 仲間に追いつきたい一心で焦ることも多いが、バドマの言うとおり、日々鍛錬を続けるしか追いつく術がないことは、自分でも痛いほど実感している。
「……それで?」
「それで?」
 バドマの言葉にヴァヴァロはきょとんとする。バドマは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「妾ばかり話したのではつまらぬではないか。今度はそなたの話を聞きたいのじゃが」
「あ、あたしのですか?」
「うむ。なぜ冒険者になることを選んだのか、旅暮らしの身になったのか、聞かせてくりゃれ」
 話して面白いような深い理由はないのだが、出会って日の浅いバドマが自身のことを語って聞かせてくれたことを思い、ヴァヴロは少しだけ過去を振り返った。
「あたしは、もともと両親が冒険者だったんです。二人とも、もういないんですけど」
 バドマは一瞬、目を見開くと、沈痛な表情で頷いた。
「何年か前に、エオルゼアで戦争が起こりそうだからって、父の勧めで遠くに住んでるおじいちゃんの家に母と避難したんです。エオルゼアに残ったお父さんはその戦争で死んじゃって、訃報を聞いた母も、後を追うように」
 ヴァヴァロは口を噤んだ。胸を穿つような悲しみは薄れたが、両親のことを思い出すと、いまでもやはり、二人が恋しくなる。
 小さく息を吐いて、ヴァヴァロは顔を上げた。
「それで、何年もおじいちゃんと二人で暮らしてたんですけど、だんだん故郷が懐かしくなって。その頃は父が書き残した旅の記録もよく読み返してたんです。父が旅をしながら書き付けた詩とか、母との思い出とか……。それを読み返してたら、ますます故郷が恋しくなっちゃって。それに」
「それに?」
 言葉を切ったヴァヴァロに、バドマは首を傾げた。
「……冒険者になったら、いつか父に会えるような気がしたんです。あの頃は……お母さんのことは看取ったけど、お父さんの死に際には居合わせたわけじゃなかったから。本当は生きていて、旅をしていたらいつか会えるんじゃないかなって」
「そうか……」
「それでおじいちゃんに言ったんです。あたしも冒険者になりたいって。でもその時は反対されちゃって。……我ながら子どもっぽかったなって思うんですけど、そのまま家出したんです、あたし」
「ほう、それは思い切ったことをしたな」
 ヴァヴァロは顔を赤くした。
「お父さんがたまに冒険ごっこに連れてってくれてたから、あの頃はやたら自信に溢れてたんです。野宿の仕方も、弓の扱い方も教わってたから、あたしだって立派な冒険者になれるって。今思い出すと、なんであんなに自信満々だったのか恥ずかしいくらいなんですけど」
 実際、家出した当初はそれなりに上手くやっていた。街で仕入れた弓を手に夕飯の獲物ぐらいなら狩ることができたし、立ち寄った集落で毛皮を売り、路銀を稼ぐこともできた。盗賊に絡まれても逃げ切ることができた。そうした小さな成功に調子づき、結局は行き倒れるような事態にも陥ったのだが。
「なに、良いではないか。時には思い切りも必要じゃろうて。その勢いがあってこそ、いまのそなたがおるのじゃろ?」
 過去の醜態を思い返すと、バドマの言葉には素直に頷けないヴァヴァロである。
「しかし祖父君はさぞ心配したことじゃろうな。その後、連絡はとったのかえ?」
「ええと、それが……。おじいちゃん、あたしのこと心配して追いかけてきちゃって……。いまでは一緒に冒険してるんです」
 しどろもどろに言うと、バドマは驚いて目を丸くしたのも刹那、大笑いした。
「なるほどな。その祖父君あっての孫じゃのお。祖父君はいまどちらに?」
「おじいちゃんは、ええと──」
 ──これにはなんと答えたものか。
「……おじいちゃんはちょっと特別な人で、最近では一緒だったり、一緒じゃなかったり……」
「特別?」
「えーと、今は大きな問題を解決するために奔走しているというか……。仲間を助けるためにあちこち走り回っていると言うか……」
「ふむ、特殊な事情を抱えておるのじゃな」
 言葉を濁すヴァヴァロに、バドマは深く追求するような真似はしなかった。ヴァヴァロは安堵し、次いで俯く。
「本当はいつもそばにいて助けてあげたいけど、あたしでは力になれないことも多くて、それで」
 ヴァヴァロは言葉を切った。祖父の──祖父だけでなく、エミリアが置かれた現状を思うと胸が痛くなる。
「おじいちゃん、村で静かに暮らしていたのに、あたしが家出したせいで穏やかな生活とは程遠い世界に踏み込むことになっちゃったんです。戦争とか、蛮神とか、荒々しい世界に」
 ──祖父は異能に目覚めてしまった。田舎で一介の樵として生きていた祖父は、いまや超える力を持つ異能者であり、母なる星ハイデリンから光のクリスタルを授かりし英雄だ。──否、英雄の一人である。光の戦士であるエミリアを支えるため、ヴァヴァロや仲間たちとともに、これまでも多くの脅威と戦ってきた。
 もしヴァヴァロが家出などしなければ──あるいは互いに納得してから旅立っていれば、祖父は今でも、故郷で平穏な日々を過ごしていただろう。それなのに──。
「……はやく一人前になりたいです。どうすれば一人前になれるか分からないけど、もっと色んなことを一人でできるようになって、おじいちゃんの手を煩わせないようになって、一人で戦える力を身につけて──そうしたら少しくらい、おじいちゃんも安心してくれるかなって」
 なぜ自分ではなく年老いた祖父が異能を授かったのか、星に選ばれた光の戦士が自分ではないのか、浅ましく嫉妬したこともあった。そんな嫉妬はエミリアが権謀術数に嵌りイシュガルドに逃げ落ちねばならなくなった時に、無価値なものだったと悟らされたが。
 亡き父の面影を追い求めるように冒険者になったはずだった。祖父と再会し、誼を得た仲間たちと心躍る冒険の日々を過ごしていたはずだった。
 エミリアが光の戦士として周囲の希望を背負うにつれ、ヴァヴァロたちもまた、大きな闘争に巻き込まれていった。蛮神と戦った。帝国軍と戦った。ただの冒険者では経験しないような騒動をいくつも経験してきた。
 次第に、当初思い描いていた冒険者生活は遠のいていった。父を探しながら冒険者として名を馳せ、一攫千金を狙い、未開の地を拓き、冒険譚を後世に残す──そんな曖昧で呑気な夢は、いつの間にかどこかへ置いてきてしまった。
 なぜ冒険者になったのか、その問いに答えることはできても、なぜ冒険者を続けているのかと問われてしまったら、おそらく答えに詰まってしまう。
 ただ確かなのは、ヴァヴァロは祖父を、エミリアを──仲間や居場所を失いたくない。
 いまやヴァヴァロたち異能を持たない人間には手の及ばない次元で戦うエミリアが──これはアルテュールの受け売りだが──いつでもただの冒険者に戻れるよう、居場所を守り続けるために。そして一人前であることを早く証明し、祖父を安心させて戦いから身を引いてもらうために。冒険者として生き続ける理由を敢えて言葉にするなら、きっとこんなところだろう。
「……今はとにかく、強くなりたいです。いまさら冒険者以外の生き方は考えられないし、これからも皆と一緒にいたいから」
 顔を上げたヴァヴァロにバドマは微笑んだ。
「一角の人物になりたいと努力するのは良いことじゃな。しかし、何もかも独りでこなそうなどとは思わぬことじゃ。独りで全て行えると思うのは自惚れに等しい。一人の力ではできることに限りがあると、ゆめ忘れるでない。さもなくば、妾と同じ過ちを犯すことになる」
「それは──。……はい」
「妾もこうして旅に出てはみたが、なにか掴めたかと問われると、依然として答えはない。強敵と渡り合えばあの日──魔狼と対峙した日の後悔を晴らし、新たな境地を得られるのではないかとも考えるが、いくら修練を積んでも手応えを得られぬ。世界を知れば知るほどに、己が身の矮小さ、無力さを思い知らされる。なにか掴みたくて堪らぬのに、掴んだかと思えば砂のように指から零れ落ちていく……。そもそも本当に自分が追い求めているものがなんなのか、正直なところ、それすらも判然としておらぬ」
 ヴァヴァロは神妙な表情で頷いた。掴みたくても掴めない。その感覚はよく分かるように思えた。
「まことに度し難いものじゃ。己が心というものは」
「……そうですね」
 長いため息をついて、ヴァヴァロはころりと寝返りを打った。

 

「でも、いいなぁ。夫婦で冒険って。憧れちゃうかも……」
 両親が冒険者だったこともあり、特別な相棒、という存在にヴァヴァロは憧れていた。恋だの愛だのにはまだ興味を抱けないけれど、伴侶を持つことには憧れがあった。
 バドマとテンメイの関係性も、初めは面食らってしまったが、話しを聞けばやはり二人の間に情があるようだし、それですっかり羨ましくなっていた。
「慣れぬ土地を共に旅する者がいるというのは、やはり心強いものじゃな。困難も喜びも分かち合うことができるからの。しかし、そなたにも相棒がおるのではないか?」
「相棒? ああ、アルテュールですか?」
「息もぴったり合うようじゃが、実は良い仲なのではないか? ほれ、正直に申してみよ」
「ええ!? ち、違いますよ! アルテュールとはそんなんじゃありませんっ」
 ほれほれ、と肘で小突かれ、ヴァヴァロは慌てて否定する。
「なんじゃ、違うのか。つまらんのう」
「よく聞かれるんですけど、あたしとアルテュールって、そんなに仲良しに見えますか?」
「見えるとも。人前でも親しげにじゃれあっておったではないか」
「そりゃ、好きか嫌いかって言われたら好きですけど、それは仲間として好きって意味であって……」
「ほう?」
 よく知った仲だし互いに遠慮もないが、ヴァヴァロにその気はないし、アルテュールもそうだろう。
 美人に目がないアルテュールだが、ララフェル族は総じて子どもに見えるらしく──まったく失礼なはなしだ──、「ララフェル族は守備範囲外」とは本人の談だ。
 だいたい歳だって十以上離れているのだ。アルテュールが年上の女性好みなのを、ヴァヴァロはよく知っている。
「だいたいアルテュール、いっつも人のことからかって遊ぶし、お酒飲むと絡んでくるし、いびきはうるさいし、朝だって起こさないといつまでも寝てるし、たまに裸で寝てるし、大事な時にも冗談ばっかり言ってるし、目を離すとすぐ女の人ナンパし始めてこっちが恥ずかしくなるし……」
「詳しいな」
 アルテュールの不満点を捲したてるヴァヴァロに、バドマはくすくすと笑っている。
「ま、まあ、なんだかんだで付き合いは長いですから。だからって、特別な仲とかじゃないですよっ」
「わかったわかった」
 バドマがなおも笑っているので、ヴァヴァロはちょっとムキになってしまう。
 付き合いが長いどころかいまやひとつ屋根の下──フリーカンパニー所有の家──で暮らす仲だから、良いところも悪いところもよく知っている。だから、気安い間柄であることに違いはないのだけれど。
「……家族みたいに思ってはいますけど……それを言ったら皆そうだし……」
 ヴァヴァロはもごもごと口ごもった。
 だらしがないし、いつも人を子ども扱いするくせに、彼がやたら面倒見の良い人物であることも、ヴァヴァロは身をもって知っている。 

 どうしようもなく落ち込んでいる時、祖父や他の人はごまかせても、どういうわけかアルテュールだけはごまかせない。声音が普段と違うのでバレバレだ、と。普段は人をからかって遊ぶくせに、そういう時は途方もなく優しいのだ。彼の膝や腕の中でめそめそと泣いてしまった経験は、一度や二度ではない。
 エミリアが戦勝祝賀会で行方不明になり、ウルダハまで同行した祖父とも音信不通になり不安に苛まれていた時、隣で肩を抱いていてくれたのもアルテュールだった。
 思い出したくないことまであれこれ思い出してしまい、ヴァヴァロは頬を赤らめた。
「彼以外にも仲間がいるのだったか。何か組織に属しておるのか?」
「顔なじみの仲間でフリーカンパニーを立ち上げたから、組織といえば組織かもしれないけど、堅苦しい集まりじゃないんです。みんなでお金を集めて家を建てて、一緒に暮らしていて。あたしはおじいちゃん以外に家族がいないし、一番年下だから、実際みんなのことは、お兄ちゃんやお姉ちゃんみたいに思ってるんですけどね」
 アルテュールと出会った当初の一行は、ひとつのフリーカンパニーとして活動するわけでもない、小さな冒険者の一団だった。ヴァヴァロとアンリオー、ファロロとノギヤ、ミックに、そしてエミリアの六人ばかりの小集団だった。他と変わったことがあるとすれば、仲間のなかに異能者と光の戦士がいた──ということだろう。
 あの頃のアルテュールは胡乱な男だった。当時、南部森林で活動していたヴァヴァロたちに同行したいと申し出た彼は、あろうことか一行の金品を盗んで逃げようとしたのだ。あいにく未遂に終わったが、粗野な振る舞いをアンリオーに諭された彼は、逆上してアンリオーを殴りつけた。
 その後、一行から見逃された彼は、数日後にアンリオーたちと再会するなりこう言ったのだ。──悪かった。また俺も仲間に入れてほしい、と。
 数日の間にアルテュールにどんな心変わりがあったのか、当時のヴァヴァロにはさっぱり理解できなかったのだけれど。とにかく己の振る舞いを後悔したか恥じたかで、祖父となにやら話し込んだかと思うと、アルテュールも旅に同行させたいと、祖父自らそう言ったのだ。
 ファロロはアルテュールを仲間に加えることに最後まで反対していたし、ヴァヴァロも祖父がなぜ彼を許したのか納得できなかった。何事にも寛容なエミリアもさすがに困惑していたし、ミックも戸惑いを隠せていなかった。
 ノギヤだけは「そんなに悪い奴じゃないと思うよ」といつもの調子で笑っていたけれど、盗みを働こうとしたのは動かしようのない事実で、だからヴァヴァロは彼の後ろを監視するようについて歩いた。皆が油断した頃に、彼がまた悪さをすると疑っていたのだ。
 結局それ以降、アルテュールが悪事を働くことはなかった。それどころか話してみると意外に物知りで、たいていのことには答えるので、いつの間にか彼と話すのが楽しくなっていた。「泥棒しようとした奴だから」と、彼との会話を楽しむ自分を慌てて叱り、監視の目を緩めないよう自分を律しようとしたが、その努力は徒労に終わった。いつの頃からかアルテュールに亡き父の面影を感じるようになると──父に似ているというと、祖父にはなぜか困惑されてしまったが──、彼の所業などもうすっかり忘れてしまって、彼の後ろを追いかけ回すようになった。
 ノギヤなどには「懐いてるねぇ」と、よくからかわれたものだ。懐いているなんて小さな子ども扱いされているようで恥ずかしかったが、いまにして振り返ると、傍目にはそう見えて当然だったかもしれない。彼の後ろをついて歩いては、歌やはなしをせがんだり、冗談を言い合っていたから。
 一度親しくなると、ひょうきんでお人好しで、そのくせ小心者な──と、本人が言って憚らない──人好きのする男が、なぜ盗みを働こうとしたのか首を傾げたくなるほど不思議だった。
 アルテュールが「シェーダーだから」と、ただそれだけの理由で不当な扱いを受けてきたと知ったのは、もっとずっと後のことだ。


 彼が他の面々とすっかり打ち解けても、ファロロだけはアルテュールを認めなかった。ヴァヴァロがアルテュールを警戒していたように、ファロロもまた、彼を強く警戒していたのだ。皆がアルテュールと親しくなるにつれ、ファロロの態度は頑なになっていったし、ヴァヴァロも「あんな男と親しくするのはやめなさい」と何度も釘を刺されたものだ。
 自分が不和の種であると察したアルテュールが、一行から抜けてしまった時期もあった。初めて仲間の離脱を経験した一行の旅路は、それからしばらく、葬式のように沈んだ空気に包まれていたものだ。
 あんなに嫌いだったはずなのに、ヴァヴァロはアルテュールの離脱が寂しくて仕方がなかった。やっと再会したのに拒絶された時は、悲しくて悔しくて、堪えようにも止められず、小さな子どものようにわんわん泣いてしまった。
 とにかくも、アルテュールは戻ってきた。戻ってくるようファロロが強く誘ったらしいとノギヤから聞いたが、ヴァヴァロは詳しいことを知らないままだ。アルテュールが戻ってきた、それだけで充分だった。また彼の歌やはなしを聞けるようになって嬉しかった。二人で冗談を言い合ってふざけたり、たまにからかわれてはムキになって反発したりしながら、気がつけばほかの誰よりも──冒険者になって以来なら既に祖父以上に──共に過ごしてきた。今ではこうしてきっかけがないと、アルテュールとの出会いが最悪だったことなど、すっかり忘れたままなほどに。
「明日になれば合流できる予定だったかの。そなたの仲間であれば善い人々であろう。その際にはぜひ紹介してくりゃれ」

 なにやら物思いに耽るヴァヴァロの頭を、バドマはぽんぽんと叩いた。
「むぅ、子ども扱いされてる気がする……」
 照れ隠しに唇を尖らせるヴァヴァロに笑って、バドマは改めて横になった。ヴァヴァロもそれに倣って薄い毛布を体に掛け直す。
 雨はまだ止まないが、地を濡らす音色は、微睡みを誘うのに充分なものだった。

 

<2020.1.28 一部修正>


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