蜜月(03)
「あ、このドレス、可愛いな」
仕立て屋が集うウルダハの一角。
冒険者の姿はほとんどなく、行き交うのは市民ばかりという通りをアルテュールと散策していたヴァヴァロは、一軒の店の前で足を止めた。
洗練された構えの店先には、〝新作〟の札とともに一着の空色のワンピースドレスが飾られていた。琥珀色の襟つきで、五分丈の袖には同色のカフス。絞られたウエストから下は裾に向かってふんわりと広がっている。その裾もやはり琥珀色に縁取られていて、なんとも愛らしい一着だった。
「お、こういうのが好き?」
和やかに尋ねられ、ヴァヴァロは頬を掻いた。
「け、けっこう好きかも? 可愛いけどすっきりしてる感じがいいなって。この丈なら裾を踏んづけちゃう心配もないし」
通りに面した仕立て屋を何軒か覗いたなかで、少なくとも一番ピンと来たドレスだ。なにしろシンプルなのが良い。ひだ飾りがふんだんにあしらわれたような服は恥ずかしいが、このくらいの可憐さなら、自分でも気負わず着られる気がした。
アルテュールは憚りもなくにこにこと笑顔になると、ヴァヴァロの背を促すように軽く押した。
「よしよし、今までで一番いい反応だな。さっそく試着させてもらおうぜ」
それからは早いものだった。
店先に展示されたドレスの試着を願い出て、快く試着室に案内され。愛らしいドレスを纏い、店員が「ご一緒に」と用意してくれた上品な白手袋とパンプスも履き。ついでにアルテュールが見繕った小ぶりなツバつき帽も被り。よく映る姿見の前に立ってみれば、そこには嫋やかなお嬢さんがいるばかりだ。
「すごくいい」
鏡の前でぽうっとするヴァヴァロに、アルテュールは満足げに頷いた。
「……うん、いいかも……」
ヴァヴァロはドレスの裾を摘み、ふわりと広げてみた。装いにつられ、左右、後ろと確かめる仕草までもが自然と柔らかくなる。
戦化粧をしていない自分の顔は相変わらず奇妙に感じるが、それを差し引いても、今の自分はなかなかどうして──。
「か、可愛い、よね?」
「とびきりね。よく似合ってる」
ヴァヴァロの恥じらいを払拭するように、アルテュールは自信たっぷりに肯定する。
もじもじと指を絡み合わせ、何度も鏡の中の自分と見つめ合った後、ヴァヴァロは「よし」と決断する。
「こ、このドレスにする。買ってくれる?」
「もちろん。いいのが見つかって良かったよ」
遠慮がちな恋人の言葉にアルテュールは破顔する。
試着を終えると、続いては採寸。採寸が終われば生地の選択だが、そこは試着品と同様のもので注文を済ませた。生憎その手センスには自信がないし、あの空色の生地だからこそ惹かれたのだから。
「──え、七日後?」
会計はありがたくアルテュールに任せ、仕立て屋を後にしてしばらく。受け渡し日の確認をしようとしたヴァヴァロは、ぽかんと声を上げた。
「うん、七日後。そのくらいならいいだろ? もともと五日くらいはいる気だったわけだし、待ってる間に二人でゆっくりできるし」
平然としたアルテュールの言葉に、ヴァヴァロの頭はまるで追いつかない。
「え、え? で、でもお店の人、仕立てには二十日かかるって。待って待って、仕立て急いでもらうために追加で払ったの? あっ、それでさっきお店の人、やけににこにこしてたの!?」
矢継ぎ早に尋ねられ、アルテュールは面白そうに笑う。
「そうだよ? だって面倒だろ? 受け取りのためだけにもっかいウルダハまで飛んでくるの」
「そ、それはそうだけどっ。そこまでしてくれなくてよかったのに……」
「いいんだって。俺が待ち切れないの。あのドレス着たヴァヴァロとデートするの」
「でっ、も……だってそんな贅沢な……あう……」
まるで悪びれないアルテュールに、ヴァヴァロの表情は目まぐるしく変わる。やがてアルテュールのズボンの裾を摘むと、恥じらうように呟いた。
「……ありがと……」
アルテュールはにっこりと笑う。
「素直でよろしい。さ、日用品の買い出しに行こう」
***
「ねえ、この石鹸いい香りだよ」
「ほんとだ。いいな」
華やかな香りの石鹸。
「パジャマも置いといていい?」
「もちろん。部屋履きも買っておこう」
寝泊まりのための心地良い寝具。
「そうだ、ヴァヴァロの食器も買わないと」
「お揃いがいいな。アルテュールはどこで買ったの?」
色違いのコップに、新しい食器類。
「明日の朝ご飯にソーセージ食べたいなー」
「茶葉はどれにする? お、コーヒーも売ってる」
食卓を賑わす食糧品。
「あ、シャードも買わなきゃ」
「いっけね、忘れるところだった」
そして、生活の端々で使う結晶の類。
「ちょっと買いすぎちゃったね」
日用品の買い足しはゴブレットビュートで。
そう話し合っていたはずなのに、ウルダハからの帰り道で買い物が弾んでしまい、二人の両手は荷物でいっぱいだった。
「そっちの紙袋持とうか。重いだろ」
「へーきへーき、このくらい」
他愛のない言葉を交わしながら、二人は暮れゆく砂都の居住区を行く。家々に、街灯に明かりが灯り、暑い昼は涼しい夜へと、とろりと移り変わろうとしていた。
「やっぱりラベンダーベッドとは雰囲気が違うね。すごーく都会って感じ」
ヴァヴァロは興味深く周囲を見渡した。
夜の訪れを間近にしても、ゴブレットビュートのそこかしこに熱気が滲んでいた。冒険者が集うのは同じはずなのに、国が違えばこうも雰囲気が変わるものかと、妙に感心してしまう。
「ラベだとこの時間にはもう静かだからなー。夜でも賑やかに感じるときがあるよ、こっちは」
「あっちも虫は賑やかだけどね」
「だなー」
二人はくすくすと笑い合う。
「あ、ねえ見て。もう日が落ちそうだよ」
ヴァヴァロはアルテュールを呼び止めた。
遠い稜線が夕陽に眩く染まっていた。二人は口を噤んで佇むと、刻一刻と沈みゆく太陽を見守る。夜の帷が下り始めた空は、美しくもどこか切ない。
「……沈んじゃったね」
やがて日没を見届けると、ヴァヴァロはぽつりと呟いた。
アルテュールは「うん」と頷くと、優しく恋人を見つめた。
「帰ろう。今日は疲れたろ。帰ったら風呂沸かすからさ、先に入りなよ」
「お、じゃあお言葉に甘えてそうしよっかな」
ヴァヴァロはにっと笑うと、再びアルテュールと並んで歩き出した。
──二人の部屋に帰って、一日の疲れを入浴で癒して。二人で飲もうと買った蒸留酒を楽しみながら、ゆっくり今日の出来事を振り返ったりして。
そんな甘やかで贅沢な時間を思うと、ヴァヴァロの頬は自然と弛んだ。宿ではそこまでゆったりと過ごせないだろうから、二人きりで過ごせる場所が出来たことが、本当に、沁み入るように嬉しい。
朝だって、誰かが起き出したり帰宅した気配に慌てる必要はない。二人でぐっすり眠って起きて、それでもまだ二人きり。まるで本当の恋人同士になったようで──。
「──んん?」
ヴァヴァロはぴたりと足を止めた。
否、もちろん恋人同士だ。きっかけはいまだに分からないが、最近のアルテュールは自分のことをとても好いてくれている。それはもう、ちょっとこちらの心が追いつかないほどに。
そんな彼の部屋に泊まる。皆と暮らす家でも、うっすらと人の気配が付き纏う宿でもなく。誰の邪魔も入らない、あの部屋に泊まる。一晩どころか、何泊もする。
(ん? んん? んんん〜〜〜?)
ヴァヴァロは唐突に思い出す。天蓋の帷が下ろされた瞬間のことを。そしてようやく思い至る。あの空気の甘さはまるで──。
「どうした? 荷物、やっぱり持とうか?」
「へっ!? だだだだ大丈夫っ! へへへーきへーきっ」
アルテュールに首を傾げられ、ヴァヴァロはぴょんと跳ねた。大袈裟に笑うと、ぎくしゃくと歩き出す。
一気に速まった鼓動を必死に抑えながら、ちらりと隣のアルテュールを見上げる。普段と変わらぬ──変わらないように見える横顔をどう捉えていいのか分からず、ヴァヴァロは耳の先を真っ赤にしたまま、荷物をぎゅっと抱き込んだ。