蜜月(02)
「──はい、ちょっとこっちで買いたいものがあって。用事が済むまで何日か滞在します。えっ、ア、アルテュール?」
まだ人影もまばらな早朝のウルダハ。
目抜通りさえも閑散としているような時分にエーテライト・プラザに降り立ったヴァヴァロは、リンクパール越しの言葉にぎくりとした。
「俺もいるよ。なんかあったら連絡する。ん、じゃあ、また」
アルテュールの助け舟を得て通信を終えると、ヴァヴァロは握りしめていた小箱にリンクパールをしまった。しっかりと蓋を閉じ、きっちり留め金を掛けたことを確かめると、小箱を鞄の奥底へと捩じ込む。アラミゴ解放運動に参加が決まった際にイェンとファロロが作った、魔法的な防諜対策を施した小箱だ。これで二人の会話がうっかりリンクパール越しに漏れる心配はない。
ヴァヴァロは何度も、何度も、何度も深呼吸を繰り返した末、きしきしと関節を軋ませながら隣のアルテュールを振り仰いだ。
「へ、へ、へ、変じゃなかったよね? 自然だったよねっ?」
アルテュールは苦笑する。
「大丈夫だって。俺たちが泊まりで出かけても、誰も気にしたことなかったろ」
「そうだけどさあ」
宥めるように頭を撫でられ、ヴァヴァロは身悶えした。自意識過剰だと、自分でも分かってはいるのだが。
「いっそのこと、もう皆に打ち明けるってのは? そのほうが気が楽になるかもよ」
「えっ!?」
あっさりと提案され、ヴァヴァロはぴょこんと跳ね上がった。動転のあまり、一気に顔が熱くなってしまう。
「でででもほら、からかわれたりしたら……」
「誰もそんなことしないさ。俺たちだって、ミックとエミリアさんのこと囃し立てたりしないだろ? まあ、驚かれはするだろうけど」
「そ、れは……そうかもしれないけど……」
無論、頭では分かっている。他人の恋路を揶揄するような人物は身内に一人もいないと。……分かってはいるのだが。
一人そわそわと身体を捩り、もじもじと視線を泳がせた末、ヴァヴァロは肩を丸めて小さくなった。
「ええと、皆に知られるのはまだちょっと、そのう、恥ずかしくてですね……」
だって皆に告げたら、ぜったいに聞かれる。──いつからなのか、と。
まるで色気のない相棒関係だった二人が、いつの間にか恋仲になっているのだ。自分だったら友情が恋情に変わった経緯を詳しく聞きたい。それはもう根掘り葉掘り聞きたい。惚気上等で夜通し聞きたい。
ただしそれは、自分が聞く側の場合の話だ。聞かれる側になった場面を想像するだけで、羞恥の呻き声を上げてしまいそうだ。
「ん、じゃあ、また別の機会にしよう」
気長に返事を待っていたアルテュールは、尋ねたときと同じようにあっさり笑う。
ヴァヴァロは指先をつつき合わせた。
「……アルテュールはもう話したほうがいいと思う? 皆に」
「そろそろ頃合いかな、とは思ってるよ。できれば家でも、ヴァヴァロと堂々と寛ぎたいしね」
「そ、そお?」
少し意外に感じながらも、その言葉に嬉しさも覚える。
そっか、とヴァヴァロは胸の中で呟く。自分達の仲を知られても構わないと、アルテュールがそう思ってくれている。その事実は、ヴァヴァロの心をじんわりと温めた。
「と、とりあえず行こっか。ええと、お店は……まだどこも開いてないよね、たぶん。先に宿取りに行こっか」
気を取り直し、ヴァヴァロはアルテュールの上着の裾を引く。
先に済ませたかった用事を数日かけて片付け、これで心置きなくウルダハに行ける、明日から行こうと話し合ったのが昨夜のこと。
のんびり出発するつもりだったらしいアルテュールをまだ薄暗いうちに叩き起こし、「皆に見つかる前に」とドタバタと転移魔法で家を飛び出してきたのが、つい先ほどのことである。
あまりに早い出発だったので、急用かと案じたイ・ノギヤから通信が入るなどの焦る出来事は挟まったが、いずれにせよ街はまだ目覚めたばかりで、買い物も何もあったものではない。
「そうそう、そのことなんだけど。泊まるところにはアテがあってさ」
「うん?」
首を傾げるヴァヴァロの隣で、アルテュールは鞄から一本の鍵を取り出した。
「皆には黙ってたんだけど、実はゴブレットビュートのアパルトメントに部屋持ってんだ、俺」
「へ?」
急な話にヴァヴァロはぽかんとしてしまう。
アルテュールは指に引っ掛けた鍵をくるりと回す。
「そっちなら何日いようが宿代も掛からないし、ヴァヴァロが嫌じゃなかったら案内したいんだけど、どうかな」
ぱちぱちと何度も目を瞬かせた末、ようやく言葉の意味を飲み込んだヴァヴァロは、今度は驚きで目を丸くした。
「部屋買ったの? ゴブレットビュートのアパルトメントに? え、え、いつ?」
ウルダハの冒険者居住区、ゴブレットビュート。ヴァヴァロたちが暮らすグリダニアのラベンダーベッド、リムサ・ロミンサが抱えるミスト・ヴィレッジと同時期に開放された居住区だ。
三国の中で最も豪奢な造りをしていると名高いその冒険者居住区に、いったいいつの間に部屋を持ったというのだろう。常時行動を共にしていたつもりなのに、まったく初耳の話だった。
「前にほら、ジルベール先生の舞台に出ただろ? あの時の報酬でね。先生達に会いにウルダハにはちょくちょく来てるからさ、自分の部屋があると便利かと思って」
「ははあ」
妙に感心した様子のヴァヴァロに、アルテュールは悪戯っぽく笑う。
「興味ある?」
つられて破顔しそうになったヴァヴァロは、すぐに首を捻った。
「ある! けど、いいの? アルテュールの秘密基地にしておかなくて」
今日まで誰にも話さなかったということは、自分だけの居場所にしておくつもりだったのではないだろうか。それを思うと、安易に踏み込むのはなにやら悪いような気がしてしまう。
アルテュールは肩を落としながら苦笑した。
「むしろヴァヴァロにも使ってもらえると助かる。家具揃えたまではよかったんだけどなあ。皆と一緒の時は宿に泊まるだろ? 先生達に会いに行った時はフォルカーさんちに泊めてもらうことも多いから、意外と部屋を使う機会がなくてさ。持て余してたんだよ、正直」
「ええ、もったいなーい」
「だろ? だから次に二人でウルダハ来たときは、ヴァヴァロを誘おうと思ってたんだ」
そういうことなら、とヴァヴァロは今度こそ破顔した。
「へへっ、じゃあお招きされちゃおっかなっ」
「お、決まりな。あー、ちなみに最後に使ったのがアラミゴ行く前だから、掃除も手伝ってもらえると大変ありがたく……」
「そんなに使ってなかったの!?」
朝陽が差し込む砂都の大通りを、二人は和気藹々と行く。秘密を共有された喜びに、ヴァヴァロの足取りは軽やかだった。
***
「うひゃあ、さすがに高いね」
開け放った窓の格子越し、部屋の外を覗き込んだヴァヴァロは感嘆の声を上げた。
ウルダハ郊外南部の渓谷に築かれた冒険者居住区、ゴブレットビュート。その名の通り杯型をした大地の南端周縁部に、アパルトメント〝ナナモ大風車〟は堂々と屹立していた。
案内された部屋は四階にあった。が、それはあくまでロビーから数えた場合の階層である。窓から見えるアパルトメント基底部までの高低差は、実際に上がってきた階層分の優に倍はあった。
「下のほうには風車の機関室があるのかな?」
「ああ、もしかしたら、そうかも?」
クローゼットから掃除用具を引っ張り出してきたアルテュールは、ヴァヴァロの隣から窓の外を覗いた。
荒野の只中にありながら、ゴブレットビュートは豊富な水に恵まれていた。女王の名を冠した大風車が谷底の川から汲み上げているのだ。
汲み上げられた水はアパルトメントと一体化した風車塔から滝になって流れ落ち、居住区の中央部に築かれた広場を通りながら、また滝となって谷底へと流れ落ちていった。
「さすがというか、やっぱりウルダハはすごいね」
ラベンダーベッドの長閑な雰囲気に比べると、ゴブレットビュートは〝豪奢〟の一言に尽きた。水道が整備され水に不自由しないどころか、広場には絢爛なプールまで併設されているのだから驚嘆してしまう。それだけウルダハが、冒険者の囲い込みに力を入れているということだろうか。
「他の居住区より見劣りするなんて、ウルダハの面子が許さないだろうしな。気合いは相当入れてるだろ」
「そんな感じだよね。はー、前に来たときはほとんど更地だったのになあ」
ヴァヴァロがゴブレットビュートに足を運ぶのはこれが二度目だった。一度目は冒険者居住区の情報が解禁され、皆で意気揚々と見学に来たときだ。
あの頃は〝成約済み〟の立て札が分譲された土地にちらほらと立っている程度で、アパルトメントも建設途上だったから、久方ぶりに訪れたゴブレットビュートの様変わりぶりには度肝を抜かれてしまう。
「それにしても」
ひとしきり窓の外を眺めて満足すると、ヴァヴァロは室内を振り返った。
こぢんまりとした宿の一室程度かと思いきや、アルテュールの隠れ家はなかなかに広々としたものだった。ベッドだけでなく、ソファとダイニングテーブル、戸棚を置く十分な余裕があり、簡易ながらキッチンストーブとシンクも設置されている。おまけに歩いて入れるクローゼットと浴室まであるのだから、まったく驚きの連続だ。
「……こんないい部屋ほったらかしにしてたの?」
「もったいないっすよねー」
半ば呆れたようなヴァヴァロの視線に、アルテュールは気の抜けた返事をする。
「ほんとだよ。せっかくおうちの部屋より立派なのに」
室内に配された調度品はいずれも瀟酒な造りをしていた。ザナラーン調を基本にしながら、ソファや絨毯などは異国の物がさりげなく取り入れられている。
ラベンダーベッドの彼の部屋はなんとも質素だから、それを思うとまるで別人の趣味のようだが、上質だが華美過ぎないよう整えられているあたり、やはりアルテュールらしくも感じられた。
「それじゃ悪いけど、掃除の手伝いよろしくな」
「はあい。とりあえず換気しよっか」
「だな。玄関開けてくる」
「うん」
アルテュールは玄関扉と框の間に適当な物を挟み、軽く開いたままに固定する。長期の不在で澱んでしまった部屋の空気も、乾いた荒野の風がじきに吹き流していくだろう。
「このソファって、サベネアの?」
続いては、手分けをしての拭き掃除である。背が高い家具はアルテュールが、低い家具はヴァヴァロが。ざっくりとした分担の下、とりあえず手近なところから取り掛かることにしたヴァヴァロは、真鍮のソファフレームを拭きながら尋ねた。
アルテュールは戸棚を拭く手を休めて振り返った。
「んや、コルヴォらしいよ。あーでも、近いんだったかな、サベネアとコルヴォって」
「へえ、コルヴォの家具ってこんな感じなんだ。お洒落だねえ」
肘掛けのついたソファは茜色の布張り。手触りの良いその布に織り込まれた幾何学的な模様は、コルヴォ地方に咲く花を現したものだろうか。独特ながら優美な曲線を描く黄道色のフレームも相まって、いかにも異国情緒ある一品だった。
「だろ? まあ洒落てるなと思って選んだだけで、違いはよく分かってないんだけどね、俺も」
そんなことを笑って喋り合いながら掃除を進め、太陽が真上に差し掛かる頃にもなると、そこかしこにうっすらと積もっていた埃もすっかり拭き去られ、部屋はさっぱりと心地よい雰囲気に生まれ変わっていた。
「こんだけやれば、とりあえず今日は泊まれるかな。ありがとな、助かったよ」
天蓋つきのベッド、その縁に腰を下ろしたアルテュールはほっと一息つくと、隣に座る恋人にしみじみと感謝を述べた。
「どういたしまして。後で足りない物も買いに行かないとね」
「だな。まずはヴァヴァロの服探しに行って、その帰りにいろいろ買い足そうか」
ヴァヴァロは首を傾けた。
「服探すの、明日でもいいよ? 先に日用品買ってきちゃわない?」
あまり使われてこなかったせいか、部屋には足りない日用品があれこれとあった。一泊だけならとにかくも、もし何泊かするのなら、早めに用意したほうが不便も少ないだろう。
アルテュールは気さくに肩を竦めた。
「新しく仕立てるなら、注文は早いほうがいいだろ? 日用品なら居住区の店でも買えるだろうし、もともとヴァヴァロの服を探しにウルダハまで来たんだしな。そっちを優先しようぜ」
「そ、そう? じゃあ一休みしたら、お出かけしよっか」
「ん、そうしよう」
そう身構える必要もないのだが、流行の発信地ウルダハにわざわざ自分の洒落着を仕立てに赴くのだと思うと、やはりむず痒いものがあった。
そわそわする心を誤魔化そうと、ヴァヴァロはベッドを眺め回した。
「天蓋つきのベッドなんて初めてだな。なんかお嬢様になったみたい」
四隅に柱が立ち、しっかりとした天井が備えられた、贅沢なほど広いベッド。三方は透かし彫りされた木製の目隠しで塞がれていて、帷がなくともちょっとした個室のような趣がある。
「いいだろ、これ。気に入ってんだ。こもってる感じがして」
ヴァヴァロはくすくす笑う。
「アルテュール好きだもんね、洞窟っぽい空間。ね、試しにカーテン閉めてみてよ」
「お、いいよ、ほら」
アルテュールがタッセルを解くと、束ねられていた帷は滑らかな衣擦れの音とともに下り、ベッドを薄闇に包んだ。窓から伝わる街の微かなざわめきも途絶え、空気はしんと静まり返る。
(──……?)
なぜだが胸の鼓動がどきりと跳ねた。
帷が下りた。ただそれだけのはずなのに、急に世界のすべてが遠退いたような、奇妙な感覚。
アルテュールが振り返った。暗がりではっきりとは見えないが、微笑んでいるのが気配で分かった。
「お、おおー。本当に洞窟みたいだね」
正体不明の胸の高鳴りを掻き消そうとしたヴァヴァロの声は、わずかに上擦ってしまう。
「だろ? なーんか安心するんだよな、こういう場所」
「わ、わ」
アルテュールはヴァヴァロの手を優しく引くと、当たり前のように共に寝転び、腕の中にぎゅうっと閉じ込めてしまう。
ヴァヴァロの鼓動はますます忙しなくなった。身を寄せ合うのはもはや日常茶飯事だというのに、どうしてこんなに落ち着かない心地がするのだろう。
「どうかな、この部屋。気に入った?」
「ふえ? う、うん、おしゃれで素敵だなと思ったよ?」
改めて尋ねられ、ヴァヴァロはどぎまぎしながら目を瞬かせた。
アルテュールは「そっか」と安心したように笑う。
「じゃあ、こっちにいる間に合鍵も作っとかないとな。ヴァヴァロが一人の時も使ってくれて構わないからさ、自分の部屋だと思って寛いでくれると俺も嬉しいよ」
「い、いいのかなあ。そんなに良くしてもらっちゃって。私、なんにもしてないのに」
遠慮するヴァヴァロの額にアルテュールは頬を寄せる。
「いーのいーの。もともと俺の都合で買ってほったらかしてた部屋なんだから。これからはさ、二人でゆっくりしたいときはここに来よう。ここなら時間も人目も気にしなくて済む」
そう話すアルテュールの声は、どこまでも穏やかだ。高鳴る鼓動に愛しいぬくもりが重なって、ヴァヴァロはアルテュールの頬に額を擦り返す。
「うん、ありがとう。へへっ、なんか二人暮らしするみたいで、ちょっと照れくさいね」
「少しな。あ、皆には内緒だぞ? 二人だけの秘密な?」
「ふふ、はあい」
くすくすと笑い合うと、二人はしばし、薄闇の中で見つめ合った。自然と唇が重なる。どちらからともなく交わされた口づけに、ヴァヴァロを戸惑わせていた緊張はゆっくりと解けていく。
アルテュールの大きな手が、慈しむように頭を撫でてくれる。その感触が心地よくて、ヴァヴァロをうっとりと目を瞑った。
「……アルテュールに撫でてもらうの、好き……」
とろりと蕩けた声に、アルテュールの指がぴくりと震えた。何か言いかけ、しかし何も言わずに口を噤むと、ヴァヴァロの頭をそっと胸に抱き込む。恋人の愛らしい頭頂部に唇を寄せ、穏やかな手つきのまま、黙って撫で続けてやる。
「ん……気持ちいい……」
アルテュールはふっと笑うと、いまにも眠ってしまいそうなヴァヴァロの肩を軽く揺らした。
「そろそろ出ようか。ほら、起きて」
「んん……じゃあ、支度するね」
すっかり力が抜けていたヴァヴァロは、もぞもぞと身体を起こすと、小さく欠伸をする。いい気分だったのにな、と少しだけ惜しく思いながら、アルテュールを手伝って帷を束ねた。
薄闇が晴れると一気に現実に引き戻されるようで、結局自分が何に緊張したのかも分からないまま──むしろ緊張したことさえ忘れたまま、ヴァヴァロは外出の準備に取り掛かった。