影より出でて(07)

「またダメかあ」
 集落の広場、家屋のない方角に投げた魔土器は、小気味良い音を立てて割れた。そして、それだけだった。
 土器に籠っていた魔力が霧散するのは感じられたが、目眩しの魔法が発動することはなかった。
 アルテュリューはがっくりと肩を落とす。これで二度目の失敗だ。なんとなく結果の予想はついていたが、実際に失敗を目の当たりにすると、やはり残念だった。
「魔力の込め方が足りないんだろうよ。まあ、そう簡単にいくとは思わないことだ。根気よく作り直しな」
 土器の破片を杖先で小突きながら祖母は素気無く言う。アルテュリューは悄気た顔で頷いた。

 ──魔法の誤爆を防ぐため、魔紋は正確でなければならない。割ることが前提だから、厚みは通常の土器よりも薄く。硬く焼きすぎても、焼き足りず脆くなってもいけない。火の魔法を封じるのはもちろん厳禁。森で火の扱いを誤れば精霊の怒りを買う。とはいえ事故も想定し、精霊の報復を防ぐ結界術も覚えるように。
 ここしばらく続いた祖母の指導を頭の中で反芻しながら、アルテュリューは一人森の中を歩いていた。
 魔土器作りはその後も失敗続きだった。魔紋は正確に彫れるようになってきたから、祖母の言うように魔力の込め方が足りないか、そもそも込め方自体が間違っているのだろうと、自分でも見当はついているのだが。とにかく一度行き詰まってしまい、今日は気分転換である。
 お気に入りの洞穴まで来ると、ひやりと冷たい岩壁に背を預けて座り、深呼吸を繰り返した。洞内のしっとりと冷たい空気を肺いっぱいに吸い込むと、次から次へと詰め込まれる知識に些か疲弊していた頭が、いくらかシャキッとするようだった。
 アルテュリューは深く昏い森をぽかんと眺める。こうして一人で過ごすのは、思えば少しばかり、久しぶりだった。近頃は何をするにもたいてい大人の目があったし、遊びに出れば──これは幸運なことだが──ソフィアヌに会えた。
 いつもは退屈だと感じる一人の時間も、忙しない日々の合間なら、たまには悪くないかもしれない。そんな背伸びなことを思いながら、アルテュリューはポケットから緑の宝石を取り出す。掌の上で宝石を撫でると、小さく笑んだ。
 クプラとクポリは元気だろうか。助けてもらったあの日以来、二人の演奏は聞こえてこないけれど、もう森の別の場所に行ってしまったのだろうか。またいつか、会えたら嬉しい。会えて一緒に音楽を楽しめたら、なお嬉しい。
 ひとつ息を吸い、宝石を大事に握りしめると、アルテュリューは洞内に向かって歌う。モーグリたちの演奏こそないが、洞窟は、森は、いつだって音にあふれている。洞内に滴り落ちる水の音がする。静かに森を揺らす風の音がする。鳥のさえずりが聞こえる。黒衣森を伴奏に心のままに歌う。
 歌声は洞内に綺麗に響いた。こうして歌うのも思えば久しぶりで、歌うほど心が軽やかになるようだった。
 ──ああ、好きだな、と灰色の少年は微笑む。歌うのが好きだ。歌はきっと自分にとって──。
「──……?」
 不意に感じた気配に、アルテュリューはぴたりと口を噤んだ。
 不穏な気配だった。射抜くような鋭い視線。森のどこからか、自分を見ている者がいる。
 急速に不安が込み上げてきて息を潜めた。昏い森を怖々と見渡す。脳裏に蘇ったのはソフィアヌの言葉だった。こういう場所には野盗が住んでいるかもしれない。彼女はたしか、そう言っていなかったか。洞内に人が暮らしている気配はない。だが思えば、新たな住処を求めて野盗がやってくる恐れだって──。
「誰かと思えば、坊やじゃないか」
 張り詰めていた気配が緩んだ。間近の木から器用に着地した人影にびくりと肩を竦めたアルテュリューだったが、それが見知った人物だと分かると脱力した。
「こ、こんにちは」
 目深く被ったフードに、藍色の肌。そして、顔の刺青。──両親の商店を度々訪ねてくる馴染みの客だ。
「綺麗な声で歌うもんだな。こんな森の中で歌ってる奴がいるもんだから、妙な魔物かと思ったよ」
 男は相変わらず胡乱な雰囲気を纏っていたが、声は柔和なものだった。気安い調子で洞穴に入ってくると、興味深そうに洞内を見渡す。
「こんな場所があったんだな。へえ、誰も使ってないのか?」
 その言葉に焦るものを感じ、アルテュリューは思わず声を上擦らせる。
「あのっ、僕、ここでよく遊んでてっ」
 少年の必死な様子に男は破顔した。
「そうか、ここは坊やのお気に入りか」
 少年の頭をくしゃくしゃ撫でると、男は背後を指差す。
「どうだい、これから親父さんの所に顔を出しに行くんだが、坊やも一緒に帰るかい」
「んと……」
 意外な誘いにアルテュリューは目を瞬かせた。困惑して言い淀んでいると、男は背負っていた袋を掲げてみせる。
「久々に肉が獲れてな。親父さんには世話になってるから、たまには差し入れのひとつでもと思って、持っていくところだったんだ」
 袋の膨らみからして、獣の枝肉であろうことは察しがついた。しばし迷った末、アルテュリューは頷く。
「一緒に行きます」
 本当はもう少し遊んでから帰りたかったけれど。断るのも悪い気がして、男と並んで歩き出した。
 今日の彼は妙に機嫌が良さそうだった。その横顔をちらちらと見上げて、アルテュリューは思い切ったように口を開く。
「おじさんは」
 一瞬、躊躇う。森の何処からともなくやってくる彼ら。何を生業にしているのか窺い知れない店の客たち。その筆頭のような、隣の男。
「猟師なんですか?」
 問われた途端、男は弾けたように笑い出した。あまりにも景気良く笑うので、何かおかしなことを言ってしまっただろうかとアルテュリューは赤くなる。
「そうかそうか。親父さんはなにも言ってないのか。ま、それも当たり前か。そうだな、猟師みたいなモン・・・・・・・・だよ」
「はあ……」
 目尻に涙を溜めるほど笑った男は、すっかり恥ずかしそうにしている少年の頭を撫でるように叩いた。
 男の意をまったく掴めず、アルテュリューは曖昧な返事をするほかなかった。
 息子と共に現れた男をぎこちない笑顔で迎えた母は、男の隣からそれとなく息子を引き剥がした。
 存外強く肩を抱き寄せられ、アルテュリューの胸はなぜか後ろめたさに疼いた。だが、母がそうする理由を聞くことは、やはりできなかった。
 なんにせよ、男のおかげでその日の食事には具材が一つ増えた。父は男の親切を沁み沁みと喜んだ。そんな父の横顔に母が仕方なさそうに笑うのを垣間見て、アルテュリューは妙にほっとするのだった。

 ***

「僕も行っていいの!?」
 遭難騒動からしばらく経った、ある朝のこと。
 父から支度をするように言いつけられたアルテュリューは、興奮のあまり声を上擦らせた。なんの支度かと言えば──グリダニアへ向かうための支度だ。
「アルテュリューももう六つだからな。父さんの仕事、手伝ってくれるよな?」
「手伝う! ます! いっぱい!」
 頬を紅潮させ、いつになく元気に答える息子の頭を父は微苦笑しながら叩いた。
「よし。じゃあ、鞄を取っておいで」
「はい!」
 転がる勢いで鞄を取りに行った息子が息を弾ませて戻ってくると、母は視線の高さを同じくした。支度の勢いに乱れてしまった髪を指で梳いて整えてやる。
「いい? グリダニアは大きな街だから、ぜったいにお父さんのそばを離れてはだめよ。お父さんの言うことをよく聞いて、迷子になったりしないようにね。それと、お行儀よく振る舞うのを忘れないこと」
「うんっ」
 力いっぱい頷いたアルテュリューは、ふと首を傾げた。
「お母さんは行かないの?」
 母はほんのりと笑む。
「お父さんが留守にするから、お母さんはお店番をしておかないと」
「そっかあ」
 父が留守のときは決まって母が店番をするから、いつものことではあるのだが。今日は自分が連れて行ってもらえるくらいだから、てっきり皆で出かけられる特別な日なのかと思ってしまった。
「さ、行ってらっしゃい。日が落ちる前には帰ってくるのよ」
 残念がる息子の額に一つ口づけを落とすと、母は二人を見送りに戸口に立つ。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ええ、気をつけてね」
 父も背嚢を背負うと、息子の小さな手を取った。
 引かれるまま、アルテュリューはふわふわと夢見心地で歩き出す。いつか訪ねられたらと、そう憧れていたグリダニアに行ける日が、こんな急に来るなんて!
 そう、グリダニア。母の故郷。かつてゲルモラから地上に出た人々が築き上げた、森の都。ソフィアヌがときおり親に連れられていき、祭り事に遭遇する大きな街。
 祖母ほどではないにしろ、父も精霊信仰やグリダニアにはあまり良い顔をしないから、連れて行ってもらえるとしても、もっと大きくなってからだと思っていたのに!
 集落の外れまでのほんの短い道すがらに、アルテュリューの頭は両親やソフィアヌから聞いたグリダニアの話題でいっぱいにあふれかえった。
 話に聞くばかりだった世界にこれから自分の足で向かうなんてやはり信じられなくて、思わず父の顔を見上げ、そして母を振り返る。
 母と目が合った。家の前に一人静かに佇んでいた母は、微笑んで手を振ってくれる。
 ──一瞬。佇む母の姿に一瞬だけ、寂しさが胸に去来した。あまりにも刹那のことで、それが感情の起伏だったと感じ取ることもできないまま、少年は母に大きく手を振り返す。
「──行ってきます!」

 ***

 草を踏み分けただけの小道をしばらく進むと、じきに大きな道に出る。さらにこの道を東に進めば、それほど歩くことなくグリダニアに至る──らしい。
 そう聞かされてはいたが、なにしろ実際に赴くのは初めてのこと。果樹園との境の小川同様、子供だけで大きな道に出るのは厳しく禁止されていたから、小道を抜けた先はアルテュリューにとって、すでに未知の世界だった。
 父に導かれるまま、これまでは木立から遠巻きに眺めるだけだった世界にあっさり踏み込んでしまうと、アルテュリューは興味深く周囲を見渡した。
 荷車がすれ違えるほどの幅がある土の道。道幅がある分、空は道に沿って樹冠の間から細く長く覗いていた。まだ陽が高くないため明るいとは言い難かったが、前方には見通せる限り道が延びていて、開放感めいたものを感じられた。
「お父さん、森ってどこまで続いてるの?」
 とはいえ、視線を道の脇に戻せば見慣れた森の景色が広がるばかりだ。行けども行けども、樹齢何千年かというような樹々が途切れる気配はまるでなかった。
 息子の疑問に、父は困ったように首を傾げる。
「さあ……どうだろう。うんと遠くまで、かな」
「一日中歩いたら、森の外に行ける?」
「一日じゃ無理だろうなあ。大人の足でも何日か掛かると思うぞ」
 アルテュリューは難しい顔をした。父がくれた本には、海と呼ばれる塩水に囲まれた土地や、砂や岩だらけの砂漠、荒野と呼ばれる土地を旅した記録も綴られていた。だが、黒衣森の外にも世界が広がっているという事実を、アルテュリューはまだ漠然としか飲み込めていなかった。
 ──もし、と少年は想像を膨らませてみる。
 自分が大人になったとき、もし旅をする機会ができたなら。お店の手伝いを少しだけお休みして、森の端まで歩いてみて。天を衝くような樹々に遮られることのない広い広い青空を、外の世界に探しにいけたら。そして青空を眺めながら、心ゆくまで歌えたら。
 きっと、とても晴れやかな心地になるだろう。
「足、疲れてないか」
「大丈夫」
「もう少しだからな」
「うん」
 延々と変わりの映えしない、ともすると方向感覚を失ってしまいそうな景色の中を、道に沿ってひたすらに歩く。
 そうして低かった太陽がそれなりに昇り、朝でも昼でもないような時分になった頃。遠目に見つけた橙色の幌に、アルテュリューは嬉しそうに声を上げた。
 辺り一面を覆い尽くす、息苦しいほどの濃い緑。その中に現れた幌の道は、そこに人の営みがあることを鮮やかに示していた。
 ──この黒衣森を領する森都グリダニア、その南東部に位置する青狢門への標である。


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