影より出でて(02)

 両親が営む商店には森の何処からともなく客がやってきた。そのほとんどは同族だったが、時にムーンキーパー族やヒューラン族が訪れることもあった。
 彼らがどこで暮らし、何を生業にしているのかアルテュリューは知らなかった。彼らは集落で栽培しているムントゥイ豆や、グリダニアから仕入れてきた道具や薬を求めにやってきては、金銭や森の恵みと引き換えに買い物をしていった。
 集落は鍾乳洞を挟んで二手に分かれていた。鍾乳洞をどちらに抜けても数家族が暮らせる程度の土地があり、商店側は大きな道に近かった。つまり、グリダニアにより近い。集落の者たちはそれを嫌ってほとんどが奥の土地・・・・で暮らしていた。全部で十家族ほどの集落だったが、道側・・にはアルテュリューの家族と祖母、叔母家族が暮らすばかりだった。
 鍾乳洞は山の岩肌を裂いたような口をしていた。一見して天然の鍾乳洞に見えるが、洞内に潜ると人の手が加わっていると分かる。緩やかな坂道は大人二人が肩を並べて歩ける程度の幅があり、天井から床に至るまで歩きやすいように手入れが行き届いていた。
 坂を降り切ると大人が十数人は集まれる広場があり、広場には古い紋章が刻まれた扉があった。坂を降り、広場を横切って扉に至るまではちょうど一直線になっている。扉の先はゲルモラ時代の居住区に繋がっているという話だったが、今は祖母の結界で固く閉ざされていて、誰も祖母の許可なく立ち入ることができなかった。
 道は広場からさらに二方に分かれている。一方は集落の貯蔵庫へと続いていて、もう一方は奥の土地まで坂が続いていた。その途中には横穴がいくつもあり、ムントゥイ豆の栽培に使われていた。

「アルテュリュー、あんた手が空いたらうちの子を見ていてちょうだい」
「うん」
 商店、といっても頻繁に来客があるわけでもなく。
 アルテュリューの両親も一日の大半は日々の糧を得るために集落の皆と働いていた。今日は婦人たちで地下貯蔵庫の整理を行うらしく、先に発った母を追って叔母も直に出るようだった。
 アルテュリューは日課の掃き掃除を済ませると、店内にいる父のもとに顔を出す。
「おばちゃんちに行ってくるね」
「ああ、チビたちの面倒か」
 帳面を片手に在庫の確認をしていた父と軽く手を挙げ合い、アルテュリューは踵を返す。
「父さんが代わろうか? お前は遊んできてもいいんだぞ」
 不意に呼び止められて振り返った。
「二人と一緒に遊ぶよ」
「そうか」
 微苦笑する父に見送られ、目と鼻の先にある叔母の家に向かう。叔母は幼い二人の我が子をアルテュリューに託すと、足早に鍾乳洞へと出かけていった。
 赤子の頃から毎日のように接しているから、従弟妹二人の面倒を見るのは慣れたものだ。二人とも言葉こそまだ拙いがよく懐いてくれているし、アルテュリューも二人のことを可愛く思う。
 二人と一緒に森で遊べるようになったらきっと楽しいだろう。三人いれば洞窟の探検だって捗る。そこにソフィアヌもいてくれたら、きっともっと楽しい。
「二人ともムントゥイ豆みたいにすくすく大きくなるんだよ。大きくなったら一緒に森で遊ぼうね」
 従弟妹たちをぎゅっと抱き寄せよくよく言い聞かせる。言われた意味を分かっているのかいないのか、無理矢理に頬を寄せられた幼子たちはきょとんとするのだった。
 それからしばらく三人で歌ったり踊ったり、たまに二人の喧嘩を仲裁しながら過ごしていると、遠くから荷車を引く音が聞こえてきた。
「お父さんが帰ってきたみたいだよ」
 二人の手を引いて表に出ると、子供たちに気がついた叔父が手を挙げた。叔父は荷車を片付けると、幼い我が子たちを抱き上げた。
「いつも悪いなアルテュリュー。助かるよ」
「二人とも良い子だったよ。ね?」
 従弟妹たちの頭を撫でながらアルテュリューは笑う。
「おじさんの家族は元気だった?」
 叔父は近隣にある別の集落の出だった。ここと同じくシェーダー族の集落だそうだが、暮らし向きはあまり良くないのだと聞く。叔父は父の商いを手伝う側ら、融通してもらった集落の食糧や物資を届けに時々里帰りをしていた。
「おかげさまでね。今日は豆を多めに持っていけたから、皆喜んでたよ」
「よかった。今年もたくさん豆が獲れるといいね」
 そうだね、と笑い、叔父は目を細めた。
「アルテュリューはますます義兄さんに似てきたな」
「それ、この間も言われた」
 アルテュリューはくすぐったそうに笑った。岩肌に溶け込みそうな灰色の肌も、墨色の髪も、その顔立ちも、父親にそっくりだと集落の誰もが言う。柘榴色の瞳と目元は母親似だ、とも。

 叔父と別れ、父のもとに戻ろうとしたアルテュリューは森からやってくる人影に気がついた。見覚えのあるその人影にわずかに身体が緊張する。
「こんにちは、道士様」
 果樹園に駐在しているヒューラン族の道士だった。鬼哭隊の護衛を連れた道士は躊躇なく集落の土地に踏み込んでくると、緊張した面持ちのアルテュリューをじろりと睨んだ。
「大人を呼んでいただけますか」
「今日は一体、何の御用で?」
 アルテュリューが答えるまでもなく、声を聞きつけた父が店から顔を出した。不機嫌さを隠そうともしない父に道士も冷ややかな視線を返す。
「集落の様子を見させていただきますよ」
 父は小馬鹿にするように鼻で笑う。
「どうぞご勝手に。懲りもせず律儀なことで。精霊様・・・のご機嫌を損ねるようなことなんて何もしちゃいないよ」
 道士は定期的に果樹園からやってきては、集落が森の意志に反していないかを確認していった。集落はそもそもが精霊嫌いのシェーダー族の集まりだから、道士の訪問はおよそ歓迎されていない。それでも来訪を受け入れるのは、頭から「森の不心得者」と見做されていることへの反発だった。
「道士様」
 成り行きをはらはらと見守っていたアルテュリューは、母の声にほっとして振り返った。作業が一区切りしたのか、母と叔母が並んで鍾乳洞から出てきたところだった。道士の姿に気がついた母が慌てた様子で駆けつけてくる。
「道士様、ご機嫌麗しゅうございます。果樹園の管理だけでもお忙しいでしょうに、いつもこちらまで気にかけてくださって、ありがとうございます」
 母は父と道士の間に割って入った。咄嗟に口を挟もうとした父をそれとなく抑え、道士とその護衛に敬意を表す。
「そこに人の営みがある以上、森の秩序が保たれているか検めるのは道士の責務です。礼には及びません」
 依然として厳格な態度を崩さない道士相手に笑みを崩さず、
「私で差し支えなければ、集落を案内いたしますわ。さあ、こちらへ」
 いまだ不満げな夫を横目で宥めると、母は道士の視察に同行を申し出た。母が同行するのは珍しいことではない。道士の来訪に折りよく居合わせると必ず同行して、集落や周辺の森の様子を当たり障りなく伝えていた。父はそんな母をいつも渋い顔で見送った。
 母に着いて行こうとしたアルテュリューの肩を父が押さえた。見上げると有無を言わさぬ瞳で頭を振られ、アルテュリューは俯いてその場に留まった。
「何が嬉しくて道士に媚を売るんだか」
 成り行きをむっつりと見守っていた叔母が母の背に向かって鼻を鳴らした。
「よせ。好きにさせてやればいいだろう」
 聞こえよがしの嫌味に父が苛々と言い放つ。叔母はうんざりしたように父を睨んだ。
「兄さんがそうやって庇うから、いつまで経ってもグリダニアの流儀とやらが抜けないのよ。あたしらがいつ森を荒らしたって? グリダニアの連中と来たら、あたしらを端から無法者扱いして! 本当に腹の立つ連中だよ」
 ──道士の来訪は集落に不和を呼び込む。その不和の中心に母がいることが居た堪れなかった。アルテュリューは父の手からするりと抜けると、父の静止を振り切って母を追った。母に追いつきその手を握ると、母は驚いたようにアルテュリューを振り返ったが、すぐに微笑んで手を握り返した。
 鍾乳洞の入口には祖母の家がへばりつくように建っている。その家の前、日当たりの良い場所で椅子に腰掛けていた祖母は、鍾乳洞に潜ろうとする道士をじろじろと睨んだ。枯れ木のように不気味な祖母の視線をやり過ごしても、奥の土地に出れば道士に注がれる冷ややかな視線は格段に増える。
 道士も道士で、自身に降り注ぐ刺すような視線など意に介さず、まるで何かを暴こうとするように──精霊の声を聞くよりも重要そうに──集落中を隈なく見て回るものだから、子供心にも同行していて良い気分はしなかった。
 集落はこれからしばらく刺々しい空気に包まれることだろう。その様子がありありと想像できてしまい、アルテュリューは思わずため息を吐きそうになるのだった。

「森は我々人のものではなく、精霊のものであることをゆめお忘れなきよう。我々は森に暮らすことを許されているに過ぎず、森の掟を守ってこそ、この森で生きていくことができるのです」
 ひと通り集落の様子を見終えると、道士は決まってこう言った。当然、母以外は誰も耳を傾けないが。今回も揉め事なく視察が終わって、アルテュリューはほっと胸を撫で下ろした。
──貴女はグリダニアから嫁いでいらしたのでしたか」
 道士とその護衛を果樹園の近くまで見送る道中、珍しく道士が口を開いた。アルテュリューは母の横を歩きながら、意外に思って道士の顔を盗み見た。最前から変わらず厳しい顔つきのままで、何を考えているのかは窺い知れなかったが、口調は幾分か柔らかいように感じられた。
「ええ、夫とはグリダニアで出会いまして」
 母も意外に思ったのか、驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔和な笑みを浮かべた。
 集落の者たちは果樹園と関わりを持ちたがらなかったが、母は時折、独りで果樹園に赴いていた。これほど近くに暮らしているのだから、果樹園の人々とも交流を持つべきだと、父が止めるのも聞かずに。道士が母のことを聞いたのも果樹園でのことだろう。
「同族とはいえ、折衝役に立ち回るのは気苦労が多いでしょう」
 含みのある道士の言葉に母は苦笑した。
「望んでやっていることですので」
 小川の橋まで来ると、母は道士たちに重ね重ね礼を述べた。その礼を素気無く受け取ると、道士たちはさっさと橋を渡ってしまう。ぎし、と踏まれた弾みに橋が不気味な音を立てた。
 道士たちの背が遠ざかると、母は最後まで着いてきた息子の手を揺らした。
「さあ、私たちも帰りましょう。アルテュリューが一緒に来てくれて、お母さん、頼もしかったわ」
「う、うん」
 却って母に気を使わせてしまった気がして、アルテュリューは気恥ずかしくなる。
 来た道を戻りながら、アルテュリューは集落の皆を思った。父や叔母はまだ不機嫌にしているだろうか。これでしばらくは道士も来ないのだし、早く機嫌を直してくれると良いのだけれど。道士もあんなに嫌味な言い方をしなくていいのに、と内心で唇を尖らせるアルテュリューの耳に微かな声が届いた。
『わざわざこちらから足を運んでやっているというのに、連中の不遜な態度には毎度腹が立ちますよ。あの奥方もお気の毒に。わざわざ蝙蝠どものところに嫁いでこなければ、今もグリダニアで平穏に暮らしていたでしょうに』
『まあ、あの集落の者たちはシェーダー族にしては行儀が良いほうですから』
 アルテュリューは足を止めかけ、慌てて何事もなかったように歩き出した。──母の耳に、届いていなければいいと思う。
 堪らず母の手を強く握ってしまい、母が不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「う、ううん。なんでもない」
 否定しながらもアルテュリューは道を急ぐように母の手を強く引く。少しでも早く声が届かない所まで遠ざかりたかった。
 懸命に自身の手を引く息子に母は目を伏せた。
「ねえ、アルテュリュー。生きていると、ままならないことが沢山起こるけれど」
 アルテュリューはハッと母を見上げた。
「どんな時でも他人ひとと誠実に向き合うことを忘れずにいたら、いつかきっと手を取り合える日が来るって、お母さんはそう思っているの。だから何も落ち込むことはないのよ」
「……うん」
 ──心からそう思っているのなら、どうしてそんなに寂しそうな瞳をしているのだろう。
 思わずこぼれ落ちそうになった言葉を飲み込み、気丈な笑みを浮かべる母にアルテュリューは頷くことしかできなかった。

 


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