荒野の娘たち(前編)

「──だから、いつも言ってるだろう、ノギヤ。勇敢と無謀を履き違えるなって。姉さんたちが助けにきてくれなかったら、どうするつもりだったんだ」
 ヌンの住家、その居室。
 敷物の上に座らせられていたノギヤは、ばつが悪そうにヌンから目線を逸らした。
「……今日はイケると思ったんだもん」
 唇を尖らせる娘に、ヌンはやれやれとため息をついた。
「危うく丸焦げにされるところだった奴が言う台詞じゃないな。まったく、弓までダメにしちまいやがって」
 ヌンはノギヤの弓を取り上げると、矯めつ眇めつして見る。ドレイクの炎に焼かれた弓は、すっかり無用の長物と化していた。
「ノギヤ、狩りの基本は?」
 弓の残骸を置くと、ヌンはまだ幼さの残る娘に厳しい瞳を向けた。
「……辛抱……」
 ヌンの視線に気圧されて、ノギヤは消え入りそうな声で答えた。
 事の成り行きを見守っている姉たちの視線が身が縮まるほど恥ずかしい。
「今日のお前が反省すべき点は?」
「一人じゃ狩れない相手に飛びかかった。……飛びかかりました」
「今回が初めてじゃないな?」
「三回目、です」
「──いいか、ノギヤ。死んじまったら何もかもがそこまでだ。命と引き換えにその日の糧を仕留めてどうする。そんなバカげた話があるか? もっと後先を冷静に考えろ。ここでお前を失って、その代わりに家族がしばらくの糧を得たとして、伸び盛りの若い狩人を失うほうが家族にとっては長い目で見て痛手だろう。わかるな?」
「本当? アタシ、これからまだまだ伸びると思う!?」
「いま気にするのはソコじゃねえ!」
「あいたっ!」
 ぱっと目を輝かせるノギヤにヌンのゲンコツが炸裂する。
 父娘のやりとりを見守っていた一人の老婆がくつくつと笑った。
「どうしたの、おばあ」
 老婆の隣で膝を抱いて座っていた胡桃色の髪の少女、ラヤンは首を傾げた。
「いや、なに。チャカも立派なことを言うようになったもんだと思ってねえ?」
 ヌンの母、つまるところノギヤたちの祖母である老婆が含みたっぷりにそう言うと、娘たちはこぞって身を乗り出した。
「なになに、またヌンがティアだったころのはなし? 聞きたーい」
「ああ、いいとも。昔々──」
 にっこりと長話を始めようとした老婆の言葉をヌンは咳払いで遮った。
「母刀自殿、思い出話も結構ですが、今は娘に反省を促さねばなりませんので」
息子の言葉に一瞬、口を噤んだように見せた老婆は、どこ吹く風と視線を孫たちに戻した。
「──昔々、チャカがまだ尻尾も伸びきらない小僧だった頃、ヌンの言いつけを破って、手柄を立てようと一人で狩りに出てねえ。日が暮れても帰ってこないもんで、そりゃもう皆で心配して──」
「かあちゃん!!」
 声を張るヌンに今度こそ口を噤んだ老婆だが、その顔には少しも悪びれた様子がない。居室に娘たちの忍笑いが満ちた。
「──とにかく! 新しい弓が調達できるまで狩りへの参加は禁止する。ノギヤはばあさんやラヤンと一緒に村の世話をしているように!」
「や、やだやだ! アタシだって、早く姉さんたちみたいな一人前の狩人になりたいんだ! ぜったい一緒に狩りに出る!」
 ぴしゃりと宣告され、ノギヤは思わず跳び上がった。
「得物は?」
 ヌンの鋭い眼差しにノギヤは言葉に詰まる。
「や、槍とか!」
「ノギヤが使えそうなの余ってたかなあ」
 これには姉から疑問の声が上がる。
「拳で!」
「素手は無理でしょー」
 これもまた、別の姉から首を傾げられた。
「じ、じゃあ追い込み役をやる!」
「ノギヤにはまだ難しいと思うなー」
「ドレイクに火ぃ吹かれてあたふたしてるようじゃねえ」
「じゃあ、じゃあ……」
 誰からの助け舟も期待できないまま、是が非でも狩りに帯同しようとノギヤは頭を搾ったが、
「返事は?」
「……はぁい……」
 妙案も浮かばぬままヌンに有無を言わさぬ瞳を向けられ、いよいよ観念した。

 

「あーあ、叱られちゃった」
 ヌンの住家から戻りながら、ノギヤはゲンコツを喰らった頭をさすっていた。
「仕方ないよ。本当に、姉さんたちが駆けつけてくれなかったらどうするつもりだったの?」
 ラヤンはノギヤの隣を歩きながら、彼女の衣服についた煤を手で払い落とそうとしていた。ヌン譲りの白い髪も、日によく焼けた褐色の顔も、ドレイク狩りの失態ですっかり煤にまみれていた。
「だってあのドレイク、全然こっちに気づいてなかったんだもん。矢だって惜しいところ掠ってたし」
「まあ、一人前になりたいって焦るノギヤの気持ちも分かるけどね。チャカの言うとおり、命を落としちまったら元も子もないからねえ」
 ノギヤは二人の後ろを歩く祖母を振り返った。
「ねえ、おばあ。本当にヌンにも半人前の頃があったの?」
 祖母は時折、衆目も憚らずヌンをからかうが、ノギヤには想像できない。
 ヌンに獲れない獣はなく、弓も槍も巧みに扱う。ヌンの采配があれば狩りが失敗に終わることはないに等しい。稽古では丸腰のヌンにいなされてばかりで歯が立たなかった。そんなヌンに半人前の時代が存在するとは到底考えられなかった。
「もちろんあったとも。ノギヤにみたいにいつも背伸びをしていてね。先走っては怪我をしたり得物をダメにしたり、散々ヌンに絞られてたもんさ」
 祖母のいうヌンとは、ノギヤたちの祖父にあたるヌンのことだ。
「ちっとも想像できないなあ。ヌンがあたふたしてるところって見たことないし。ヌンが獲れない獲物っていままでいなかったし」
 どれほど祖母がからかおうと、ノギヤにとってヌンは偉大なハーレムの長であり、憧れの狩人だ。いつかヌンに一人前の狩人だと認められたい、その想いがノギヤの原動力だった。
「まあとにかく、ヌンの言うことはしっかりお守りよ。成功も失敗も多い男だからね。経験者の話によおく耳を傾けておいて、損はないだろう?」
「おばあ、ヌンには辛辣だよね」
 ラヤンに呆れ気味に言われ、祖母はかんらからと笑う。ひとしきり笑うと、目を細めて孫たちの頬に皺深い手を当てた。
「なんにせよ、チャカだって娘を失いたくないのさ。指導が手厳しくなるのも当然だろう? ──さあ、ひとまずその煤だらけの身体をどうにかしておいで」

 ──ザナラーン地方の東。
 見渡す限りの荒野、太陽が全てを等しく灼き続けるこの地にミコッテ族イ氏族の小さな集落ができたのは、二十年ほど前のことだという。
 郷里に別れを告げ、海を越えてアルデナード小大陸へとやってきたイ氏族のとあるティアは、偶然立ち寄った荒野の村落でその武勇を見込まれ、水場に住み着いた魔物の退治を頼まれた。
 人々の暮らしを脅かす魔物を疾風の如く退治してみせたティアが報酬として望んだことはただ一つ。この荒野に自身の縄張りを設けることだった。
 近隣住民との交渉の末、小さいながらも自分の縄張りを獲得したこのティアは、直に妻を娶りヌンを名乗るようになった。──ノギヤとラヤンの父、イ・チャカが年若いころの話である。
 荒野を生き抜く先祖代々の知恵はなく、独占できる水場もない。家屋もなければ人手もない。財も、人脈も、何もかもが不足するなかで一から築き上げられたのが、イ・チャカの治めるこの集落だった。
 二十年余りが過ぎた今でこそ、コツコツと積まれた日干しのレンガの住居や井戸が集落らしい姿を形作ってはいるが、「嫁いだばかりの頃はひどく寂しい有様の場所だった」とは、ノギヤの母たちの口癖である。
「ヌンの生まれ故郷ってさ、水に囲まれた土地にあるって、おばあが言ってたよね」
 ノギヤは水辺で身体の汚れを落としながら、かたわらで衣服──ノギヤのものである──の煤をはたき落とすラヤンを見上げた。
「海だっけ。見えなくなるくらい遠くまで、ずーっとしょっぱいお水でいっぱいだって、おばあ言ってた」
「木も花もいっぱい生えてるんだよね。見てみたいなあ」
 ノギヤもラヤンも、そして姉たちも、この荒野に産声をあげた。
 父母こそ荒野に流れ着いた新参者だとしても、娘たちは生まれ落ちたその時から荒野の洗礼を受け、太陽が灼く大地を駆けて育ってきた。この大地こそが自分たちが生き、そしていずれ還る土地だという矜持がある。
 だからと言って、誰も外界に関心がないわけではない。祖母や母たちの口から語られる異郷のはなしはいつでも娘たちに人気だった。異郷の風土、先祖の逸話、時に語られる当人たちの冒険譚に目を輝かせない娘はいない。
 同時に、疑問に思うこともある。
「ヌンはどうしてここを縄張りにしようと思ったのかなあ。故郷なら、水に困ることもなさそうなのに」
 煤汚れを落としたノギヤは、ラヤンから受け取った衣服を着込みながら心底、疑問そうに言った。ラヤンは細い首を傾げる。
「故郷のヌンに勝てなかったからって、おばあが言ってたよ?」
 ラヤンの言葉にノギヤは頬を膨らませた。
「それはないって。だってヌン、あんなに強いんだよ? 戦って負けると思う?」
「まだティアの頃のはなしだし、ヌンにも誰かに敵わない時期ってあったんじゃないかなあ」
「うーん、まあ、そういうこともあるかもしれないけど……。ほら、縄張りが手狭になったから、新天地を求めて旅立ったとかさ。ありそうじゃない?」
「あっちはここよりも家族が多いって、おばあ言ってたもんね」
 郷里を旅立った経緯について、ヌンは多くを語ろうとしない。
 祖母や母たちが冗談めかして語るところによると、故郷のヌンに何度挑んでも勝つことができず泣きっ面で出奔したのだの、そもそも水場の魔物退治も華麗なものでなく這々の体でやっと勝利を収めたのだの、縄張りも近隣住民を散々拝み倒してようやく認めてもらったのだの、真偽不明のはなしは数知れずあった。
「ヌンはあんまり昔のこと話してくれないし、おばあも母さんたちも冗談言ってばっかりなんだもんな」
「ほんとにね」
 少女たちは笑い合い、荷物を纏め始める。
「あ、ノギヤ。まだ尻尾に煤がついてるよ」
「えー、いいよ、ちょっとくらい」
「だーめ、ちゃんと落として帰らないと」
 言って、ラヤンはノギヤに後ろを向かせるとまだ短い尻尾についた煤を払い落とした。
「おばあはよくヌンをからかうけど、一番の変わり者って、おばあだと思わない?」
「だよねえ。ヌンもおばあにだけは頭が上がらないっぽいし」
 ノギヤはラヤンの言葉に苦笑する。
 夫であるヌンを弔った後、祖母は息子であるチャカ──ノギヤたちのヌンのもとで孫たちと暮らしている。「伴侶も炎天に旅立ってしまったことだし、青二才が一丁前にこさえたというハーレムの様子でも覗きにいくかね」と、頼まれてもいないのにやってきた挙句、そのまま勝手に住み着いたらしい祖母は、孫たちにとっては愉快な存在だったが、ヌンにしてみれば目の上にたんこぶかもしれなかった。
 すっかり身綺麗になったノギヤとラヤンは、まっすぐ帰路には着かず、水場のそばに佇む樹木のもとに立ち寄った。
 ずんぐりむっくりとしたその樹は、まるで逆さまに植えられたかのように奇妙な樹形をしていた。根のように張り出した枝からは紐に吊るされたように実がなっている。果肉は食糧に、種は油に、樹皮は薬や紐に、根は染料に。多くの恵みを分け与えてくれるこの樹を、ノギヤたちは生命の樹いのちのきと呼び敬っていた。
 砂の都周辺に林立しているらしい生命の樹は、ザナラーンを東に進むほどその数を減らし、ノギヤたちの暮らす地域ではぽつりぽつりとその姿を望める程度だった。
 ノギヤが器用に樹に登り、ぶら下がった実をひとつ、ふたつと小刀で地面に切り落とすと、ラヤンがそれを籠に拾い入れる。多くは採らない。近隣の村落の者も恵みを求めてやってくるから、「採りすぎないように」というのがヌンの言いつけであり、彼ら荒野の新参者としての処世術だった。
「みて、ラヤン。今日もウルダハがよく見えるよ」
 ノギヤは梢から身を乗り出した。遠く西の空、一塊の巨大な山のように凛然と君臨するそれが、このザナラーン地方を治める都、ウルダハだった。
 ノギヤに引き上げられ、ラヤンも梢から砂の都を望む。
「ウルダハだとみんな綺麗な色の服とか、きらきらした装飾品とかつけてるんだよね。いいなあ、あたしも行ってみたい」
「ラヤンはおしゃれさんだもんね」
 心底羨ましそうにウルダハを眺めるラヤンにノギヤは笑う。
 うん、とはにかんで、ラヤンは梢に爪先立った。
「あたし、手鏡が欲しいな。小さいのでいいから、ウルダハなら買えるかな?」
「鏡なら持ってなかったっけ?」
「あれは破片だもん。ちゃんとしたのが欲しいのっ」
 ラヤンは頬を膨らませた。
 街道沿いを散策していると、稀に隊商の「落し物」を拾うことがある。そこで拾った鏡の破片をラヤンは自分なりに補修し大事に使っていた。
 たしかに、とノギヤは思い出す。家を整える手が空いた時、ラヤンが熱心に小さな鏡を覗き込んでいる姿はよく見かけていた。自分が身なりに気を使わない質なので気にしたことがなかったが、ラヤンのように身嗜みを整えたい者には、あの鏡は小さすぎるかもしれない。
「ヌンや姉さんたちが次に行く時にお願いしてみたら?」
 ノギヤやラヤンはまだウルダハを訪れたことがなかったが、姉たちは隊商の護衛や仕入れの都合でウルダハまで足を伸ばすこともあった。懐に余裕があれば土産を買ってきてくれることもあるから、頼めば聞いてもらえるかもしれない。
 ラヤンは苦笑しながら首を振る。
「なくても困らないから、おねだりしにくいな。いつか自分でお金を貯めて買うよ」
「そう? ──アタシはウ族の集落に行ってみたい。ウ族の人たちって、すっごく強いらしいよ。砂漠の狩りのコツとか聞いてみたいな。それに珍しい交易品がたくさん見られて面白いって、母さんが前に言ってた」
「ウ族の集落かあ。砂漠で暮らすのって、どんな感じなんだろうね。どこでお水を汲んでくるんだろう」
「オアシスがあるから、水にはそこまで苦労してないらしいよ」
「へえ、いいなあ」
 二人は南方に首をめぐらせた。ここから砂漠まで見通すことはできないが、二人はしばし、砂漠の只中に存在するというオアシスの集落に思いを馳せた。
「そろそろ帰ろっか」
「そうだね」
 太陽は次第に沈もうとしていた。
 ウルダハが遠く空を切り取る影のようにただあり続けるのを目に焼き止めて、二人は集落へと戻っていった。
 直に夜が訪れる。生きる者すべてを灼く太陽が去れば、大地はぬくもりに忘れ去られたように冷え込む。祖母が枕辺で聞かせてくれる異郷のような柔らかな日差しも、涼しい夜風も、彼女たちの暮らしとは無縁だった。灼熱と冷気が昼夜で繰替える乾いた大地。それが彼女たちの生きる世界の全てだ。
 だから彼女たちは身を寄せ合って暮らす。
 生きるだけでも苦労の多いこの大地で、彼女たちは身を寄せ合って生きている。 

 

「あら、おかえり、二人とも」
「たっだいまー!」
 二人が戻ると、ちょうどノギヤとラヤンの母たちが敷物の上で寛いでいた。
 寝そべるラヤンの母に寄り添っていたノギヤの母は、家の中に元気よく飛び込んできた娘たちの姿を認めて頬杖をつく。
「ノギヤ、煤汚れは綺麗になった?」
 小さな集落だ。話が伝わらないはずがないのだが、案の定、母の耳にも自身の失態が届いていたと分かりノギヤは赤くなった。
「今回はちょーっと失敗しちゃったけど、もう少しで矢が的中しそうだったんだよ? 次はぜったい失敗しないからっ。煤で汚れるのもこれで最後だからね!」
 腰に手をあて聞かれてもいない言い訳をするノギヤに、母ははいはい、と笑う。
「いつも悪いねえ、ラヤン。ノギヤ一人だと水を嫌がるから、ついていてくれて助かったよ」
 いえいえ、とラヤンは屈託なく笑う。
「煤まみれであちこち汚されると掃除が面倒だし、ノギヤのお目付役なら慣れてるので」
「えー、ラヤンひどーい」
「ノギヤ、すぐ汚れて帰ってくるんだもん。綺麗にするほうの身にもなってよね」
 むくれ合う少女たちに、ラヤンの母がくすくすと笑う。小さく揺れた弾みで胡桃色の髪が細い肩からサラサラと滑り落ちた。
「ノギヤちゃん、今日は災難だったわね。でもヌンが褒めてたわよ? ノギヤは筋が良いから、将来が楽しみだって」
「ほ、ほんと!?」
 微笑んで頷くラヤンの母に、ノギヤは頬を紅潮させた。
 ノギヤの母はちょっと、と姉妻の腕を引く。
「姉さん、あまりノギヤを甘やかさないでちょうだい。すぐに調子に乗るんだから」
 あら、とラヤンの母は笑った。
「そういうところも若い頃のヌンにそっくりじゃない? めげずに鍛錬を続ければ、ノギヤちゃんだってヌンに並ぶ狩人になれるわよ」
 ノギヤは嬉しさのあまり頷くだけで精一杯だった。顔を輝かせ、がんばるぞ、と小さく拳を握る。
 思わぬ賛辞に感極まっている小さな娘に、ノギヤの母も目を細めた。
「そうね。たしかに、あの人の若い頃によく似てるかも。でも、しばらくは村に残って反省するのよ? 鍛錬なら、母さんも付き合うから」
「はあい」
 ヌンの叱責などすっかり吹き飛んでしまったようにノギヤは小躍りしている。すぐに浮かれる娘の姿にやれやれ、とノギヤの母は苦笑した。
「お母さん、体調はどう?」
 ラヤンは母のそばに座り、その白い顔を覗き込んだ。ラヤンの母は娘の頭を優しく撫でる。
「大丈夫よ。ここのところ、お母様やラヤンたちに頼りきりで悪いわね」
「気にしないで。今日は木の実を採ってきたの。後で食べようね」
「ええ、そうね。ありがとう」
「おばさま、お母さんのことお願いしますね」
 姉妻の娘に大真面目に頼まれ、ノギヤの母は笑って頷いた。
「もちろんよ。姉さんのことはアタシがみておくから、心配しなくても大丈夫よ」
「おばさま、どこか具合が悪いの?」
 そばで話を聞いていたノギヤは心配そうに母たちの顔を見比べた。母たちはしばし顔を見合わせ、そして頭を振る。
「少し暑さにあてられただけよ。いやあね、移り住んでもう長いのに、慣れなくて」
「姉さんはもともと華奢だもの。無理は禁物よ?」
 言って、ノギヤの母は姉妻にしなだれた。自身の長い尾で姉妻の尾を撫でると、それに応えるように姉妻の尾が妹妻の尾に絡みつく。
「ええ、分かっているわ。無理はしない。約束よ」

 

「なんかさー」
 母たちと別れ祖母のもとへと向かいながら、ノギヤは胸をむずむずさせる正体不明の感情にぼやいた。
 頭の後ろで手を組み、暮れなずむ空を見上げる。
「母さんたちって、ちょーっと仲よすぎって、たまに思わない?」
 そうだね、とラヤンは恥ずかしそうに俯いた。
「自分ってもしかしてお邪魔虫かなって思う時があるよ」
「ねえ?」
 ノギヤとラヤンの母は実の姉妹のように親しかった。
 四人いるヌンの妻のうち、二人はヌンの最初の妻だ。幼少の頃から双子のごとく親しかった二人は、ヌンに娶られてからも互いを姉と、妹と呼んで慈しみあっている。その仲睦まじさにはヌンも割って入れないほどだ。ヌンの住家に呼ばれる時も、必ず二人揃ってだった。──揃って呼ばなければ怒るか泣いて拗ねるらしい、とは、姉たちから聞いた話である。
 だからなのかは不明だが、ノギヤとラヤンは同じ年の同じ月に生まれた。おかげで二人は仲が良い姉妹に育ったが、さすが母たちの姉妹愛には叶わない。母たちが今日のように戯れ合っているのを見ると、少女たちは妙に気恥ずかしくなって直視できないのだった。
「それにしてもおばさまの顔色、いつもより青白かった気がするな。ほんとに大丈夫かなあ」
 ラヤンの母は体が丈夫な質ではなかった。美しい女性だが線が細く、暑さ寒さにあてられて寝込むことがあった。儚げな横顔を見ていると、なにかの弾みに折れてしまうのではないかと、ノギヤは時に心配になる。
「──あのね、もしかしたら、なんだけど」
「うん?」
 ラヤンはノギヤの袖を引いた。身をかがめたノギヤにラヤンは耳打ちする。
「身ごもったんじゃないかと思うの、お母さん」
「え、ほんとに!?」
 素っ頓狂な声を上げるノギヤをラヤンは慌てて押し止めた。唇に指をあて、静かにするよう促す。
「なんとなくだよ? 最近、ぐったりしてることが多いわりにはなんだか嬉しそうだし、ヌンもこまめに会いに来てるじゃない?」
「うん、うん! そうだね。きっとそうだよ。そっかあ、アタシたちにも妹ができるんだ」
 声が上ずるノギヤに、ラヤンは再び声を潜めるよう頼んだ。
「あたしが勝手にそう思ってるだけだから、まだ誰にも言わないでね? 勘違いで騒がせちゃうと悪いから」
「そうだね。本当だったとしても、お腹の子が落ち着くまでは母さんたちもヌンも何も言わないだろうし。内緒にしとかないとね」
「──ラヤン」
 不意に背後からかかった声に二人は跳び上がった。
「に、兄さん、どうしたの」
 振り返ると、立っていたのはラヤンの実兄、ウェリだった。
 どぎまぎした様子の二人に首を傾げつつも、ウェリはラヤンに一粒の石を差し出した。
「これ、狩りの最中に見つけたんだ。俺じゃ価値が分からないから、ラヤンにやるよ。ただの石くれかもしれないけど綺麗だし、魔除けのまじないでも込めて飾りにでもしたらどうかな」
 手渡されたそれは、小ぶりの紫水晶だった。よくよく見れば傷もあり退色もしていたが、ラヤンはぱっと顔を輝かせた。
「ありがとう、兄さん」
 興奮気味に礼を言う妹にウェリはただ肩を竦める。
「あれー、ウェリ、アタシにはなんかないのー?」
 ラヤンの後ろから悪戯っぽい顔で見上げてくるノギヤに、ウェリはじとりとした目を向けた。
「ノギヤは人にねだる前に弓を大事にしろよな。今日の狩りでダメにしたって姉さんが」
「あーあーあー! やだなーもうみんな噂好きなんだから! 今回だーけーでーすー!」
 慌てて耳をふさぐノギヤに、ラヤンもウェリも顔を見合わせて吹き出したのだった。

 

 その日の夕餉からノギヤはさっそく祖母や母たちの小間使いとしてこき使われ始めた。
 娘たちが育つにつれ、母たちは入れ替わるように狩りから離れ、食事の支度、家屋の手入れ、日用品や狩りの道具の仕入れと、日々忙しく集落で立ち働いていた。
 娘たちも交互に村に残っては集落の世話について学んでいたが、時にヌンの言いつけを破った者がノギヤのように罰として村への長期残留を言いつけられた。
 娘たちは皆、荒野の子として炎天下を駆け巡るが、中には狩人に向かない者もいる。ラヤンがそうだった。母親に似てあまり体が丈夫ではないラヤンが狩りに同行することは滅多になく、ヌンも「集落の面倒を見る人手も必要だ」と、無理に得物を握らせるような真似はしなかった。
 祖母に学んだ呪術の腕を狩りに求められることもあったが、彼女は概ね、祖母や母たちとともに集落の切り盛りをして過ごしていた。実際、彼女にとっても家や人の面倒をみるほうが性に合っているらしく、母たちが顔負けするほど炊事も針仕事も器用にこなしてみせた。
「あーっ、疲れた!」
 寝支度を整えたノギヤは寝床に勢いよく転がり込んだ。
 祖母の住家だった。集落にいくつかある家屋のうち、ヌンと母たち、祖母の住家は決まっていたが、娘たちの寝床はその時々で変わっていた。さすがにヌンの住家で寝泊まりする娘はいないが──ヌンの住家で眠る者があるとすれば、それは母たちだ──、母とともに眠る時もあれば、娘たちだけで集まって眠る時もあるという自由気ままぶりだった。
 ノギヤとラヤンは祖母の住家がお気に入りだった。二人とも祖母のはなしを聞きながら夜を過ごすのが好きだったのだ。
 二、三年前まではウェリも一緒のことが多かったが、年若いティアはいつ頃からか、納屋から古い天幕を見つけ出すと、集落の隅にそれを張り、一人で寝泊まりするようになっていた。
「あーあ、いつまでおばあたちの手伝いをしたら許してもらえるんだろ」
「そりゃあ、ノギヤが反省したってチャカが納得するまでだろうさ。さ、次はノギヤだよ」
「はあい」
 ラヤンの髪を梳き終えた祖母は、ぽんぽんと座布団を叩いて示す。
 ノギヤが大人しく座布団に座ると、祖母は水牛の角でできた櫛でその短い髪を梳いた。
「明日は朝餉の後に魔除けのまじないをかけ直そうかね。そろそろまじないも薄れてくる頃だろう。ノギヤ、明日はあんたも一緒においで」
 ノギヤはうっと声を詰まらせた。
 魔除けのまじないとは、集落に災いが及ばぬよう祖母がかけているという呪術だ。気休め程度だと祖母は笑うし、実際いかほどの効果があるかは不明だったが、集落に獣や魔物が寄り付くことはこれまでなかったから、集落の安全に一役買っているのは確かなのだろう。
「まじないは苦手だよ……。なんか頭使って疲れるんだもん。終わったらやけにお腹すくし。ほかの手伝いじゃだめ?」
 上目遣いに見上げてくる孫に祖母は笑う。
「アーゼマ様に、お守りください、とお祈りするだけじゃないか。そう難しいことがあるかね?」
「おばあはそう言うけどさあ」
「近頃はなにかと物騒なはなしも多いからね。用心に越したことはないだろう?」
 ノギヤの髪も梳き終えると、祖母は二人を寝床へと促す。
「物騒って、アマルジャ族のこと?」
 横になりながら、ラヤンは不安そうに祖母に尋ねた。
 水や宿を求めて集落に立ち寄る商人や冒険者から、あるいは市場で、あるいは狩り場で目撃して。ノギヤたちの暮らす集落にも、外部の情報はなにかと持ち込まれる。
 古くから彼らの聖地を巡りウルダハと対立しているアマルジャ族は、三年ほど前に彼らが原初の神と崇める火を噴く巨大な魔物イフリートを召喚して以来、侵攻活動を次第に激化させているという。時に街道を行く隊商を襲うこともあった。ノギヤたちの集落付近まで侵攻してくることはなかったが、少し南下しただけで遠目に目撃することが増えたと、姉たちも警戒していた。
 祖母はラヤンの頭を優しく叩く。
「いろいろあるね。獣や魔物、物盗りも怖い。不安の種は尽きないもんだ。でも、そんな顔をすることはないよ。チャカがちゃんと目を配っているし、おばあも嫁御たちもいるからね。肝要なのは、不安の種を放置しないでしっかり対処することさ」
「……うん」
「大丈夫、なにかあっても、アタシがラヤンを守ってあげる」
 好戦的な者の多い一族において、ラヤンは争いを厭う気があった。なおも不安そうに表情を曇らせているラヤンの手をノギヤは力強く握る。自信たっぷりに顔を覗き込んでくるノギヤに、ラヤンも緊張が和らいだようだ。うん、と頷き、すぐに悪戯っぽい瞳でノギヤの顔を覗きかえした。
「……素手で?」
「もー! ラヤンまで!」
 祖母は声を立てて笑う。
 穏やかな夜が過ぎていく。二人はその晩も祖母の小噺を子守唄に、自然と額を寄せ合って眠りについた。

 

「じゃ、ノギヤ、手伝い頑張ってねー」
「……いってらっしゃーい……」
 翌日もノギヤの試練は続いた。
 意気揚々と出かける姉たちを羨ましく見送ると、あらゆる家事が待っている。当然、ノギヤも集落の切り盛りについて日々教わってはいたが、どうにも家事は性に合わない。どれほど喉の渇きを覚えようと、炎天下の岩陰で獲物が来るのを待っているほうがマシだった。
 祖母は宣言通りラヤンとノギヤを連れ立ち、村の方々に魔除けのまじないをかけて回った。日神アーゼマの加護を願って祈祷するわけだが、じっと祈るという行為がまた、ノギヤには退屈でならなかった。決して太陽の女神を崇めないわけではないのだが。
 集落が得る日々の糧は狩りだけによらない。狩りで得た余剰は金銭に替えられるほか──仕留めた獲物の売り上げは、一部を自身の懐にしまうことを許されていた──街道を行く隊商の護衛、近隣の住民から依頼された魔物の退治、祖母が持ち込んだ海向こうの柄の織物を始めとする工芸品や、魔力を込めた呪具の商い。それらが集落の暮らしを支えていた。
 特に近頃は護衛の需要が根強かった。アマルジャ族だけでなく、各地で相次ぐ獣人たちの活動の活発化──荷の強奪などの事件が増え、隊商も用心深くなっている。大抵は黒衣森を抜けてきた隊商の護衛を引き継ぎ、近隣の市やウルダハまで護衛するのだった。
 隊商の護衛で集落を離れる時は、狩猟の戦果や工芸品を売りに運ぶ時でもある。次に市へ赴く日も近いため、祖母もラヤンもここしばらくは機織りや刺繍に励んでいた。
 その手伝いとしてノギヤも駆り出されているわけだが──。
「……つまんなーい……」
 布に刺繍を施していたノギヤは、すぐに億劫そうに呟いた。
 横で織物の整理をしていたラヤンはノギヤの手元を覗き込む。
「ダメだよノギヤ。ちっとも目が揃ってない。これじゃ売り物にならないよ」
「じゃあラヤンがやってよー。ラヤンのほうが上手なんだから」
「だーめ。練習しないと上手にならないでしょ」
 祖母や母よりラヤンの指導のほうがよほど厳しい。ノギヤは唇を尖らせた。
「ノギヤちゃん、狩りと家事じゃぜんぜん勝手が違うように感じるかもしれないけど、どっちも辛抱や根気が必要なものなのよ」
 ラヤンの母は織物に鮮やかな花模様を咲かせながら微笑んだ。
「ヌンはきっと、おうちのことを手伝うことで、ノギヤちゃんにそうした気持ちを養ってほしいと思ったんじゃないかしら」
「うー、それはまあ……」
 ラヤンの母に言われると、なぜか否とは言えないノギヤである。
 渋々気を取り直し、なるべく丁寧に針を通していく。ノギヤがいま入れている柄は、彼女たちイ氏族がトーテムとするバッファローだ。本物のバッファローを見たことはなかったが、祖母が手本として用意したものと見比べながら悪戦苦闘する。根負けしそうになるたびラヤンの厳しい監視の目が向けられ、逃げ出しようもなかった。
「──お、やってるな。感心、感心」
 様子を見にきたヌンは、仏頂面ながらも作業するノギヤの頭をぽんぽんと叩いた。
「次の市にはどれぐらい持っていけそうだ」
「いまはこれだけ……。次に経つまでにはもう少し増やせると思うわ」
 ヌンに尋ねられ、ノギヤの母はそばに積んだ織物を示した。
 ヌンは頷き、
「どれ、ノギヤはどんな調子だ」
 ノギヤから縫いかけの布を受け取ると、和やかだった表情を途端に引きつらせた。
「……ああ……これは……。……バッファロー、だな、うん」
 思わず言葉を失うヌンに母たちが吹き出した。ノギヤはヌンの足に縋り付く。
「ヌン! アタシすっごく反省したから、もう狩りに戻してよ! こんな細かい作業、指がむずむずするだけでちっとも進まないし、狩りに出たいよ」
「ノギヤも手先は器用なほうだろう。もう少し慣れさえすれば……。しかし……これは……。──いや、そもそもだ。まだ弓の用意ができてないからな。いずれにせよ狩りには行かせられんよ。だいたい、まだ一日しか経ってないのに根をあげるのが早すぎるぞ」
「そんなあ」
「仕方ない、これじゃ売り物にはできそうもないな。代わりに俺と紐でも編むか」
 言って、ヌンは抱えてきたカゴいっぱいの樹皮を示した。生命の樹の樹皮は丈夫な紐になる。紐は暮らしのあらゆる場面で使うから、ノギヤにとっては針仕事よりもよほど親しみ深い。
「だめだよ、ヌン。今日はノギヤにしっかり針仕事を覚えてもらうんだから。甘い顔しないで」
 喜色満面になりかけたノギヤとヌンの間にラヤンが割って入る。腰に手を当ててぷりぷりする末娘にヌンは目を瞬かせた。
「……だ、そうだぞ、ノギヤ。お前の妹は俺よりも厳しいな?」
「ラヤンなんで、敵なの!?」
 半泣きでラヤンに縋り付くノギヤに、ヌンと母たちは顔を見合わせて笑いを噛み殺した。
 それからひと月ほど、ノギヤは集落の世話に翻弄された。
 体が鈍らないようにとヌンや母が毎日、稽古をつけてはくれたが、姉たちが自由に狩りに出るのを指を咥えて見送るのは、少女にとって耐え難かった。
 いよいよヌンに泣きつくと、もう二度と短慮を起こさないと心から反省を示し、ヌンは苦笑してこれを許したのだった。

 

 ──穏やかに歳月が流れていく。
 数ヶ月の後、集落に新たな命が生まれ落ちた。カヤと名付けられたティアは祝福の中で家族に迎え入れられた。ノギヤとラヤンにとっては初めての弟で、二人は小さな命を大いに慈しんだ。
 家族が増え、そして去っていった。母と新しい弟の暮らしが落ち着いた頃、ウェリは集落から旅立っていった。毎夜のように祖母から異郷のはなしを聞いて育った年若いティアは、ヌンと縄張りを争うことはせず、ザナラーンの外に憧れて旅立っていった。
 旅立ちの日、いつものように澄ました顔をしていたものの、ヌンと同じ青空の色をしたその瞳だけは、これから始まる冒険に胸が弾んでいることを隠しきれていなかった。
 ラヤンは兄を気丈に見送った。「ティアだから、いつか旅立つかもしれないとは思っていた」と寂しさを押し隠してはいたが、それでも時折、ぼんやりと空を眺めていた。兄にもらった紫水晶は首飾りとして加工され、いまも彼女の首元をささやかに彩っている。

 

 ──穏やかに歳月が流れていく。
 ノギヤとラヤンが十五になる頃、一番上の姉が伴侶を得て集落から嫁いでいった。
 度々、集落に立ち寄っていた行商人にすっかり惚れ込んだ姉は、彼に着いていくと高らかに宣言した。止めはしないが必ず娘を守るように、とヌンはその商人に厳しく言い含めると、ささやかながらも宴を開き二人の門出を祝福した。
 姉が旅立った穴を埋めるべく、ノギヤはますます弓や槍の修行に精を出した。
 重ねた齢と経験だけでなく、まだ幼い家族の存在は、ノギヤの心身に健やかな成長を促した。自身がヌンの背を追うだけでなく、自身の背が誰かの手本になる日が訪れるかもしれないという気づきは、彼女に姉としての自覚と自重を与えた。
 相変わらず稽古ではヌンにも母にも勝てなかったが、ひとたび狩りに出れば、姉たちに劣らず立ち回れるようにもなってきた。
 彼女たちの狩りでは大抵、少人数で連携して獲物を追い込んだが、ノギヤは時折、一人荒野に潜伏しては用心深く獲物を追った。そうしてかつて狩り損ねたドレイクを見事に仕留め雪辱を晴らしたノギヤに、ヌンもラヤンも惜しみない賛辞を贈ってくれた。
 ノギヤにとっても忘れられない日になった。
 仕留めたドレイクの鱗には良い値がつき、ノギヤはこれを大事に貯めておいた。

 

 ──……穏やかに歳月が流れていく。
 民間の飛空会社の飛空艇がガレマール帝国軍の襲撃を受け、エオルゼアの空路が危険に晒されているという報せが、ノギヤたちの集落にも入ってきた。
 この報せにヌンは眉を顰め、少しずつ物資の備蓄を増やすよう皆に指示を出したが、ノギヤはどことなく他人事のように感じていた。
 陸路での荷は止まっていない。飛空挺襲撃の影響か、むしろ街道を行く商人が増えた。荷の強奪を目論む輩に対抗するため、彼らは隊を組んで荒野を行くから、結果的にノギヤたちが荒野の護衛、案内人として求められることも増え、実入りは良くなった。
 アマルジャ族や獣人たちの活動はますます活発になり、地域の治安を脅かしてはいたが、近隣の住民とも連携し、ノギヤたちは不穏分子を首尾よく払い除けているといってよかった。
 十六の歳もみえてきた頃、ラヤンは美しい娘に成長していた。
 母親譲りの絹のように滑らかな胡桃色の髪、ヌンと同じ──それでいてどこか柔らかな青空の色をした瞳。ぱっちりとした目を縁取る長い睫毛に、淡く桃色に色づいた唇。楚々としたラヤンの微笑みはまるで花のように可憐だと、近隣の村落でも評判だった。
 並ぶノギヤはヌンに似た勇ましい顔立ちの娘に育っていた。凛々しい眉は勝気な表情を作るのに常に一役買っていた。顔に傷をこしらえても気にしないほど容姿に無頓着で、隣にいるラヤンが気を揉むことのほうが多かった。
 母を異にする二人だが、青空色の瞳に黒い鼻先、そしてするりと長い尾は誂えたように似ていた。すっかり伸びた尾の先は、ヌンと同じように小さな房になっている。

 

 ……穏やかな歳月が……。
 荒野を生き抜くのは決して容易なことではない。
 渇きも、飢えも、病も。そして紛争も。知恵と備え、武を持たない者の命を容赦なく攫っていく。
 生きるために戦うことを彼女たちは厭わない。弱きが勝者の血肉となり、強きが地を制すのは自然の摂理だ。たとえ狩場を巡り荒野の獣人と刃を交えることになろうと、彼女たちは生存と矜持をかけて一歩も退きはしない。荒野に産声を上げた、大地の娘として。
 ──だが。
 ──あの赤い小月ダラガブは。

 

 

 


(後編 近日追加予定)