肩寄せ合えば

「さむっ」
 氷のように冷たい風に吹かれ、ヴァヴァロは堪らず縮こまった。クルザス西部高地の村、ファルコンネストで迎えた朝だ。
「ザナラーンだって夜は寒いのになあ」
 出発前に少し身体を動かしておこうと宿の外に出たまでは良かったが、雪国の冬の寒さにはやはり慣れないな、とヴァヴァロは襟巻きを鼻まで引っ張り上げた。
 荒野生まれだから暑さにも寒さにも強いつもりでいたのに、その暑さ寒さにも種類があるのだと思い知らせれたのは、冒険者生活を始めてからだ。
 朝のファルコンネストをえっほえっほと散策しながら、すれ違う人々と気さくに挨拶を交わす。イシュガルドが冒険者に門戸を開くようになって以来、冒険の拠点としてファルコンネストには頻繁に立ち寄っているから、顔見知りになった地元の住人も多かった。
 見晴らしの良い場所まで来ると、ヴァヴァロは雪原を見渡した。

「きれいだな……」
 吹雪に見舞われることも多い西部高地に久方ぶりの晴れ空が広がっていた。
 辺り一面の雪景色は白く眩しく、無情なほど清らかだ。空は吸い込まれそうなほど青く高く、風は凍えてしまいそうなほど寒いのに、何もかもを白く埋め尽くす雪景色は惹き込まれるほど美しかった。
 ヴァヴァロは少しだけ襟巻きを下げると、雪原の凛とした空気を吸う。この寒さには敵わないけれど、雪の匂いは好きだ。雪にも匂いがあるのだと、冒険者にならなければきっと生涯知らなかっただろう。

「ヴァヴァロ、こっちこっち」
 宿の食堂は外とは別世界のように暖かくて、ヴァヴァロはほっとしながら襟元を緩めた。皆はもう部屋から降りてきているだろうか、と食堂内を見回していると、奥の席からミックが手を振ってくれる。
 男衆三人と朝の挨拶を交わして席に着くと、既に朝食を始めていた三人に倣いヴァヴァロも給仕に食事を頼んだ。
「村の人がね、今日は一日雪も降らないだろうって」
 運ばれてきたパンとスープにぱくつきながら、ヴァヴァロは宿までの帰り道で聞いた話を皆に共有する。
「……よかった。少しは楽な行程になりそうだね。今日は、よろしく……」
 イェンは安堵したように息を吐いた。
 今回の雪原来訪は仲間内の用事だった。錬金術に用いる素材を求めて雪原の魔物を狩りに来たのだ。
 巴術を中心に手広く魔術の研鑽に励むイェンは、「魔道具作りの一環」として錬金術も嗜んでいた。素材の調達は市場を頼ることが多いが、入手できなければこうして自ら採取に赴くこともある。
 ──あるのだが、如何せん、今回は行き先が雪原である。夜行性な上、暑さ寒さに極端に弱く、研究にのめり込むあまり寝不足に陥りがちなイェンのことだ。うっかり雪原で消息を断ちかねないと危惧し、ふらふらと独りで出かけようとしていたイェンに着いてきたのがミックとアルテュール、ヴァヴァロの三人だったというわけだ。
 何はともあれ、今日は気楽な身内旅というわけだ。目的の魔物の生息地にも心当たりがあるし、何事もなければ夜までには宿に戻ってこられる予定だった。
 天候にも恵まれそうだし、日が落ちて冷え込む前に戻れるよう頑張ろう。そう胸の内で気合を入れ、残りのスープを飲み干そうとしたヴァヴァロは、ふと鼻先をくすぐった酒の匂いに顔を上げた。
「あれ、アルテュールなに飲んでるの」
 匂いの出所はどう考えても向かいに座っているアルテュールのコップだ。嫌な予感がして尋ねると、アルテュールはコップを傾けてみせた。
「これ? スパイスワイン」
 あっけらかんと答えられ、ヴァヴァロは椅子の上に立ち上がりそうになる。
「なんで朝から飲んでるのー!? もう出発なのに!」
「こんぐらいじゃ酔わないって。ほれ、ヴァヴァロも飲むか? 体あったまるぞ」
 血相を変えて怒り出したヴァヴァロにアルテュールは悪びれもなくコップを差し出す。
「み、未成年の飲酒喫煙はダメなんだよ!」
「お堅ぇなあ。俺がヴァヴァロぐらいの頃にはもう飲んでたぞ」
「不良だ」
 本気なのか冗談なのか。面白そうに笑うアルテュールにヴァヴァロは頬を膨らませる。そんなヴァヴァロの鼻先を、またしても酒の匂いがくすぐった。まさか、と思ってヴァヴァロは斜向かいの席に視線をやる。 
「イ、イェンさん……?」
 匂いの出所はそこしか考えられない。イェンが目を逸らした。耳と尻尾までヴァヴァロの小言から逃げるようにそっぽを向く。
「……寒さでかじかむといけないから……」
「がっ……」
 もっともらしい理屈を述べながら、取り上げられないようイェンはコップを両手で包み込んだ。
 助け船を求めて縋るように隣のミックを見上げると、ミックは苦笑して厨房に視線をやった。
「お店の人に勧められたんだよ。寒い地方の冬だと定番の飲み物なんだって。俺はお酒に慣れてないから頼まなかったけど……。だから大丈夫だよ。たぶん」
「ほんと? ほんとに? ほんとにほんと?」
 ミックが言うなら本当なのだろうし、言われてみれば高地ラノシアの湯治場でも振る舞われていたような気がするが、アルテュールもイェンも酒に特別強いわけではないとヴァヴァロはよくよく知っている。せめて戻ってから楽しめばいいのに、なぜわざわざ慣れない雪原探索前に飲むのか、飲酒未経験のヴァヴァロにはまったく理解不能なのだった。 
「もー、酔っ払って寝ちゃっても知らないからねっ」
「信用ねーなー」
 笑うアルテュールの横でイェンが手を上げて給仕を呼ぶ。
「……すみません、もう一杯……」
「わー!!」

 てんやわんやの騒ぎの末、四人は晴れ渡る雪原を行く。身を切るような風も肩を寄せ合えば耐えられるものだ。気心の知れた者同士、仕事と気負う必要のない旅路は賑やかなぬくもりに満ちていた。皆と雪を踏みしめながら、いつの間にか寒さを忘れていたことに気づいたヴァヴァロは襟巻きの下で小さく笑った。

 帰路で寒さにやられたイェンが気を失い、またまたひと騒動起こったのは、また別の話である。

 


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