少女なりの身辺調査

 コスタ・デル・ソルへ向かう仲間たちと別れ、ヴァヴァロはアルテュールと二人、シダーウッドに留まっていた。風車小屋で雇っていた怠け者の傭兵の性根を叩き直す間、代替要員として農場周辺の警備に残ってもらえないだろうか、と引き留められたからだった。
 急を要する場合はリンクパールで連絡を取り合えるし、全員で次の目的地に向かう必要もないだろう。風車番の依頼に数名の人手を割いても大丈夫では──というのが、仲間内で相談した結論だった。
 なにしろ件の傭兵があまりにも大ボラ吹きの無精者だったので。さすがに誰も風車番の頼みを無下にできなかったのだ。

 ──そこで残留する人員に選ばれたのは、ヴァヴァロとしては不満だったけれども。
 是が非でもついて行くと食い下がったが、これはファロロに拒まれた。しばらく押し問答を繰り広げていると、二人の間に「俺も残るよ」と静かな声が割って入った。アルテュールだった。
「とりあえず二人いれば警備はなんとかなるだろ。俺とヴァヴァロでさ」
「ちょっと、あんたの意見は──」
 これにも文句をつけようとしたファロロをアンリオーが止めた。
「孫娘のことを頼みます」
 まっすぐに向けられた老爺の目を見返し、アルテュールは気がなさそうに肩を竦める。
 不服げなファロロの肩を軽く叩いたのはノギヤだった。
「さ、行こうよ。後は任せたよ、お二人さん」
「……わかった」
 同じく不服げなヴァヴァロとファロロの視線が交差した。両者はしばし睨み合い、どちらからともなくそっぽを向く。
「昔は地元の海賊がこの辺りを守ってたって話だったけど……。今だとそれも難しいんだろうね。たまにコボルド族が山から降りてきて迷惑してるらしいから、誰か残れば農場の人は助かるはずだよ」
 そう言ったミックはこのまま残りたい気持ちもあるようだったが、盾を手に前線で仲間を守るミックは、既に一行にとって欠かせない主戦力だ。
「わ、わかってるよ。こっちは任せて。きっちりサクッと終わらせて、なるべく急いで追いかけるから」
 少し気を取り直したヴァヴァロにエミリアが微笑む。
「待ってるね、ヴァヴァロちゃん、アルテュール君」
「うん!」
 ヴァヴァロもエミリアに笑みを返した。その隣に立つ祖父を見上げると、祖父は深く頷く。ヴァヴァロもまた、祖父の信頼に応えるように頷き返した。

 風車群を起点に北西回りで周辺警備に当たり始めたヴァヴァロは、密かにため息をもらした。
 ──本当は皆に同行したかった。
 置いていかれた理由は分かっている。ヴァヴァロはまだ、未熟だから。
 ノギヤとファロロの腕前は冒険者ギルドの顔役たちにも認められている。彼女たちは今もなお着実に実力を伸ばしているし、ミックもその後に続いていた。ヴァヴァロと同時期に冒険者として駆け出したミックは、ヴァヴァロとは三の年の差にも関わらず、めきめきと力をつけていた。
 エミリアの癒し手としての才能も類い稀なものだろう。ヴァヴァロは母以外の癒し手をあまり知らないが、それでも彼女の能力が抜きん出たものであることを肌身で感じていた。
 見目には老いを感じさせ始めた祖父さえも、ひとたび斧を手にすれば──ヴァヴァロはこの旅が始まるまで、祖父が戦えることを知らなかった──その一閃で容赦無く敵を討ち払ってきた。
 ──そして、いまヴァヴァロの隣を歩くこの男も。
 一悶着の末に仲間に加わったアルテュールだが、弓の腕と冒険者としての経験は決して侮れないものだ、とはノギヤの言だった。
 何を考えているのかよく分からない男の横顔をちらりと見上げ、ヴァヴァロはまたひとつ、ため息をつく。
 焦りばかり募っていく。ヴァヴァロがやっと一歩進めたかと思えば、仲間たちは二歩も三歩も先へ先へと進んでいく。少しも追いつける気がしない。皆の背はいつも遠かった。
 だからせめて、同じ戦場に立ち続けることだけは諦めたくないのに。
 理解してはいるのだ。自分がまだまだひよっこで、ゆえに危険を伴う任務から遠ざけられているのだと。ファロロの口調がいつにも増して厳しいのは──そもそも優しい時はほとんどないのだが──、ヴァヴァロの身を案ずるがゆえの裏返しなのだということも、これまでの付き合いから分かっているつもりだ。
 ──それでも連れて行ってほしかった。
 思って、ヴァヴァロは頭を振った。
 皆はもう旅立ってしまった。いつまでもくよくよしていても仕方がない。
 農場の人々が困っているのは確かなのだし、この場を任された以上、警備に手を抜くつもりはなかった。もどかしくはあるが、今の自分にできるのは、目の前の課題を着実にこなしていくことだけなのだから。

 ヴァヴァロたちはシダーウッドの長閑な景色の中に警戒の目を走らせながら進んでいった。
 正直なところ、アルテュールと二人きりというのは気詰まりだった。祖父がなぜこの男の加入を許したのか、ヴァヴァロはいまだ納得していない。──盗みを働こうとしたのに。
 南部森林で活動していた一行に人が良さそうな顔で動向を申し出、いざ解散の時が近づくと金品を盗んで逃げようとした。不審な動きを察したノギヤに取り押さえられ盗みは未遂に終わったが、当然、許せる行為ではなかった。挙げ句の果てには不徳義を懇々と諭す祖父を逆上して殴りつけたのだ。
 窃盗が未遂だったこと、おそらく初犯であることから、鬼哭隊には突き出さず一行から叩き出すだけで済ませたが、意外にもあっさりグリダニアの冒険者ギルドで再会してしまった。どうやらずっとヴァヴァロたちを待っていたらしく、一行を見かけるなり大股で歩み寄ってきたから、あの時はぎょっとしたものだ──と、ヴァヴァロは思い返した。
 誰もが身構えた。厄介ごとが起こると警戒したが、実際にアルテュールが口にしたのは拍子抜けする言葉だった。「悪かった」とアルテュールは深く頭を下げた。そして「また俺も仲間に加えてほしい」と──。
 それからしばらく祖父と話し込んだかと思うと、祖父自ら彼を再び迎え入れてみてはどうかと言う。ファロロの大反対を祖父に同調したノギヤがなだめる形で再びアルテュールが加わったわけだが、ヴァヴァロにはまったくわけがわからなかった。盗みを働こうとしただけでも許せないのに、祖父を傷つけた男を迎え入れるなど、賛成できるはずもなかった。
 そもそも最初に会った時から嫌な感じがしていたのだ。一見にこやかに振舞っているが、人の良さそうな笑みの端に下卑たものをちらつかせる瞬間があった。垂れがちな目は時折、神経質に周囲を観察しているように見えた。ヴァヴァロはなんとなく、この男のことを好きになれなかった。
 仲間に加わったいまでこそ不審な態度はなくなったが、すんなりと打ち解けられるはずもなく、皆とアルテュールの間には一定の距離感と緊張感が常に付き纏っている。
 ──だから、二人きりは気詰まりがする。
 二重の意味で早く皆と合流したいな、とヴァヴァロは肩を落とした。

 コボルド族の姿が見えれば威嚇して追い払い、農作物を狙う害獣がいればこれを駆除しながら、なだらかに上がる道を登っていく。小高い場所まで来ると、ヴァヴァロは何気なく登ってきた道を振り返った。
 視線の先には海に向かって赤い羽根車を掲げる白い風車群が広がっていた。風を受けた羽根車が悠々と回り続けている。晴れ渡る空と深い色を湛える海の青を背にした風車はいかにも美しかった。
「風車塔は白いのに、なんでグレイフリート灰色の艦隊なんだろう」
 ふと、思い浮かんだ疑問が口からこぼれ落ちた。
 名前の由来はなんだろうか。少なくともヴァヴァロの目に映る限りでは、由来になりそうな灰色の建造物は見当たらなかった。
「空が」
 誰かの答えなど期待していないところに声がして、ヴァヴァロは少し驚いて背後の男を振り仰いだ。アルテュールは青空を──水平線を灰色の指で示した。それにつられてヴァヴァロは視線を風車群へ戻す。
「嵐になると一面、灰色の雲が立ち込めるだろ? この辺りの風車は羽根車に帆布が使われてるから、風車を船に見立ててるんだな。空を灰色に染め上げるような強風だろうと力に変える逞しい船の一群。それで灰色の艦隊だってよ」
「へぇぇ」
 ヴァヴァロは目を丸くした。想像していたような安直な命名ではなく、意外にも深い思いの込められた地名に感服した。
 手近な岩に乗り上げ、視線を高くしてみる。掌で陸地を隠し、風車と海だけを切り取って見ると、なるほど、羽根車の帆布も相まっていかにも船のようだった。船そのものというよりも、赤い帆を張った白いマストが林立しているようだ、とヴァヴァロは思う。
 今の青空にこれ以上ないほど映えている風車群だが、どんよりと重たい灰色の空を背にした姿も、それはそれで圧巻かもしれない。思いがけず海の民の意気地のようなものを感じて、ヴァヴァロはしみじみとグレイフリート風車群を眺めやった。
「じゃあ、農場は? レッドルースターって、名物雄鶏でもいたのかな?」
 風車群から視線を転じて首を傾げる。眼下にはゆるやかな傾斜地に拓かれた果樹園があり、広々と均された農地があった。先進的な農法を数々試す周辺一帯の大農場は、メルウィブ提督が進める入植政策のモデルケースと褒称されるほどで、いまやラノシア随一の存在らしい。
 ヴァヴァロの疑問に、アルテュールもまた農場へと視線を向けた。
「農場に生まれた赤い雄鶏が普通の雄鶏よりも強いのか、賭けの結果で大喧嘩になって、誰も彼も鶏も血塗れで真っ赤になったとかなんとか」
「なぁんだ。そんな理由か」
 ヴァヴァロは苦笑した。必ずしも立派な由来があるわけではないらしい。
「詳しいんだね」
 見上げてくるヴァヴァロにアルテュールは肩を竦めた。
「昔、この辺りを旅してる時に地元のやつに教わった」
「ふぅん。結局、赤い雄鶏とどっちが強かったのかなあ」
「さあなぁ」
 ヴァヴァロはくすくすと笑い──そして慌てて笑みを引っ込めた。
 乱暴者な泥棒と仲良くなんてしちゃだめだ。──そう思うのに、なぜだろう、アルテュールと話すのは不思議と楽しかった。
 今の気持ちを、ヴァヴァロは自分で表現することができなかった。胡乱な男だと思うのに、話し始めると無条件に面白い。ちょっとした言葉に小気味良い返事があって楽しかった。旅暮らしが長いらしくなかなかに博識で、ヴァヴァロの小さな疑問にも分かりやすい言葉で応えてくれる。時にヴァヴァロが蓄えた旅の知恵や冒険者としての技量を褒めることもあり、正直なところ、嬉しくて浮かれてしまったこともあった。
 不良のような外見をしているくせに、実は思慮深い人物なのかもしれない。ふとそう思わされる瞬間があるのが、どうにも悔しい。案外、良い奴なのかもしれないとは認めたくなかった。──だって盗もうとした。祖父を殴って傷つけた。
 「悪かった」と謝ってはきたけれど、それはヴァヴァロたちを油断させるための演技かもしれない。どうしてもその疑いが頭から離れないから、アルテュールと親しくすることに抵抗があった。
 ヴァヴァロは気を引き締め直した。周辺の警戒だけでなく、隣を歩く男も注意深く監視する。一瞬だけ緩んだ空気は、あっという間に張り詰めた。
「なーんだよ」
 黙々と、やはり時折コボルド族や害獣を追い払いながら、農場周辺を半周ほどした頃だった。
 しつこい視線に最前から気づいていたらしいアルテュールがちらりと視線を寄越してきた。
「悪いことしないように見張ってる」
「別になんもしやしねぇよ」
 真っ向からの疑いの目に、アルテュールは落胆も憤りもみせない。
 ──きっと、とヴァヴァロは釈然としないながらも思う。きっと本人の言うとおり、彼はもう何もしないだろう。少なくとも、グリダニアで再会して以来の彼は真面目に振舞ってきた。だからもう、彼を信じて気を許してもいいような気は薄々していた。
 決着のつかない自分の心に困惑と苛立ちを感じる。もしかしたらヴァヴァロが許せないのはアルテュールではなく、いつまでも曖昧な心持ちの自分自身なのかもしれなかった。

「なんで泥棒しようとしたの」
 警備の終着点も見えてきた頃、足休めに立ち寄った水辺で、ヴァヴァロはとうとう黙っていられなくなった。
 当時のアルテュールが金に困っているようには見えなかった。盗みに手馴れているわけでもなさそうだった。──彼を盗みに走らせた理由があるなら知りたい。


 水辺で手指の汚れを落としていたアルテュールはちらりとだけヴァヴァロを見やり、すぐに視線を水面に戻した。
「特に理由はねぇけど」
 淡々とした返答に、ヴァヴァロはますます眉を吊り上げた。理由もなく盗みを働こうとしたならいっそう質が悪い。いい大人が──歳は知らないが──そんな分別もないのだろうか。
「盗みは悪いことなんだよ!」
 真正面から突っ掛かってくるヴァヴァロを、今度ははっきり見返してきた。まるで考えのうかがえない瞳で。
「ん、悪かったよ。ごめんな。もうしねーよ」
「!?」
 弁解もなくあっさり謝罪され、ヴァヴァロは意表を突かれてしまう。
「じゃ、じゃあいいよ!!」
 咄嗟に自分の口を突いて出た言葉にまで驚いて、ヴァヴァロの内心は混乱を極めていた。慌ててアルテュールに背を向け、わけがわからず何度も何度も首を捻った。

「アルテュールはどこの生まれなの」
 休憩を終え、終着点へ──出発点でもある風車小屋へと戻りながら、ヴァヴァロはアルテュールに尋ねた。ここまで来れば警備もほぼ終わったようなもので、ヴァヴァロの視線はアルテュールに向きがちになっていた。
「黒衣森」
「歳はいくつ?」
「二十五」
「いつから冒険者やってるの?」
 気のなさそうな返事に構わず、ヴァヴァロは次々に質問を投げかける。
「七、八年くらい前からかな」
「じゃあ、けっこう長く活動してるんだ」
 それはヴァヴァロの半生に匹敵する年月だ。
 冒険者ギルドが設立されてようやく二十年ほどだから、古参とまではいかずとも、ギルドへの所属歴はそれなりに長いと言えるだろう。どうりで旅慣れているわけだ。
 アルテュールは肩を竦めた。
「仕事欲しさにギルドに登録してるだけだから、傭兵崩れの何でも屋みてーなもんだけどな。大した経歴があるわけじゃねーよ」
 特に謙遜する風も卑下する風もなく言う。
 そもそも職にあぶれた傭兵に仕事を斡旋するための互助組織創設が冒険者ギルドの始まりだったというから、冒険者の中には傭兵から転身した者が多い。今でこそ職人仕事や採集仕事など都市民からギルドに寄せられる依頼も幅広くなったが、組織の起こりからして、アルテュールのような者は多いだろう。
「でも弓は上手だよね? ノギヤさんが言ってたよ」
 弓を手に仲間たちから一歩引いた位置で戦うのはヴァヴァロも同じだが、アルテュールは後方から全体をよく見渡している──とはノギヤの評価だ。
 全体を見渡す冷静沈着さを戦闘下であっても失わないからこそ、放つ一矢の威力が侮れないのかもしれないね、といつぞやノギヤが評したことをヴァヴァロは鮮明に覚えていた。まだまだ誤射を防ぐのに精一杯なヴァヴァロにとって、羨ましい能力だったからだ。
「ノギヤちゃんて変わった娘だな」
 ヴァヴァロの言葉にはっきり応えず、アルテュールは呟くように言った。
「そう? まあ、掴み所のない人だなとは思うけど」
 ノギヤは明朗な人物だが、同時に奔放だった。本人の中に一本筋の通ったものを持ってはいるのだろうが、彼女なりの結論を語ることはあっても、結論に至るまでの考えを口にすることは滅多にない。相棒のファロロでさえノギヤの言動に戸惑い、時に衝突することがあるから、付き合いの浅いヴァヴァロには腑に落ないことも多かった。
 その最たる例がアルテュールを仲間に引き込んだことだ。ノギヤだけは皆とアルテュールの間に横たわる距離感などおかまいなしに親しくしている──というよりも、絡んでいるというべきか。なにかと絡んでくるノギヤに、アルテュール自身が困惑している様子を何度も見かけていた。
「アルテュールはずっと一人でやってきたの?」
 しばらくぼんやりと仲間たちに思いを馳せてから、ヴァヴァロはアルテュールを見上げた。
「依頼によっちゃ組むこともあるけど、まあ、だいたい一人かな」
「冒険者になる前はなにをして暮らしてたの?」
「旅芸人の一座にいたよ」
 ヴァヴァロは目を瞬かせた。思わず足が止まった。
「旅芸人って、軽業とか、お芝居とか?」
「雑用と歌うのと。芝居はまあ、たまに。ほとんど下っ端だよ」
 意外な返答にヴァヴァロは目を丸くする。街や村々で興行する旅芸人の一座。遭遇すれば立ち寄って芝居や軽業を楽しんだ経験がヴァヴァロにもあった。ああした人々の一員として隣を歩く男が働いていたというのは、ひどく不思議な気分がした。
「そっちは? 辞めちゃったの? なんで?」
「いろいろあって」
 足許に纏わり付くようにして歩くヴァヴァロに、アルテュールは素気無く答える。
「家族は?」
「さあ」
「さあって」
 一座は家族で構成されていることも多いと聞く。一緒ではなかったのだろうか。
「ガキの頃に村を離れたから、いまごろどうしてるかは知らない」
「ふぅん……
 ふと、ヴァヴァロはアルテュールと出会った時のことを思い出した。南部森林にある酒房、バスカロンドラザーズに立ち寄った時に聞こえてきた歌声。酔客のリクエストで一曲披露しているところに居合わせた。それはどこにでもあるような酒場を賑わす陽気な酒飲み歌だったが、妙に人を惹きつけるものがあって、ヴァヴァロたちの足を思わず引き留めたものだった。
 ──あんな風に歌っていたのかしら。旅芸人の一座でも。冒険者になる前ということは、今のヴァヴァロと同じような年頃のはなしだろうか。
「一家でいたんじゃないってことは、色んな人が集まって巡業してたの?」
 ヴァヴァロは彼らの世界に詳しくない。首を傾げて尋ねると、アルテュールは頷いた。
「色んな人がいたな。俺みたいに一座に転がり込んで、雑用しながら時々客前で芸を披露するのもいたし、キキルン族の軽業師もいたよ。行き場を失くしたアラミゴ難民の夫婦とか、元イシュガルド貴族って噂の劇作家とか」
 アルテュールは少しだけ懐かしそうに微笑んだ。取り繕ったような笑顔ではなく、本当に笑ったのだと思えた。
「じゃあ、けっこう大きな一座だったんだ?」
「そうかもな。他の一座を知らねえから、なんとも言えねえけど」
「なんて一座?」
 アルテュールはこれには答えなかった。肩を竦めてはぐらかされたところで風車小屋が見えてきて、仕方なく会話を切り上げる。
 風車番に警備結果を報告したところでファロロから連絡が入った。委細は合流してから共有するとして、コスタ・デル・ソルではなくリムサ・ロミンサの溺れた海豚亭に集合しようとのことだった。どうやら当初の事情とは変わったらしい。
 思ったよりも早い合流の連絡に驚きつつ、風車番から謝礼を受け取ると、二人はリムサ・ロミンサへの道を戻り始めた。今からならば徒歩でも夜までには辿り着けるだろう。
 ヴァヴァロは軽く息をついた。目まぐるしい一日だった。早朝に街を発ち、風車小屋で仲間を見送り、そして農場周辺の警備依頼。さすがに疲労を感じていたが、街までもう一踏ん張りある。
 見上げた空はいつのまにか暮れ始めていた。

「──じゃあ身長は?」
 街への帰り道、ヴァヴァロは散発的に質問を投げ続けていた。さすがに質問の種も尽きてきて、特に意味のない問いかけばかりになっていたが。
 無意味な自覚はあるのだが、なんとなく辞めたくない。アルテュールという人物を少しでも知っておきたかった。
「だいたい八十イルム」
「信仰してる神様は?」
「強いて言うならノフィカ様」
「なんで?」
「美人だっていう噂」
「えー、そんな理由で?」
 ヴァヴァロは呆れ顔になった。そんなヴァヴァロを横目にアルテュールは笑っている。次の質問にうんうん悩むヴァヴァロは、その苦笑にも似た柔和な笑みに気がつかなかった。
「す、好きな食べ物は!?」
 いよいよ質問に困ったヴァヴァロがようやく絞り出した問いに、アルテュールは堪らず失笑した。ヴァヴァロも自分で聞いておきながら恥ずかしくなってしまう。
「うまいものはなんでも好きだよ」
「ふ、ふぅん。あたしもおいしいものはなんでも好きかな」
 くつくつと笑いながら言われ、ヴァヴァロは顔が熱くなった。
「──じゃあ好きな色は!?」
 もはやヤケになって質問をぶつける。
 好きな色は紫。海と森ならば海の景色を好み、暑さ寒さなら寒さのほうが耐えられる。朝には弱いほうで、夜は落ち着く。広い部屋はなんとなく身の置き場がなくて落ち着かないから、宿などは窮屈でも気にならない──。
 ひたすら続く質問責めにアルテュールが嫌がるそぶりをみせることはなかった。
 他愛のないものとなった問答を続けながら、ヴァヴァロはふと顔を上げた。シダーウッドには中央ラノシア方面へと抜ける坑道がある。ブラインドアイアン坑道と呼ばれるその場所は、かつては粉塵で前が見えないほどだったという。それで思い出した話があった。
「ねえ、シェーダーの人は真っ暗な洞窟のなかでも迷わず進めるって本当? コウモリみたいに」
 純粋な疑問を寄せられ、アルテュールはああ、と微苦笑した。
「他の種族よりも、まあ、耳がいい奴は多いだろうけど。よく聞かれっけど、あれはコツがあるんだ。なにも生まれつき出来るわけじゃねぇよ。見えなくても、聞こえてればある程度は分かるってだけで」
「ううん……?」
 首を傾げたヴァヴァロにアルテュールは耳を示してみせる。
「洞窟とかだと音が響くだろ? その反響を聞き分けるんだ。音さえすれば、周りの状況が分かるからな」
 いとも簡単そうに語るアルテュールに、ヴァヴァロはしばらく考え込んだ。
「それってあたしにもできる?」
 アルテュールが言うほど容易く会得できる技術だとは到底思えないが、身につけられるものなら、先々で必ず役に立つはずだ。
 見上げてくるヴァヴァロに、アルテュールはこだわりなく頷いた。
「コツを掴めばできると思うぞ。機会があったら教えてやるよ」
「うん!」
 ぱっと顔を輝かせるヴァヴァロに笑ってからアルテュールは口を噤んだ。
「俺も聞いていいかな」
「なに?」
 口を開きかけ、そのまま閉じた。迷った様子のアルテュールの顔をヴァヴァロは怪訝そうに覗き込んだ。
「なんでアンリオーさんのこと、じいちゃんって呼んでんの?」
 しばらく迷った末、アルテュールは慎重に尋ねてきた。
 ヴァヴァロは質問の意図が分からずきょとんとしてしまう。
「おじいちゃんはおじいちゃんだもん」
「本当のじいさんじゃないだろ? 育ての親、とか?」
 目を瞬かせているヴァヴァロに、アルテュールも困惑した様子だった。
「本当のおじいちゃんだよ。だってお父さんの本当のお父さんだもん」
「アンリオーさんはエレゼン族だろ? ヴァヴァロはララフェル族じゃねえか」
 かなり遠慮がちな口調だった。やはり不躾だったか、と気まずげな色がアルテュールの顔に浮かんでいたが、ヴァヴァロが困惑する理由はそこにはなかった。
「そうだよ。お母さんがララフェル族で、お父さんがエレゼン族なの。なにかおかしい?」
「えっ」

 農場も背後に遠のき、眼鏡岩も過ぎた頃、二人の間には再び沈黙が舞い降りていた。決して気まずい類の沈黙ではなかったのだが、ヴァヴァロの返答はアルテュールにとって衝撃だったらしく、先ほどからすっかり考え込んでしまっている。
 こうして驚かれることはなにも初めてではない。その度にヴァヴァロは「異種族の夫婦はそんなに珍しいかしら」と首を傾げたくなる。確かにララフェル族とエレゼン族の夫婦は相当に珍しいだろう。実際、ヴァヴァロも自分の両親以外に知らないが、異種族の夫婦や恋人たちを見かけること自体は皆無ではないから、なにをそんなに驚くことがあるだろうかと思ってしまう。──なにしろ自分の両親がそうだから、そもそも種族を超えた伴侶というものに対して先入観が希薄なのだということに、ヴァヴァロ自身は気づいていない。
 もっとも、アルテュールが驚愕している理由は全く別の点にあったのだが、それもまたヴァヴァロには想像の及ばないことであった。

 迷子橋を越えてしまえば、リムサ・ロミンサは目と鼻の先だった。
 遠目に見えてきたテンペスト陸門を目指しながら、風に誘われて海へと目を向けた。遠く灯台の光がぽつねんと海原に佇んでいる。
「綺麗だなあ……」
 暮れなずむ海を眺めやりながら、ヴァヴァロはぽつりと呟いた。吹き抜ける緩やかな風がその声を攫っていく。
 彼方まで広がる海は太陽に煌めく姿を次第に潜め、どこか物寂しげに夜へと染まっていこうとしていた。高揚感を誘う青い輝きは、灯台の光と月明かり以外に頼るもののない、畏怖の念を与える果てのない暗がりへと姿を変えつつあった。その狭間の光景が胸に沁みるように美しい。
 皆は転移魔法で一足先に到着しているだろうか。早く事情が変わった経緯を尋ねたかった。合流後は自分も行動を共にできるだろうか。今度こそ一緒に連れて行ってほしい。
 ──思いながらも、最前からどうにも足が重かった。足だけでなく全身がずしりと重い。次第に歩みが遅くなり、並んで歩いていたアルテュールと歩調が合わなくなってくる。
「おーい、どうした」
 いよいよ立ち止まってしまったヴァヴァロを振り返り、アルテュールが軽い調子で尋ねてくる。
「な、なんでもない」
 言った矢先に足が縺れた。転びかけたところを咄嗟に伸びてきたアルテュールの手に支えられた。
「具合悪そうだな、疲れたか?」
 膝をつき、小さな子にするように顔を覗き込んで言われ、ヴァヴァロはきまりが悪くなってしまう。
「こ、子どもじゃないんだから、このくらいで疲れたりしないよ。ちょっと足が縺れただけ」
 強がるヴァヴァロを無視し、アルテュールは手袋を外すと「ちょっと失礼」とその額に掌を押し当てた。大きな手がひやりと冷たく気持ち良い。
「熱があるじゃねーか」
「アルテュールの手が冷たいだけじゃない?」
 体はいつも温かいほうなのだけど、と主張してみたが、実のところ、自分でも発熱しているような気は薄々していたのだ。認めてしまうとごまかしが効かなくなってしまう気がして、無視を決め込んでいたのだが。
「これで熱がないって? 意地張るなよな」
「別に意地なんて張ってないよ……」
 呆れたように言われ、ヴァヴァロは消え入るような声で反論する。
 傍目にも疲労が見て取れるのに、いっかな認めようとしない少女にアルテュールは息をついた。弓と荷を身体の前に回し、ヴァヴァロに背を向けて屈んだ。
「ほれ」
 背に乗るよう促され、ヴァヴァロは赤くなった。
「だ、大丈夫だってば」
「その調子じゃ夜までに戻れねーぞ」
「先行ってて。すぐ追いつくから」
「俺だけ先に戻ったらどこかの呪術士さんにカミナリ落とされちまうだろ。ほれ、はやく」
 なおも渋るヴァヴァロをアルテュールはため息まじりに促す。
「や、やだよ。ちっちゃい子どもみたいで恥ずかしい……」
「いいから」
「むぅ……
 気恥ずかしいが、たしかにアルテュールの言うとおり、この調子では街に着くまでにとっぷり日が暮れてしまいそうだった。
 散々迷った末、渋々その首に腕を回すと、アルテュールは後ろ手にヴァヴァロをしっかり抱えて立ち上がった。何度か位置を調整するように体を揺すり、安定したところで歩き出す。
「重くない?」
「ちょっとな」
 いくらララフェル族が小柄とはいえ、荷ごと背負っているのだから、さすがに軽いとはいかないだろう。そっと尋ねると、アルテュールは気にする風もなく答えた。
「……ごめん……」
 情けなさが込み上げてきて、ヴァヴァロは泣きたい心地だった。
 こんな調子で──いつも誰かに守ってもらって。皆と肩を並べて戦える日はいつか自分に来るのだろうか。
「いいよ。街に着くまで寝てな」
……うん。あ、街に着いたら降ろしてねっ」
「はいはい」
 浮かんできた涙に慌てて瞬きながらも、ヴァヴァロは強がらずにはいられない。苦笑するアルテュールの声はどこか柔らかかった。
 広い背に揺られながら、熱もあってかヴァヴァロの瞼は次第に落ちてくる。
──ヴァヴァロは軽いなあ)
 うつらうつらとする脳裏に、懐かしい声がした。
 まだ小さい──本当に小さかった頃に、その背にヴァヴァロを乗せて遊んでくれた父の声だった。懐かしく愛しく、もう遠い人。
 父の背や肩に乗せてもらうのが好きだった。一人では見えない景色が、父と一緒なら見えた。そしてなによりも、その広い背のぬくもりが好きだった──。
……お父さんの背中みたい……
 父とは少しも似付かないけれど。背中のぬくもりは同じに思えた。
 夢現のヴァヴァロの耳に、ごくわずかな歌声が届いた。囁くように口ずさまれる歌声に不思議なほど心を慰撫され、ヴァヴァロは安堵して目を閉ざす。
 真正面から激突してくる少女を軽んじ疎む様子は一分も見せず。気のないような態度でその実、二人きりの道中にアルテュールなりの緊張があったことなど知らないまま、ヴァヴァロは眠りに滑落していく。  

 ──これから途方もなく長い付き合いになるとは、二人とも露知らず。

 

 


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