君はとっても(02)

     4

 遠慮して好意を隠すよりも、思い切りぶつけたほうがよい。
 ごく単純な愛情表現にアルテュールが強い動揺を見せてからというもの、ヴァヴァロは積極的に気持ちを伝えるようにしていた。
 言葉で、抱擁で、口づけで。照れくささは抜けないが、それよりも彼の初々しい反応が嬉しくて、二人きりの時間ができると仕掛けずにはいられなかった。
「じゃあ、そろそろ戻ろっかな」
 夜も更けた頃。明日からまた別行動ということもあり、ヴァヴァロは就寝前にこっそりとアルテュールの部屋を訪ねていた。
 アルテュールは明日、ミックの誘いでラベンダーベッドを発つ。アラミゴに向かう大隊商の護衛だ。
 もともとはスタウト・シールドらのフリーカンパニーが請け負った依頼だったが、共にどうかと声をかけられ、ともしびからはミックとノギヤ、アルテュールの三人が参加する予定だった。
 解放戦争が終わったいま、活動の範囲が広がった冒険者たちは、魔物退治や周辺地域の治安維持、物資の運搬や人の護送など、仕事に事欠かなかった。
「うん、おやすみ」
 他愛のない会話を交えながらこれから数日の予定を共有し合ったヴァヴァロは、二人並んで座っていたベッドから降りようとし、そして思い出したように座り直した。
「……なに?」
 一瞬戻る素振りをみせたヴァヴァロにじっと見つめられ、アルテュールはわずかに身じろいだ。
「へへ、大好きだよ♡」
 積極的に打って出るようになって気がついたことが一つある。見つめる、というのはとても効果的だ。
 視線を逸らさずにこにこと見つめ続けていれば、アルテュールの動揺を簡単に引き出せた。最後に一言気持ちを添えれば、彼の耳の先はすぐに赤くなった。さすがにもう、最初ほどは動揺してくれなくなったけれど。
「……そんなに何度も言わなくても、知ってるよ」
 照れ隠しなのか妙にぶっきらぼうな口調のアルテュールに、ヴァヴァロは笑みを禁じ得ない。
「だって好きって言うとアルテュール動揺して可愛いんだもん」
「ほほー、そういうこと言うか」
 ぐいっと顔を寄せられ、ヴァヴァロは小さく息を呑む。咄嗟に身体が逃げそうになったが、すぐに精一杯背筋を伸ばした。
「べ、別にキスしてもいいよ? もう慣れたもん」
 彼をからかいすぎて強引に口を塞がれたのは、つい先日のこと。
 あの時は恥ずかしさのあまり乱暴に突き放してしまったが、いまにして思えば、あの情熱的な接吻は悪くなかった。彼が再び自分の口を塞ごうというなら、望むところだ。
 ヴァヴァロはアルテュールの接吻を目を瞑って待ち受けた。ちらりと片目を開け、彼と目が合うと慌てて閉じる。思わず緩んでしまう頬を必死に引き締めた。
 じきにアルテュールの指が頬に触れた。ヴァヴァロは期待に胸を膨らませ、わずかに顎を上げる。
 アルテュールはヴァヴァロの丸みを帯びた愛らしい頬をひと撫ですると、額に軽く口づけた。
「はい、おやすみ」
 ぽんぽんと頭を撫でられ──それで終わりだった。
 ヴァヴァロは小さくむくれる。
「いいよいいよ、べつに期待なんてしてな──わあっ!?」
 ベッドから降りようとしたところを強引に抱き寄せられ、身構える間もなくアルテュールの膝の上まで引き上げられてしまう。
 あわや唇がぶつかろうかという距離まで一気に顔を寄せられ、ヴァヴァロは顔を真っ赤にした。
「もう慣れっこなんだろ?」
 間近に見つめられ、ヴァヴァロは思わず視線を泳がせてしまう。それでも気を取り直すと、負けじと正面を向いた。
「そ、そうだよ?」
 いつでも来い、とばかりにぎゅっと目を瞑る。
 こつりと額がぶつかった。軽く頭を抱きしめるように優しく髪を撫でられると、緊張がわずかに解れた。
 額が離れ、髪を撫でていた指がするりと頬に下りてくる。そっと頬に添えられた大きな掌の感触が心地良かった。
 唇を重ねやすいよう、彼が顔を傾けたのが目を閉ざしていても分かった。ヴァヴァロも彼の口づけを待ち望むように再び顎を上げ、
『アルテュールさん、まだ起きてますか? すみません、明日のことで伝え忘れたことがあって』
 ──ノックの音が静寂を破った瞬間、部屋の窓から外へと飛び出した。
「お、おお、ミックか。いま開けるからちょっと待ってな!?」
 アルテュールは扉に向かって言い放つと、大慌てで窓から身を乗り出した。
 窓の外、たいした幅もない家の裏手の向こうは川になっている。こんな夜中、しかも春になりきっていない川に落ちてしまっては大事だ。
 だが、川に落ちた音はしなかった。アルテュールは消えたヴァヴァロの姿を探して暗闇に目を凝らす。すると、庭の方角に気配があった。見ればヴァヴァロが笑いを堪えた顔で手を振っていた。「おやすみ」と唇だけ動かして、ヴァヴァロは大急ぎの忍足で身を翻していった。
『アルテュールさん? 明日のほうがいいですか?』
「ごめんごめん、いま出るよ」
 驚きの瞬発力で部屋から脱出したヴァヴァロに苦笑し、アルテュールは窓を閉じた。

 翌朝、ラベンダーベッドを発つ面々を見送ると、ヴァヴァロはファロロに同行してリムサ・ロミンサに飛んだ。
 〝アラミゴの情勢が落ち着いたら皆で東を目指す〟というのが、ともしび一同の次の目標だった。ファロロは近頃、そのための情報収集に熱心だ。
 実現はまだ先だとしても、機会を逃さぬようにと。そう率先して動き回るファロロを手伝いながら、ヴァヴァロも遠い異国の地に思いを馳せた。
 最後に船旅をしたのは、長らく身を寄せていた海向こうの祖父の家から、冒険者になるべくここリムサ・ロミンサを目指した時だ。あの時は一人で港に降り立ったが、次の船旅は仲間たちとの賑やかな旅になる。そう思うと自然と顔が綻んだ。
 ファロロと方々を訪ね歩き、聞き込みついでにときおり頼まれごと片付けながら、二人は三日を海都リムサ・ロミンサ周辺で過ごした。最後はケイムゲイムに頼まれた香辛料や食材を買い込んでラベンダーベッドへと戻るのだった。 

     5

「あ、ミックおかえり。帰ってたんだ。早かったね」
 黒衣森近辺で済む依頼を請け負って過ごすこと、さらに二日。
 グリダニアから戻ったヴァヴァロは居間でミックを発見し目を丸くした。
 すでに旅装を解き、部屋着姿で寛いでいたミックは朗らかに手を振る。
「陸路で帰ってくるつもりだったんだけど、あっちは天気が崩れそうでさ。転移魔法で早めに戻っておいたんだ」
「そっか、お疲れさま。あっちの様子はどうだった?」
 ヴァヴァロも鞄を下ろすと、居間の絨毯に腰を下ろした。ミックが注いでくれた茶をありがたく受け取る。
 ヴァヴァロに尋ねられ、そうそう、とミックは身を乗り出した。
「ベロジナ大橋の関所。ますます冒険者で賑わっててさ。ちょっと見ない間に施設も増えてたし、あの様子だとまだまだ冒険者が流れ込みそうな感じがしたよ」
 アラミゴと他国を結ぶ関所、ベロジナ大橋。アラミゴ解放からほどなくして関所には国境警備隊が配備されたが、人手不足ということもあり、任務の一部は現地に集った冒険者に委託されていた。
 へえ、とヴァヴァロは感心する。ヴァヴァロが最後に訪れた時はやっと簡易な宿泊所ができたばかりだった。今度また足を運んでみようと思う。
「じゃあ大変だったでしょ、関所越えるの」
 ミックはがっくりと肩を落としながら苦笑した。
「こっちは大所帯だったからね。もー時間がかかったのなんの。あそこが一番の難所だったよ」
 二人で笑い合い、ひとしきりここ数日の出来事を語り合うと、ヴァヴァロは「ところで」とそわそわする。
「アルテュールとノギヤさんは? 一緒に帰ってきた?」
 ああ、とミックは笑う。
「アルテュールさんはスタウト・シールドさんのところに顔を出しに行ったよ。久しぶりだったからね、一緒に行動するの。あっちの人たちにもちょっと挨拶してくるって。ノギヤさんはもう寝たかも」
「そっか、わかった」
 ヴァヴァロはミックと別れると、荷物を置きに自室に戻った。旅装を解き、湯浴みを済ませてさっぱりすると、もう一度居間に向かう。ミックも部屋に引き上げてしまったようで、居間はがらんとしていた。
 居間のソファに掛けられていたブランケットを肩に羽織ると、ヴァヴァロは家の外に出た。庭を抜け、門前の階段に腰を下ろす。坂の上、スタウト・シールドらの家がある樹幹商店街の方角からやってくる人影がないか待ち受けた。
(はやく会いたいな)
 ヴァヴァロはアルテュールを想って微笑んだ。
 出発前に聞いた予定では往復とも陸路という話だったから、会えるのはもう数日先だと思っていた。嬉しい不意打ちに、自然と心が浮き立った。
 彼にしてみれば久方ぶりの遠出だ。身体の調子に問題はなかっただろうか。彼の目に関所の活気はどう映っただろう。自分はしばらくアラミゴ方面に足を伸ばしていなかったから、彼から話を聞くのが楽しみだった。
 座ったまま、とん、とん、と足の裏で階段を鳴らしていたヴァヴァロは、聞き慣れた足音に気がつき立ち上がった。坂の上からやってくる人影がアルテュールであることを確かめると、元気よく彼に呼びかける。
「ヴァヴァロ?」
 アルテュールが気づいたのもほぼ同時だった。寒空の下、どうしたことか一人で立っているヴァヴァロに目を丸くした。
「どうした、そんなところで」
 足早になったアルテュールにヴァヴァロは朗らかに笑う。
「アルテュールが帰ってくるの、待ってたんだ──って、どうしたの!? 大丈夫!?」
 いきなり地面に崩れ落ちたアルテュールにヴァヴァロは大慌てで駆け寄った。
 やはり体調的に遠出はまだ早かったのだろうか。疲れが一気に足腰にきてしまったのか。それとも息が苦しいのだろうか。
 耳の先から頬まで真っ赤にしているアルテュールをヴァヴァロはおろおろと助け起こそうとする。
「な、なあんだよ、待っててくれたん?」
いったいどうしたというのか、身悶えを必死に抑えていたアルテュールが、ようやくへろへろながらも起き上がった。
「ミックに早く帰ってきたって聞いて。……あっ! こ、こういうの、迷惑だった?」
 しまった、と口元を押さえるヴァヴァロを噛み締めるように愛おしげに見つめ、アルテュールはくしゃりと笑う。
「そんなことないよ。ごめんな、待たせて。寒かっただろ」
「ううん、さっき出てきたところだから。わわっ」
 唐突に抱き上げられ、ヴァヴァロは驚いて声を上げてしまう。
 腕の中で縮こまっている恋人にアルテュールは目を細めた。
「少し散歩しよう。今日は月が綺麗だよ」
「う、うん」
 ヴァヴァロの肩からブランケットが滑り落ちないよう簡単に掛け直すと、アルテュールはヤイヌ・パーの円庭に向かって歩き出した。
「じ、自分で歩けるよお」
 ヴァヴァロはもじもじと申し出た。腕に抱かれて悪い気はしないが、どうにも気恥ずかしさが勝ってしまう。
「いいからいいから」
 穏やかに返され、いいのかなあ、と顔を赤らめた。まだ夜更けというわけでもない。誰かとすれ違ってしまうかもしれないのに。見られても構わないということだろうか。そう思ってくれているなら、嬉しい。
「か、身体の調子はどうだった?」
 密かに胸をときめかせながら尋ねると、アルテュールは笑って頷いた。
「思ったよりも動けて安心したよ。正直、途中で脱落しないか自分でも少し心配してたからさ」
「そっか。よかった。関所を越えるのが大変だったんでしょ?」
「そうそう。驚いたな、あんなに賑わってるなんて。少し前まではどこもかしこも物々しい雰囲気だったのに」
「これからもっと活気づきそうだね」
「だなー」
 円庭に到着すると、アルテュールはベンチの上に優しくヴァヴァロを下ろした。その隣に自分も腰を下ろすと、恋人の肩を抱き寄せる。
「あ、そっか、今日って満月だったんだ」
 肩を寄せ合っているのだから近いに決まっているのだが、今日の彼はいつもより近い気がする。そんな奇妙な感覚に少しだけ胸を高鳴らせつつ、ヴァヴァロはようやく夜空を見上げた。
 広々とした空をなかなか望めない黒衣森にあって、ラベンダーベッドの空は開けている。その空の下、冒険者たちが羽を休める居住区と湖を、煌々と輝く満月が白く照らしていた。
「綺麗だね」
「うん」
 しばらく皓月に見入っていたヴァヴァロは、ふと視線を感じてアルテュールを振り仰いだ。月ではなく自分を和やかに見つめているアルテュールに首を傾げる。
「どうかした? 顔に何かついてる?」
 ヴァヴァロはぺたぺたと自分の顔を触る。そんな恋人の様子にアルテュールは微笑んで緩く頭を振った。
「なんでもない」
「そお?」
 不思議に思いながらヴァヴァロは月に視線を戻す。
「ね、なんか詠んでみてよ」
 いろいろと話したいことがあったはずなのに、この月明かりの下だとそれも無粋な気がして、ヴァヴァロはアルテュールに詩をねだる。
「そうだな……月……月……んー、月のかんばせ……」
 アルテュールは月を見上げる。しばし思案するように呟くと、ふと口元を綻ばせた。恋人の肩を抱く腕に力を込める。
「月の顔、太陽あればこそ、なお愛でる夜ありて」
「おおー……?」
 ヴァヴァロは詩を解釈しようと首を捻った。自分からねだってはみたものの、正直なところ、詩心があるかと問われると否定せねばならない。
「あー、特に上手くないな。今のナシナシ」
 アルテュールは恥ずかしそうにヴァヴァロの肩を叩いた。
 それには構わず、ヴァヴァロはもうしばらく考え込む。
「えーと、太陽があるから月は明るくて……? 天文学的な話……?」
「ほら、もういいからヤメヤメ。凡作だよ凡作。それよりもヴァヴァロはどうだった? ファロロとリムサに行ってきたんだろ?」
「えー、ちょっと待ってよ。いま考えてるとこなの。んーと、太陽が月を照らすおかげで月見ができていいですね?」
「もー恥ずかしいからやめて。凡百な詩を詠んだ詩人を虐めないで」
「ええっ、そんなに駄目だった?」
 必死に話を逸らそうとするアルテュールに折れて、ヴァヴァロは海都周辺で過ごした数日の出来事を語った。
 近頃は東方への渡航手段を求める冒険者がやけに増えたと船乗りに笑われた話。東方を目指す交易船に同船できないかとファロロの伝手にあたった話。最後はケイムゲイムのお使いで荷物を重くした話──。
 話すうちにすっかり楽しくなっていたヴァヴァロは、はたと思い出したようにアルテュールを見上げた。
「言い忘れてた。おかえり」
 たまに相槌を打ちながら、穏やかな眼差しでヴァヴァロの話に耳を傾けていたアルテュールは目を細めた。
「うん、ただいま」


前へ 戻る 次へ