君はとっても(01)
1
トントン、と遠慮がちなノックの音にアルテュールはベッドから身を起こした。ヴァヴァロと契りを交わした、その晩のことである。
すでに皆が自室に下り、家中がしんと静まり返っている時分だ。自分も眠ろうとベッドに潜り込んでしばらく経っていた。返事をし、誰だろうかと扉を開けると、枕を胸に抱えたヴァヴァロが立っていた。
「どうした?」
言いたいことは予想がつくけれど、とアルテュールは微苦笑を噛み殺した。
ヴァヴァロはおずおずとアルテュールを見上げた。
「一緒に寝てもいい?」
もう拒む理由もないな、とアルテュールは扉を大きく開く。
「あい、どーぞ」
「やたっ。へへ、話したいこといっぱいあったんだ」
ヴァヴァロはぱっと笑顔になると、枕を抱えたままいそいそとベッドに潜り込んだ。枕を並べ、自分は壁際に寄る。ころりと寝転んだヴァヴァロの隣にアルテュールも横たわった。
枕二つに布団は一つ。野宿や宿でやむを得ず共寝することはこれまでにもあったが、自宅の寝室で共寝するのは、さすがにこれが初めてだ。一人用のベッドだが、体格差もあり窮屈ということはない。
「──でねでね、ノギヤさんがどかーん! ってやって勝ったと思ってたら、あっちも死に物狂いでさー」
久しくまともに会話できていなかった反動なのか、ヴァヴァロは喋り出すと止まらなかった。横になりながら、にこにこと手振りまで加えてここ数日の冒険を語る。
ベッドに頬杖をつき、アルテュールは微笑ましい気持ちで彼女の話に耳を傾けた。帰宅してしばらくは緊張と遠慮が彼女から見え隠れしていたが、それもかなり収まったようだ。以前のようなはつらつとした表情を見せてくれるようになって安堵していた。
「あっ、ごめんね、うるさかった?」
アルテュールの視線に何を思ったか、ヴァヴァロは恥ずかしそうに布団を口元まで引き上げた。アルテュールは緩く首を振る。
「そんなことないよ。それで?」
ヴァヴァロはほっとしたように笑った。
「でね、ファロロさんが大慌てて足止めしたところをエミリアさんが杖でえいやって」
「相変わらずだなー、エミリアさん」
本当に話し足りないのだろう、ヴァヴァロはまたすぐに喋り始めた。
「それで……えと……」
ここ数日の出来事。森の外の季節の様子。アルテュールに見せたいもの。一緒に行きたい場所。明日の予定。
なにくれとなく楽しそうに話し続けていたヴァヴァロの瞼がしだいに落ち始める。
眠りに抗おうとするヴァヴァロの身体をアルテュールはぽんぽんと叩いた。
「そろそろ寝ようか」
「んー……うん……あっ」
「ん?」
目を擦りながら不本意そうに頷いたヴァヴァロは、大事なことを思い出したようにはっと目を見開いた。首を傾げるアルテュールを恥ずかしそうに見上げる。
「あのね、寝る前に……アレ……してみたい」
「アレ?」
もじもじと言い淀むヴァヴァロにアルテュールはぎくりとする。脳裏に蘇ったのは、数日前の彼女の突撃だった。
それはさすがにまだ早い──と緊張で身体を硬くしたアルテュールには気がつかず、ヴァヴァロは顔を赤らめた。
「ほらあ……あのお……おやすみのちゅー……とか……」
ちらちらと期待するような視線を送られ、アルテュールは一気に脱力する。いくらなんでも身構えすぎだったと反省した。
キスをしたかったらしいヴァヴァロの頭突きを喰らった後は二人でドタバタと家に戻ってしまったし、家に戻ればどこかしらに人の気配があるから、その後やり直す機会がなかった。せっかく恋人になったのならば、確かに接吻の一つくらい、勿体ぶらずに交わしたいだろう。
軽く体勢を整え、瞳をどきどきと揺らしているヴァヴァロの頭を一つ優しく撫でた。その手を頬に滑らせると、ヴァヴァロの口元が一気に緩む。
慌てて唇を結んだヴァヴァロに少し笑う。軽く顔を近づけると、視線のやり場に困ったらしい青い瞳がきょろきょろと動く。額をこつりと合わせると慌てて目を閉ざした。
その愛らしい唇に自分の唇を重ねようとし、一瞬だけ迷いが生じる。その思いを振り払うようにアルテュールはヴァヴァロに口づけた。ぎこちなさがバレないよう、すぐには離さず。しかしわざとらしさが生まれぬよう、名残惜しいうちに離して。
(……あま)
接吻の甘さが余韻のように唇に残った。経験したことのない甘さにアルテュールはわずかに心を奪われ──すぐに気を取り直してヴァヴァロの頭を撫でた。
「ん、どう?」
顔を覗き込まれたヴァヴァロは沈黙したまま背を向けると、もぞもぞと頭まで布団を被ってしまう。
「でへ……でへへへへ……」
気に入らなかっただろうかと困惑するアルテュールをよそに、ヴァヴァロは布団の中から締まりのない笑い声を漏らした。
「あー、ヴァヴァロさん? もう寝る?」
そうっと尋ねてくるアルテュールを布団の端から覗くようにしばし見返すと、ヴァヴァロはさっと身を翻してもう一度口づけた。
「おやすみっ」
再び頭まで布団を被ると、ご機嫌な声で就寝の挨拶をした。どうやら満足してくれたらしい、とアルテュールは笑みを噛み殺す。
「ん、おやすみ」
照れ隠しなのか、背を向けたままのヴァヴァロの頭を布団の上から撫で、自分も横になる。しばらくすると隣から寝息が聞こえ始め、相変わらずの寝つきの良さに微笑んだ。
ヴァヴァロがこてりと寝返りを打った。隠していた顔が布団から覗く。アルテュールは彼女の身体に布団をかけ直すと、横臥してその寝顔を見つめた。
(……これでよかったんだよな?)
──迷いがないと言えば嘘になる。
彼女の告白を受け入れたことが果たして正しかったのか。受け入れることで彼女のより良い未来を摘み取ってしまったのではないか。自分が彼女の足枷になるのではないかという懸念は、どうしても拭えなかった。
(俺はいいんだ、俺は。浮いた話とは無縁だし。求めてもらえたなら嬉しいし)
ヴァヴァロの帰りを待つ数日間で出した結論だった。ほかでもないヴァヴァロが求めてくれるなら応えたい、と。
我ながら主体性がないとは思うが、もともと積極的に恋人を求める性格でもない。所帯を持つような生き方もしてこなかったから──一度だけ求婚した経験はあるが、あいにく成就しなかった──、求めてくれる相手がいるのなら、甲斐性の見せ所かと覚悟を決める思いもあった。
(妙な男と一緒になられて気を揉むよりは──)
そこまで考え、アルテュールは恥じ入って顔を赤らめた。
(……それだってたいした自惚れだよ。ほかの男よりは俺のほうがマシだなんて)
一人溜息を吐くアルテュールをよそに、楽しい夢でも見ているのか、ヴァヴァロが何事かぷすぷすと寝言をこぼす。
「暢気な顔しちゃって」
警戒心の欠片もない寝顔にアルテュールはくすりと笑った。
彼女のことを女性として見るのは、やはりまだ難しいけれど。彼女の安らかな寝姿は愛おしかった。
(そうそう、べつに可愛く思わないわけじゃないんだ。そんな目で見る気がなかっただけで、一緒にいられて嬉しいのは本当だし。男に二言はない。うん)
アルテュールは自分に言い聞かせる。ぽんぽんと眠るヴァヴァロの身体を叩くと、軽く彼女の身体を抱き寄せた。
(……いいんだよな……?)
いちおう、恋人同士なのだから。抱き寄せて眠っても問題はないはずだ。
もう少しだけ彼女を抱く腕に力を込めると、身体からふにゃりと力が抜けた。
「あったかっ」
ぽかぽかと温かいヴァヴァロの身体はまるで温石のようで、夜の寒さにいつの間にか強張っていた関節がゆるゆると溶けるように楽になる。
これはよく眠れそうだ、とアルテュールは目を閉ざした。
2
初めての口づけにふわふわと幸せな気持ちで眠りについた、その翌日の暮れ。
自宅に人が増えるとなかなか二人きりになれる場所と時間もなく。次の冒険に向けて休息と準備をしているうちに一日は穏やかに、それでいて少し物足りなく過ぎていった。
湯浴みも済ませ、夕食に呼ばれるまでの手持ち無沙汰な時間。ヴァヴァロはアルテュールの顔を見たくて家の中を探していた。部屋にも居間にも姿が見当たらず、それなら、と二階に上がる。
「あ、いたいた」
図書室のソファで寛いでいるアルテュールを見つけ、ヴァヴァロは後ろから呼びかけた。
「ああ、ヴァヴァロか」
「あ、いいよ、読んでて」
さりげなく自分もソファに座ると、読みかけの本をテーブルに戻そうとしたアルテュールを止める。
「せっかくヴァヴァロが来たのに」
構わず本を置いたアルテュールの横でヴァヴァロは床に視線を落とした。
「……アルテュールがしてること、邪魔しないもん」
アルテュールは目を瞬かせた。気兼ねするヴァヴァロに微苦笑すると、彼女を膝の上に抱き上げた。
「わわ」
そのままヴァヴァロごとソファに横たわると、彼女の可愛らしい後頭部に口づける。今日一日、二人きりになれるチャンスがあると、彼はこうしてこまめにキスをしてくれた。
「ヴァヴァロ、明日は予定ある?」
「まだないけど……」
ヴァヴァロはもじもじしながら目線だけ上げる。彼の顔は見えなかったが、微笑んだのが気配で分かった。
「じゃあ明日、デートしよう。二人でおめかしして、お茶でも飲みにさ。グリダニアに行こう」
思いがけない提案にヴァヴァロはぱっと顔を輝かせた。喜びで咄嗟に身体を起こしてしまい、うっかり彼の腕を解いてしまう。
「デート!? うん、行く!」
途端に目をキラキラさせ始めたヴァヴァロにアルテュールもくしゃりと笑った。
「おっ、決まりな」
(デートだって、デート!)
部屋に戻ったヴァヴァロは胸を躍らせていた。彼の誘いを心の中で何度も繰り返し、一人うきうきと足踏みする。
「そうだ、服」
ヴァヴァロはぴたりと足を止める。慌ててクローゼットを開き、決して多くはない日常着を漁った。
「ど、どうしよう……可愛い服なんて全然ないや」
ラベンダーベッドに居を構えて以来、徐々に日常着も買い足してきたが、どれも動きやすさを優先した飾り気のないものばかりだ。
「これは……好きだけどお出かけに着ていくようなやつじゃないし。これは……季節外れだし」
野外活動向けに仕立てられた丈夫で使い込まれた防具類。そうでなければ、いまの季節にはいささか合わない薄手で活動的な衣服。
どれもデートには似つかわしくないものばかりで、ヴァヴァロはがっくりと肩を落とした。
「うう、いつものやつが一番マシかあ」
やむを得ず、この季節に愛用している日常着をクローゼットから引っ張り出した。
シンプルな長袖の白いシャツに、八分丈のアイボリーのズボン。寒さに合わせてここにチェックのカーディガンを加えるのが、黒衣森でのヴァヴァロの秋と冬、そして春先の装いだった。
お気に入りには違いないのだが、これでは変わり映えがしない。着飾ることに関心が薄かった過去の自分が急に恨めしくなる。
「あ、そうだ」
ふと思いついたように取り出したシャツを着込んだ。そのシャツの内側、胸のあたりにタオルをぐいぐいと詰め込んで膨らみを作る。
椅子に乗り上げ、卓上の鏡に上半身が映るようにすると、右へ左へと身体を捻って胸元を確認する。
「変だな」
他種族の女性のように胸に膨らみがあれば印象が変わるかもしれないと期待したが、かえって見栄えが悪い。ヴァヴァロは溜息をつきながらタオルを引っ張り出した。
「そうだ、髪飾り」
ヴァヴァロは引き出しから造花の髪飾りを取り出した。以前、アルテュールが買ってくれたものだ。
「か、可愛いかなあ?」
左耳の上あたりに髪飾りを着け、ヴァヴァロは鏡を覗き込む。これならいつもの服装に、気取りすぎない華やぎを足してくれるかもしれない。
悪くないかも、と思いながら試しに鏡の中の自分に笑ってみせた。
(買うかどうか悩んでたら、アルテュールが買ってくれたんだよね)
ラベンダーベッドに自分たちの家が建って間もない頃、買い出しに来ていたグリダニアのマーケットでたまたま見つけたものだった。
愛らしくて気になるが、日常生活では身につける場面が想像できない。冒険中なんて論外だろう。汚すか紛失するかしてガッカリするのがオチだろうし、そもそも冒険には不必要な装飾品だ。幻影化して身につけておくという手もあるにはあるが、そうまでしてオシャレをしたいと熱心になる性格でもなかった。
だから必要ない、でも気になる──と、いつまでも決められずにいた自分に、アルテュールがさっと買って与えてくれたのだ。
(うん、明日はこれをつけてこっと)
結局、せっかく買ってもらったにも関わらず、失くしてしまわないか心配で引き出しにしまったままだったけれど。
思えば恋をするずっと前から、彼は当たり前のようにいろいろなことを気にかけてくれていたなと、ヴァヴァロはこれまでを振り返って胸を温かくする。
明日はこれで飾っていこう、とヴァヴァロは髪飾りを鏡の前に置いた。
3
翌日、太陽が真上に昇るよりも少し早い頃。
二人は居間で合流すると、しばらく出かけるとケイムゲイムに伝えて家を出た。
デートだと見透かされないかぎくしゃくしたが、特に気がつかれた様子もなく、いつもどおり見送られてほっとした。なにしろ二人一組で行動するのが常だから、心配しすぎだったかもしれないとヴァヴァロは一人で赤くなった。
「お、それ、前にグリダニアで買ったやつ?」
ひだ飾りのついた黒いシャツに白いチョッキといった出立ちのアルテュールは、紫水桟橋までの道すがら、ヴァヴァロの白髪を飾る造花に気がつき、懐かしそうに笑った。
「う、うん。せっかくだからつけようと思って」
アルテュールは目を細めた。
「似合ってるじゃないか。可愛いよ」
「そ、そお?」
ヴァヴァロは照れくささを隠そうと澄ました顔を作った。
桟橋で小船に乗り込み、春先の陽射しが気持ち良い湖を渡る。グリダニアに降り立つと、ヴァヴァロはきょろきょろと周囲を見渡した。
「ヴァレンティオンの飾り、終わっちゃったね」
あれほど街中に漂っていた浮ついた空気は、祝祭の終了と共に拭われたようだった。飾りも撤収され、見慣れたグリダニアの景色が広がるばかりだ。
「今年はゆっくり見損ねたな」
残念そうなアルテュールのズボンをヴァヴァロは軽く摘む。
「ら、来年は一緒に来ようよ」
「うん、そうしよう。ん」
アルテュールに手を差し伸べられ、ヴァヴァロはどきどきしながらその手を掴み──そしてがっかりした。
「あーあ、背が高かったら手も普通に繋げるのに」
せっかく手を繋ごうとしてくれたのに、肩を精一杯上げていなければ繋いでいられない。これではすぐに肩が疲れてしまうのが明白で、ときめきも一瞬、落胆で溜息が漏れた。
「抱こうか?」
苦笑しながら提案されヴァヴァロは赤くなる。
「さ、さすがに恥ずかしいよお」
確かに、ララフェル族の恋人らしき女性を腕に抱いて歩く男性──親子や主人という場合もあるだろうが──を見かけることもあるけれど。
ウルダハやリムサ・ロミンサならばともかく、恋人同士が公然と馴れ合っている姿すら滅多に見かけないグリダニアでは憚られた。
仕方なく、手を繋いだり離したりを繰り返しながら昼時の穏やかなグリダニアを歩いていく。誰かとすれ違うたびに恥ずかしくて手を離してしまい、周りから見れば挙動不審だろうな、とヴァヴァロはなおさら赤面した。
マーケットまで来ると、市民だけでなく冒険者の姿も格段に増える。その中に知り合いがいないか緊張しながらも、ヴァヴァロはすれ違う人々の服装が気になってつい目で追ってしまう。
「私、可愛い服がほしいな。こういうときに着られるようなやつ。今度、仕立て屋さんに行こっかな」
なにやら唇をとがらせているヴァヴァロの言葉にアルテュールは足を止めた。
「今度なんて言わずにいま行こうぜ。俺に贈らせてよ」
来た道を引き返すように手を引かれ、ヴァヴァロは慌てて踏み留まった。
「じ、自分で買うからいいよ。それよりカフェ行こっ」
「ヴァヴァロだってこの間、俺にセーター買ってくれただろ。そのお礼」
「それならアルテュールだって私に服とかお菓子とか買ってくれるでしょっ。あれこそいつものお礼だからいいのっ」
「えー、ヴァヴァロが可愛い服着てるとこ見たいなあ」
「うっ……」
目線を合わせるようにしゃがみ込み、にこにこと楽しそうな顔で言われ、ヴァヴァロは言葉に詰まってしまう。
乗せ上手だな、と口をもごつかせ、
「じ、じゃあ今度、ウルダハに行ったときに一緒に探してよ。ウルダハのほうがララフェル族向けの服探しやすいし」
ヴァヴァロは遠慮がちに言った。
グリダニアでララフェル族の服を探すのはあまり簡単ではない。いくら冒険者の出入りが多いとはいえ、既製の日常着はほとんどがヒューラン族かエレゼン族向けのもので、ララフェル族に合う衣服を手に入れようとしたら、仕立て屋に出向かなければならない。
ウルダハならば選択の幅が格段に広がるから、ヴァヴァロにとってもそのほうが気が楽だ。
「それもそうか。じゃあ、そのつもりでいよう」
「うん。あっ、そ、それもデート?」
もじもじと指先をつつき合わせるヴァヴァロにアルテュールは笑う。
「そうだな。ウルダハでもデートしよう」
「うんっ!」
嬉しそうなヴァヴァロの頬を指の背で撫で、そのまま彼女の手を取ると、アルテュールは再び歩き出す。
「カーラインカフェ、知り合いいるかなあ」
目的地が近づいてくるとヴァヴァロはそわそわしてしまう。冒険者ギルドを併設するカーラインカフェは、グリダニアで最も冒険者が集う場所だ。
「あー、いるかもな。普通にしてたら何も言われないさ」
「そ、そうだよね」
二人一緒が当たり前なのだから、自意識過剰な対応をしなければ何も怪しまれないはずだ、とヴァヴァロは呼吸を整える。
「こういうときリムサだったら、もうちょい飯屋の選択あるんだけどなあ」
一人気合を入れている様子のヴァヴァロに微苦笑してから、アルテュールはぼやくように言った。
「そうだね。グリダニアのご飯って、ちょっと味気ないし」
「だよなあ」
これにはヴァヴァロも同感だった。決して不味くはないのだが、グリダニア料理はどうにも薄味に感じられて、物足りなく思うこともままあった。店によってはひどく無愛想な対応をされることもあるから、グリダニアで食事をしようとなると、結局カーラインカフェに足が向くのだ。
案の定、カフェは今日も冒険者で賑わっていた。
空いている席に腰を落ち着けると、紅茶と茶菓子を頼む。提供を待つ間、話題に困りきょろきょろと目を泳がせるヴァヴァロをよそに、アルテュールは興味深くカフェの様子を見渡していた。
「最近ほとんど来れてなかったから、なんか不思議な感じだ」
どこか遠くを眺めるような横顔だった。ヴァヴァロは目をぱちくりさせる。
「そう?」
アルテュールを真似てカフェを観察してみたが、ヴァヴァロにしてみればいつものカーラインカフェで、何が彼の関心を引いたのか分からなかった。
「世間の流行に置いてかれた気がするな。ひと冬ゆっくりしちまったからなー」
情けなさそうに笑うアルテュールにヴァヴァロは口を噤んだ。
アラミゴから帰還した後、比較的早く冒険者活動を再開できたヴァヴァロと違い、アルテュールはこの冬のほとんどをラベンダーベッドで過ごした。
本人は周囲に心配をかけぬよう、普段と変わらぬ振る舞いを心がけていたが、やはり長い療養生活に対して思うことがあるのだろう。
彼の心中を慮ると安易なことを言えなくて、ヴァヴァロは言葉に迷ってしまう。
「俺も復帰に向けて本腰入れにゃ。アラミゴの情勢が落ち着いたら皆で東のほうへ行ってみようって話、あれまだ生きてるよな?」
軽い調子で話題を振られ、ヴァヴァロはほっと肩の力を抜いた。
「うん。ファロロさん、いろいろ情報集めてるみたい」
「そっか。そりゃ楽しみだ」
アルテュールはくしゃりと笑う。
アラミゴに先駆けてガレマール帝国の支配を脱却した遥か東方の国の噂は、冒険者の間で瞬く間に広まった。その解放に件の〝光の戦士〟が関わっていたということもあり、東方諸国に対する冒険者たちの関心はなおのこと高まっていた。
とはいえ、東方へ渡るのも容易ではない。どうやらあちらの国々にもエーテライトに類似する灯台は存在するらしいが、それも交感を済まさなければ意味がない。東方への足を手に入れるため、ファロロが中心になって情報収集を進めている最中だった。
「バドマさんとテンメイさん、今頃どうしてるかなあ」
運ばれてきたクッキーを摘みながら、ヴァヴァロはかつて出会ったアウラ族の夫婦の顔を思い浮かべた。
黒い鱗を持つゼラ族の女狩人バドマと、白い鱗を持つレン族の薬師テンメイ。旅人としてエオルゼアの地を訪れていた彼らには、行動を共にした数日の間に東方諸国のことをあれこれと教えてもらったものだ。
「バドマさんつえーから、このあたりにいるなら噂の一つくらい聞こえてきそうなもんだけどな。なんもねえってことは、また遠くへ行ったんかね」
「東のほうに行ったときにまた会えたらいいなあ。アジムステップだっけ、バドマさんの故郷の草原。色んなゼラ族の部族がいるってところ。行ってみたい」
「大体が遊牧民って話だったよな。一面の草原か。霊災前のクルザスみたいな場所なんかなー」
ヴァヴァロは懐かしむように胸に手を当てた。
「あとあれ、テンメイさんが作ってくれたバックラー鍋みたいなやつ。また食べたい」
大物狩りの前夜、テンメイが振る舞ってくれた肉や野菜を甘辛く煮た東方の料理を思い出し、ヴァヴァロは顔を綻ばせた。アルテュールも味を思い出したように気の抜けた笑みを浮かべる。
「うまかったなー、あれ。なんて言ったっけ、ええと、確か……スキヤキ?」
「それそれ、スキヤキ! また食べたーい!」
デートだからと急に洒落た会話ができるはずもなく。
しかし普段と変わらぬ話題で盛り上がるうちにヴァヴァロの緊張もしだいに解れ、紅茶を飲み終わる頃にはすっかり肩の力も抜けていた。
知り合いに捕まる前にとカーラインカフェを出た二人は、少し遠回りをしながら桟橋に向かった。
「そうだ、買い忘れたものがあった。ちょっとこのあたりで待ってて」
音楽堂を過ぎたあたりでアルテュールが足を止めた。促すように背中を押され、川のほとりに座らされる。
「うん? 分かった。待ってるね?」
すぐに戻るよ、と足早に来た道を戻っていったアルテュールに首を傾げながらも、ヴァヴァロは大人しく待つことにする。
長閑な昼下がりだった。暖かな陽射しの中、川のせせらぎを聞きながら水車を眺めているとそれだけで癒されて、初めてのデートに昂っていた心も落ち着いた。
(ちぇ、こんなことなら澄ましてないで、ご飯も食べればよかった)
紅茶と茶菓子以外にも何か料理を頼んだらどうかとアルテュールが勧めてくれたのに、食い意地を張っていると思われたくなくて ──いまさらすぎる見栄だが──遠慮してしまったのだ。
実際、最初は緊張していて空腹など感じていなかったのだが。いまになって小腹が空いてきて、格好つけずに何か頼めばよかったと、じわじわと悔やむ気持ちが湧いていた。
「お嬢さん、こちらをどうぞ」
「わっ」
もう一軒どこかに寄れないだろうかと考えるヴァヴァロの視界を、力強い赤が埋め尽くした。驚いて背後を振り仰ぐと、いつの間にか戻っていたアルテュールが微笑みながら立っていた。
「く、くれるの?」
眼前に差し出された一輪の花。受け取っていいのか迷い、思わず尋ねてしまう。
「ヴァレンティオンのお返し」
頷かれ、ヴァヴァロは瞳を輝かせた。
「ありがとう! 可愛い花。なんて言うんだろう」
花弁がフリルのように重なった姿は少しバラに似ているが、バラよりも平たく、そしてころりと丸い。どこか手毬を思わせる姿がなんとも愛らしかった。
「ラナンキュラスだよ。ヴァヴァロに似合うと思って」
「そ、そお?」
洒落た贈り物にヴァヴァロは頬を緩め──そして微苦笑した。
「どうした?」
隣に座ったアルテュールが不思議そうに首を傾げた。ヴァヴァロは赤いラナンキュラスに目を細める。
「大事にしてもらってるなあって」
「うん?」
ヴァヴァロはアルテュールを見上げた。
「アルテュールに。今日はありがと、デートに誘ってくれて」
自分が寂しい思いをしないように、恋人らしい振る舞いを心がけてくれているのだ、アルテュールは。契りを交わして以来、こまめに頬や額に口づけてくれるのも、今日デートに誘ってくれたのも。
告白したのは自分なのに、気の利いた振る舞いをしてくれるのは結局彼のほうで、どうしても申し訳なさを覚えてしまう。ごっこ遊びに付き合わせているとさえ感じた。それでもやはり彼の気遣いは嬉しくて、愛しくて、離れがたくて、時々なんとも言えない気持ちになってしまうのだ。
「こちらこそ。楽しかったよ。また出かけような」
「うんっ」
肩を抱いてくれる腕が温かかった。ヴァヴァロはその腕に甘えるように、こてん、と彼の胸元に頭を預けた。
「だ、大好きだよ」
「んっ」
アルテュールのように気の利いた言葉は思いつかないけれど。せめて好意だけはちゃんと伝えたくて、ヴァヴァロは彼に凭れたまま素直な想いを口にする。
「アルテュールと一緒にいると幸せだなって思っちゃった。私、この人のこと好きだなあって」
「お、おう。そりゃ、よかった」
肩を抱く腕にぎゅっと力が入る。その腕が心地良くて、ヴァヴァロは目を閉じ、
「んんん?」
耳に伝わる彼の鼓動に眉を顰めた。
「な、なんだよ」
狼狽えるアルテュールには構わず、もっとよく聞き取ろうと彼の胸にぐいぐいと耳を押し当てる。
「え、なんでアルテュールどきどきしてるの」
速い。どう考えても速い。平時よりもよほど速い彼の胸の鼓動にヴァヴァロは目を丸くする。
「や、べつに、どうも」
アルテュールはとぼけようと目を逸らした。その耳の先がわずかに赤いのを見て、ヴァヴァロは大きな目をますます大きくした。
「え、もしかして、好きって言われてどきどきしてるの? それだけで? 詩人のくせに? え、だって、恋バナとか大好物でしょ?」
そんなまさか。吟遊詩人ともあろうものが、こんな単純な好意の言葉で揺らいだりするだろうか。しかも他人の惚れた腫れたが大好物な人物が。ミックとエミリアの恋を熱心に応援し、「青少年の純愛が五臓六腑に染み渡る」などといまいち意味の分からないことを宣っていたアルテュールが。たった一言「好きだ」と言われただけで、胸を早鐘のように打たせることがあるだろうか。
信じがたいものを見た、とでも言わんばかりにまじまじと見つめられ、アルテュールは眉間を押さえた。
「……自分で言うのと人に言われるのじゃわけが違うだろ……」
居心地が悪そうに頬まで赤らめるアルテュールに、ヴァヴァロは人が悪い笑みを浮かべた。
「ふうん。ほー。へえ。ははあ。そうなんだあ」
いいことを思いついた、とヴァヴァロは立ち上がる。花を大事に手にしたまま、すとんと彼の膝の上に座り直した。
「え、なになに」
何事かと動揺するアルテュールには構わず、可愛らしく彼の胸に頭を擦り寄せ、上目遣いに見つめる。
「アルテュールだーいすき♡」
「んっ!?」
奇行じみた色仕掛けも、決して無駄ではなかったようだ。彼の部屋に突撃する直前、ヴァヴァロなりに研究した可愛い仕草をここぞとばかりに使う。
「すきすきすき♡ 今日のデート楽しかったね♡ また連れてってね♡ ずっとこうしてたいな♡ アルテュール良い匂い♡ 格好良いよ♡ いっぱい大好きだよ♡」
ありったけの甘えた声で、思いつく限りの甘い言葉を並べ立てる。捻りも何もあったものではないが、彼の顔がみるみる赤くなっていくのが面白くてやめられない。
「アルテュール、顔真っ赤だよ。くふふ、こんなんで赤くなっちゃうなんて、お主もウブよのう」
「──〜〜〜っ」
何か言いたげに肩をぷるぷる震わせる姿は見応え抜群で、ヴァヴァロは黙っていられない。
「もっと言ってあげよっか? アルテュールだーいすき──んむぅ!?」
調子に乗って喋り続けようとするヴァヴァロの頬をアルテュールは両手でむんずと挟むと──黙らせるように唇で唇を塞いだ。
花を胸に抱いたまま、ヴァヴァロは一気に硬直する。一瞬で熱くなった顔に彼の唇はむしろ冷ややかで、かえって口づけの感触を強調した。
「──っぷは」
長々と重なっていた唇がようやく離れると、ヴァヴァロは詰めていた息を吐いた。
口をぱくぱくさせているヴァヴァロにアルテュールは勝ち誇ったように笑う。
「キスくらいで真っ赤になるなんてお子ちゃまですねえ!! ヴァヴァロちゃん!!」
ヴァヴァロは目の前の男を呆然としたまましばし見つめ、
「ひ──ひ──人が見てたらどうするのー!?」
「いでっ!?」
悲鳴のような声を上げながら彼の顎を拳で叩き上げた。
──それから這々の体で帰路についた二人は、ときおり手を繋ごうと互いに手を伸ばしかけては、指先が触れ合った瞬間に慌てて離し。
会話らしい会話もまともに交わせぬまま、視線がぶつかる度に慌てて逸らし合いながら、ぎくしゃくとラベンダーベッドへと帰っていった。
その晩、ベッドに潜り込んだヴァヴァロは、胸を高鳴らせたまま「なあんだ」と独りごちた。──こんなに簡単に意識してくれるなら、馬鹿みたいな色仕掛けをしたり、いつまでもウジウジと悩んでいたりしないで、もっと堂々と気持ちを伝えればよかったと。
枕元に飾ったラナンキュラスを見つめながら、ヴァヴァロはいつまでも口づけの感触が残る唇をなぞり、締まりのない笑みを浮かべるのだった。