お守りのようなもの

「それ、大事なもの?」
 爽やかな風が吹くサマーフォードの道を、チョコボに引かれた荷車がガタゴトと行く。
 その荷台の縁に腰を掛け、開けた視界いっぱいに広がる白亜の街並みを眺めていたヴァヴァロは、しばらくして隣に座っている男に視線を戻した。
「うん?」
 ヴァヴァロの言葉にアルテュールは顔を上げた。
 農作物の納品を手伝った、その帰り道だった。「途中まで乗っていけ」という依頼主の厚意に甘え、海都と農園の別れ道までを荷車に揺られていた。
「それ。よく手入れしてるでしょ」
 アルテュールは「ああ」と合点がいった様子でそれを──短剣の鞘を磨く手を止め、軽く掲げてみせた。年季が入った鞘は、砂埃や細かな汚れをさっぱり落とされ、すっかり小綺麗になっていた。
「旅のお守りなんだ。大事にしてたら災難から守ってくれる……と思う」
「んん?」
 微妙な言い回しにヴァヴァロが眉を顰めると、アルテュールは可笑しそうに笑った。
「俺が勝手にそう思ってるだけで、実際はただの短剣だよ。洒落てるだろ?」
 差し出された短剣を受け取り、ヴァヴァロはしげしげと眺める。
「凝った作りだね。外国のもの?」
 鞘は白、柄は濃い赤茶の木製。そこに異国風の──エオルゼア諸国風ではない──金模様が踊っていて、その模様を彩るように所々に小粒の宝石が埋め込まれている。装飾の凝り方からして、日常使いを想定した物ではなく、儀礼用や観賞用といった印象を受けた。
「たぶんな。サベネア辺りのものだとは思うけど」
「知らないの?」
 お守りにしているわりに、来歴があやふやというのも妙な話に思えて、ヴァヴァロは首を傾げた。
 少女の疑問にアルテュールは屈託なく笑う。
「友人の形見でね。貰い物だから、詳しいことは分からないんだ」
「そ、そうなんだ」
 思いがけない返答にヴァヴァロは目を丸くした。気まずいものを感じ、悪いことを聞いてしまったかな、と手の中の短剣に目線を落とす。
 老衰だよ、とアルテュールは言い添えた。
「トトルン、って言ってさ。キキルン族の人で、何年か一緒に旅をしてたんだけど、もう爺さんだったから旅の途中で、ね」
 そっか、とヴァヴァロは少しだけ肩の力を抜いた。最後にもう一度、手の上で形見の短剣をじっくり眺めると、なるべく丁寧な手つきでアルテュールに返した。
「その人って」
 ヴァヴァロはしばし口を噤み、やがて考えながら口を開いた。
「前に言ってた、軽業の人?」
 ──冒険者になる前は旅芸人の一座にいた、と。
 以前、彼の素性を根掘り葉掘り問いただそうとした時に、たしかにそう聞いた。
 キキルン族の軽業師。イシュガルド貴族と噂の劇作家。若い踊り子の娘。一座に転がり込んだアラミゴ難民の夫婦。色々な人がいたのだと。
 あまり多くを語ろうとしなかったから、立ち入ったことは結局聞けなかったけれど。
「──……」
 瞬くよりも短い、ほんのわずかな時間。彼が身に纏っていた空気が引き締まるのを感じ、ヴァヴァロも軽く身体を緊張させた。
「そう。その人」
 アルテュールは何事もなかったようにその空気を緩めた。相手が笑ったのを見て、ヴァヴァロは無意識にほっとする。
「こういうのを集めるのが好きな人でさ。──ああ、そうそう、リムサまで来た時なんかに、よく市場を物色にいって」
 海都を望んだアルテュールにつられ、ヴァヴァロもまたそちらを見やった。晴れやかな青空を背にした白い街並みの美しさは、幾度目にしても見事なものだ。
「舶来品とか、掘り出し物の飾りが綺麗なナイフを……そうだな、トトルン風に言うと〝きらきら〟で〝ぴかぴか〟のナイフをしょっちゅう買ってきてさ。そのうちのいくつかを、彼が亡くなった時に形見分けでもらったんだ」
 キキルン族風の言い回しにヴァヴァロはくすりと笑いそうになる。
「じゃあ、本当にサベネア産かもしれないし、サベネア風かもしれないんだ」
「そういうこと。案外、ウルダハ辺りが出処かもなー」
 アルテュールはにっと笑う。
 その笑みをヴァヴァロは少しだけ意外に思った。
 ──そんなふうにも笑えるのなら。
(最初っから、そうやって来てくれたらよかったのに)
 胡散臭さの滲む愛想笑いで近づいてきて、窃盗未遂を起こしたりしないで。もっと普通に出会えていたら、彼のことを聞こうとするたびに、いちいち悩まずに済んだのに。
(同じ顔の人が、二人いるみたい)
 懐かしそうに指先で鞘を撫でる男をヴァヴァロはちらりと横目に見る。
 ときどき、ひどく不思議な心地になるのだ。いま隣に座っている男と、自分たちの荷から金品を漁ろうとした男が本当に同一人物なのだろうかと。
(謝るくらいなら、最初からしなければよかったのに)
 窃盗未遂については素直に謝られたから、仕方なく許してやったが。
 彼と話すのは意外と、わりと、結構、なかなか楽しいからこそ、あんなことさえなければ、もっと素直に交流できるのにと、そう思ってしまうのだ。
 ──とはいえ。
「その、トトルンって人」
 ヴァヴァロは足をぷらぷらと揺らす。
「どんな人だったの?」
 ──彼の旅の話は、やはり気になる。
 旅芸人の一座の暮らしにも興味があるし、霊災前から冒険者をしている知り合いは、いまのところアルテュールしかいないから、彼が嫌がらないのなら、もっと色々と聞いてみたかった。
 アルテュールはわずかに目を丸くしたが、先ほどのように身構えはしなかった。
「そうだな、トトルンは……」
 手の中の短剣に目をやり、アルテュールは考え込むように首を傾げる。
「……いつも嘘なんだかホントなんだか分からないことばっかり言ってて……」
「う、うん?」
 予想外の回答にヴァヴァロは目をぱちくりさせる。
「……人の話なんて全然聞いてなくて……かと思ったら意外と聞き耳立ててたり……」
「う、うん」
 困惑しながらも、ヴァヴァロはとりあえず頷いた。
「……水に濡れるのは大嫌いで……たまに臭くて……だから洗おうとするのに、いつも逃げ出して大暴れするし……隙あらば人のおかずを盗っていくし……食べカスは飛ばすし……その辺にゴミを投げ捨てるし……いびきはうるさいし……」
 うんうん唸りながら言い連ねていたアルテュールは、一度ぴたりと口を噤んだ。
「……あー、これだと変な奴みたいだな?」
「えーと、んー、なんかまあ、うん」
 すっかり面食らってしまったヴァヴァロに苦笑し、アルテュールは空を流れる雲を見上げた。
「でもなあ。本当にそういう人だったんだよなあ。掴みどころがなくて、好き勝手振る舞ってて、でも目端はしっかり効かせてて……。あ、軽業はすごかったぞ? なにしろその道二十年の大ベテランだったから」
「へえ、二十年も」
 ヴァヴァロは目を丸くする。
 キキルン族の寿命は二十年から二十五年ほどと聞くから、そのトトルンという人物は、人生のほとんどを軽業師として生きたことになる。本当に、その道一筋だったというわけだ。
「あとは、そうだな、ああ──」
 アルテュールは短剣を軽く掲げ、何事か思い出したように小さく声を立てて笑った。
「ナイフ投げも上手かったな。こう、人の頭の上にリンゴを乗せてさ、サクッと当てるんだよ。俺も新入りの頃に〝通過儀礼だ〟とか嘘つかれてやられたなー」
「え、すごっ」
 ヴァヴァロは驚嘆の声を上げる。その反応に、アルテュールは嬉しそうに前のめりになった。
「だろ? 俺も憧れてけっこう練習したけど、なかなかトトルンみたいにはいかないんだよなー」
 アルテュールは掌の上で短剣を器用に一回転させると、大事そうに握り込んだ。
「懐かしいな。……もっとたくさん話がしたかったよ」
 呟くように言った横顔は、優しいものだった。
 彼が脚に鞘を固定し直すのを見守りながら、ヴァヴァロは鞄の中の手帳に思いを馳せた。父が遺し、いまは自分が旅路を記している、大切な手帳に。
(お守り、かあ)
 たしかにお守りのようなものだと思う。
 自分にとっての手帳と、彼にとっての短剣は、きっと似たようなものなのだろう。

「んー! おなか空いたあ! 溺れる海豚亭、混んでるかなあ」
 海都への分岐路で荷車から降り、依頼主と礼を交わし合って別れると、ヴァヴァロはうんと伸びをする。
 隣で同じように身体を伸ばしていたアルテュールは太陽を見上げた。
「昼時か。混んでるかもなー」
 それなら、とアルテュールは付け加える。
「魚料理がうまい食堂があるんだけど、どうかな。興味があったら案内するよ。俺のおすすめ」
 さらりと提案され、ヴァヴァロは「むむ」と小さく唇をとがらせた。旅先の土地に行きつけのお店があるなんて、旅慣れてる感じがしてちょっと格好良くて、ちなんかムカつく。
「ふーん、じゃあ、行ってみようかな」
 食事にありつける場所を開拓できるのは歓迎だが、素直に提案に乗るのも悔しい気がして、ヴァヴァロは少しばかり澄ました口調で了承する。
 そんな少女の背伸びを知ってか知らずか、アルテュールは顔をくしゃりとさせる。
「よし、決まり。行こう。──あっ、トトルンのすごいところ思い出した。嵐が近づくと──」
 爽やかな風が抜ける海都までの短い道を、二人は並んで歩き出す。昨日よりも、少しだけ距離を縮めて。


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