少女なりの身辺調査
リムサ・ロミンサへの帰り道。
立ち寄った風車小屋の番人から農場周辺の警備を依頼されたヴァヴァロは、アルテュールと二人、シダーウッドの長閑な景色の中を警戒の目を走らせながら進んでいた。
コボルド族の姿が見えれば威嚇して追い払い、農作物を狙う害獣がいれば駆除しながら、なだらかな道を上っていく。小高い場所まで来ると、ヴァヴァロは何気なく上ってきた道を振り返った。
視線の先には、海に向かって赤い羽根車を掲げる白い風車群が広がっていた。晴れ渡る空と深い海の青を背に悠々と羽根車を回す風車の姿は、いかにも美しかった。
「風車塔は白いのに、なんでグレイフリートなんだろう」
ふと浮かんだ疑問がぽろりと口からこぼれ落ちた。
名前の由来はなんだろうか。少なくともヴァヴァロの目に映る限りでは、由来になりそうな灰色の建造物は見当たらなかった。
「嵐になると」
誰かの答えなど期待していなかったので、ヴァヴァロは少し驚いて背後の男を振り仰いだ。アルテュールは青空を──水平線を灰色の指で示した。それにつられてヴァヴァロは視線を風車群へ戻す。
「空に一面、灰色の雲が立ち込めるだろ? この辺りの風車は羽根車に帆布が使われてるから、風車を船に見立ててるんだ。空を灰色に染め上げるような強風だろうと力に変える、たくましい船の一群。それで灰色の艦隊だってよ」
「へええ」
ヴァヴァロは目を丸くした。
手近な岩に乗り上げ、視線を高くしてみる。掌で陸地を隠し、風車と海だけを切り取って見ると、なるほど羽根車の帆布も相まって、いかにも船のようだった。船そのものというよりも、赤い帆を張った白いマストが林立しているようだと、ヴァヴァロは思う。
いまの青空にこれ以上ないほど映えている風車群だが、どんよりと重たい灰色の空を背にした姿も、それはそれで圧巻かもしれない。思いがけず海の民の意気地のようなものを感じて、ヴァヴァロはしみじみとグレイフリート風車群を眺めやった。
「じゃあ、農場は? レッドルースターって、名物雄鶏でもいたのかな?」
風車群から視線を転じて首を傾げる。眼下にはゆるやかな傾斜地に拓かれた果樹園があり、広々と均された農地があった。
ヴァヴァロの疑問に、アルテュールもまた農場へと視線を向けた。
「農場に生まれた赤い雄鶏が普通の雄鶏よりも強いのか、賭けの結果で大喧嘩になって、誰も彼も鶏も、血塗れで真っ赤になったとかなんとか」
「なあんだ。そんな理由か」
ヴァヴァロは苦笑した。必ずしも立派な由来があるわけではないらしい。
「詳しいんだね」
見上げてくるヴァヴァロにアルテュールは肩を竦めた。
「この辺りを旅してる時に、地元のやつに教わったんだ」
「ふうん。結局、赤い雄鶏とどっちが強かったのかなあ」
「さあなー」
ヴァヴァロはくすくすと笑い──そして慌てて笑みを引っ込めた。泥棒と仲良くなんてしちゃだめだ。
──そう思うのに、なぜだろう。アルテュールと話すのは不思議と楽しい。
いまの気持ちを、ヴァヴァロは自分で言葉にすることができなかった。胡乱な男だと思うのに、話し始めると面白い。ちょっとした言葉に小気味良い返事があって楽しかった。旅暮らしが長いらしくなかなかに物知りで、ヴァヴァロの小さな疑問にも分かりやすい言葉で応えてくれる。時にヴァヴァロの旅の知恵や冒険者としての技量を褒めてくれることもあり、正直なところ、嬉しくて浮かれそうになったこともある。
不良のような外見をしているくせに、実は思慮深い人物なのかもしれない。ふとそう思わされる瞬間があるのが、どうにも悔しい。案外、良い奴なのかもしれないとは認めたくなかった。──だって盗もうとした。懇々と諭す祖父に乱暴な態度を取った。
「すまなかった」と謝ってはきたけれど、どうしても出会いの出来事が頭から離れないから、アルテュールと親しくすることに強い抵抗があった。
ヴァヴァロは気を引き締め直した。周辺の警戒だけでなく、隣を歩く男も注意深く監視する。一瞬だけ緩んだ空気は、あっという間に張り詰めた。
「なーんだよ」
黙々と農場周辺を半周ほどした頃だった。
しつこい視線に最前から気づいていたらしいアルテュールがちらりと視線を寄越してくる。
「悪いことしないように見張ってる」
「別になんもしやしねーよ」
真っ向からの疑いの目に、アルテュールは落胆も憤りもみせない。
──きっと、とヴァヴァロは釈然としないながらも思う。きっと本人の言うとおり、彼はもう何もしないだろう。少なくともグリダニアで再会して以来、彼は真面目に振舞ってきた。だからもう、彼を信じて気を許しても良いような気はしていた。
決着のつかない自分の心に困惑と苛立ちを覚える。もしかしたら自分が許せないのは彼ではなく、いつまでも曖昧な心持ちの自分自身なのかもしれなかった。
「なんで泥棒しようとしたの」
警備の終着点も見えてきた頃、足休めに立ち寄った水辺で、ヴァヴァロはとうとう黙っていられなくなった。
当時のアルテュールが金に困っているようには見えなかった。盗みに手馴れているわけでもなさそうだった。──彼を盗みに走らせた理由があるなら知りたい。
アルテュールはちらりとだけヴァヴァロを見やり、すぐに視線を水面に戻した。
「特に理由はねえけど」
淡々とした返答に、ヴァヴァロはますます眉を吊り上げた。理由もなく盗みを働こうとしたならいっそう質が悪い。いい大人が──歳は知らないが──そんな分別もないのだろうか。
「盗みは悪いことなんだよ!」
真正面から突っ掛かってくる少女を、男も今度ははっきりと見返してきた。
「ん、悪かったよ。ごめんな。もうしねーよ」
「!?」
弁解もなくあっさり謝罪され、ヴァヴァロは意表を突かれてしまう。
「じゃ、じゃあいいよ!!」
咄嗟に自分の口を突いて出た言葉にまで驚いて、ヴァヴァロは混乱する。慌ててアルテュールに背を向け、わけがわからず何度も何度も首を捻った。
「アルテュールはどこの生まれなの」
休憩を終え、風車小屋へと戻りながらヴァヴァロはアルテュールに尋ねる。ここまで来れば警備もほぼ終わったようなもので、ヴァヴァロの視線はアルテュールに向きがちになっていた。
「黒衣森の西の方」
「歳はいくつ?」
「二十五」
「いつから冒険者やってるの?」
気のなさそうな返事に構わず、ヴァヴァロは次々と質問を投げかける。
「七、八年くらい前からかな」
「じゃあ、けっこう長く活動してるんだ」
それはヴァヴァロの半生に匹敵する年月だ。冒険者ギルドが設立されて二十年ほどだそうだから、ギルドへの所属歴もそれなりに長いと言えるだろう。どうりで旅慣れているわけだ。
アルテュールは肩を竦めた。
「仕事欲しさにギルドに登録してるだけだから、傭兵崩れの何でも屋みてえなもんだけどな。大した経歴があるわけじゃねえよ」
特に謙遜する風も卑下する風もなく言う。
「ずっと一人でやってきたの?」
「依頼によっちゃ組むこともあるけど、まあ、最近は一人が多かったかな」
「冒険者になる前はなにをしてたの?」
「旅芸人の一座にいたよ」
ヴァヴァロは目を瞬かせた。思わず足が止まった。
「旅芸人って、軽業とか、お芝居とか?」
「歌うのと、芝居。まあ、雑用でも何でもやってたよ。下っ端だったから」
意外な返答にヴァヴァロは大きな目をなおさら大きくする。
街や村落で興行する旅芸人の一座。遭遇すれば立ち寄って芝居や軽業を楽しんだ経験がヴァヴァロにもあったから、ああした人々の一員として隣を歩く男が働いていたというのは、ひどく不思議な気分がした。
「そっちは? 辞めちゃったの? なんで?」
「いろいろあって」
足許に纏わり付くようにして歩くヴァヴァロに、アルテュールは素気無く答える。
「家族は?」
「さあ」
「さあって」
一座は家族で構成されていることも多いと聞く。一緒ではなかったのだろうか。
「子供の頃に故郷を離れたから、今頃どうしてるかは知らない」
「ふうん……」
ふと、ヴァヴァロはアルテュールと出会った時のことを思い出した。南部森林にある酒房、バスカロンドラザーズに立ち寄った時に聞こえてきた歌声。酔客のリクエストで一曲披露しているところに居合わせた。
それはどこにでもあるような酒場を賑わす陽気な酒飲み歌だったが、妙に人を惹きつけるものがあって、ヴァヴァロたちの足を思わず引き留めたものだった。
──あんな風に歌っていたのかしら。旅芸人の一座でも。冒険者になる前ということは、今の自分と同じような年頃のはなしだろうか。
「一家じゃないってことは、色んな人が集まってやってたの?」
ヴァヴァロは彼らの世界に詳しくない。首を傾げて尋ねると、アルテュールは頷いた。
「色んな人がいたな。俺みたいに一座に転がり込んで、客前で芸を披露するのもいたし、キキルン族の軽業師もいたよ。イシュガルド貴族って噂の劇作家とか、行き場を失くしたアラミゴ難民の夫婦とか、同い年の踊り子とか」
アルテュールは少しだけ懐かしそうに微笑んだ。取り繕ったような笑顔ではなく、本当に笑ったのだと思った。
「じゃあ、けっこう大きな一座だったんだ?」
「そうかもな。他の一座を知らねえから、なんとも言えねえけど」
「なんて一座?」
アルテュールはこれには答えなかった。肩を竦めてはぐらかされたところで風車小屋が見えてきて、仕方なく会話を切り上げる。
風車番から謝礼を受け取ると、二人は今度こそリムサ・ロミンサへの道を戻り始めた。今からなら、徒歩でも夜までには辿り着けるだろう。
ヴァヴァロは軽く息をついた。なかなかに目まぐるしい一日で、さすがに疲労を感じていたが、街までもう一踏ん張りある。見上げた空は、いつのまにか暮れ始めていた。
「──じゃあ身長は?」
海都までの帰り道。
ヴァヴァロは散発的に質問を投げ続けていた。さすがに質問の種も尽きてきて、特に意味のない問いかけばかりになっていたが。
無意味な自覚はあるのだが、なんとなく辞めたくない。アルテュールという人物を、少しでも知っておきたかった。
「八十イルムくらいかな」
「信仰してる神様はいる?」
「強いて言うならノフィカ様」
「なんで?」
「美人だっていう噂」
「そんな理由で?」
ヴァヴァロは呆れ顔になった。
そんな少女を横目にアルテュールは笑っている。次の質問にうんうん悩むヴァヴァロは、その苦笑にも似た柔和な笑みに気がつかない。
「す、好きな食べ物は!?」
いよいよ質問に困ったヴァヴァロがようやく絞り出した問いに、アルテュールは堪らず失笑した。自分で聞いておきながら、ヴァヴァロは恥ずかしくなってしまう。
「うまいものはなんでも好きだよ」
「ふ、ふうん。私もおいしいものはなんでも好きかな」
くつくつと笑いながら言われ、ヴァヴァロは顔が熱くなった。
「──じゃあ好きな色は!?」
好きな色は紫。海と森ならば海の景色を好み、暑さ寒さなら寒さのほうが耐えられる。広い部屋はなんとなく身の置き場がなくて落ち着かないから、宿などは窮屈な狭い部屋でも気にならない──。
ひたすら続く質問責めにアルテュールが嫌がるそぶりをみせることはなかった。
他愛のないものとなった問答を続けながら、ヴァヴァロはふと顔を上げた。シダーウッドには中央ラノシア方面へと抜ける坑道がある。ブラインドアイアン坑道と呼ばれるその場所は、かつては粉塵で前が見えないほどだったという。それで思い出した話があった。
「ねえ、シェーダー族の人は真っ暗な洞窟のなかでも迷わず進めるって本当? コウモリみたいに」
純粋な疑問にアルテュールはああ、と微苦笑した。
「他の種族よりも、まあ、耳がいい奴は多いだろうけど。よく聞かれるけど、あれはコツがあるんだ。見えなくても、聞こえてればある程度は分かるってだけで」
「ううん……?」
首を傾げたヴァヴァロにアルテュールは耳を示してみせる。
「洞窟とかだと音が響くだろ? その反響を聞き分けるんだ。音さえすれば、周りの状況が分かるから」
簡単そうに語るアルテュールに、ヴァヴァロはしばらく考え込んだ。
「それって私にもできる?」
アルテュールが言うほど容易く会得できる技術だとは思えないけれど。身につけられるものなら、きっとこれからの旅に役立つはずだ。
アルテュールはこだわりなく頷いた。
「コツを掴めばできると思うぞ。機会があったら教えてやるよ」
「うん!」
ヴァヴァロはぱっと顔を輝かせた。
迷子橋を越えてしまえば、リムサ・ロミンサは目と鼻の先だった。
遠目に見えてきたテンペスト陸門を目指しながら、風に誘われて海へと目を向けた。遠く灯台の光がぽつねんと海原に佇んでいる。
「綺麗だな……」
暮れなずむ海を眺めやりながら、ヴァヴァロはぽつりと呟いた。吹き抜ける緩やかな風がその声を攫っていく。
彼方まで広がる海は太陽に煌めく姿を次第に潜め、どこか物寂しげに夜に染まっていこうとしていた。高揚感を誘う青い輝きは、灯台の光と星月以外に頼るもののない、畏怖の念を与える果てない暗がりへと姿を変えつつあった。その狭間の光景が、胸に沁みるように美しい。
先に海都に戻った仲間たちは、街で一息ついている頃だろうか。夕食がまだなら、共にできると良いのだけれど。
──思いながらも、最前からどうにも足が重かった。足だけでなく全身がずしりと重い。次第に歩みが遅くなり、並んで歩いていたアルテュールと歩調が合わなくなる。
「おーい、どうした」
いよいよ立ち止まってしまったヴァヴァロを振り返り、アルテュールが尋ねてくる。
「な、なんでもない」
言った矢先に足が縺れた。転びかけたところを咄嗟に伸びてきた灰色の手に支えられた。
「具合悪そうだな、疲れたか?」
膝をつき、小さな子にするように顔を覗き込んで言われ、ヴァヴァロはきまりが悪くなってしまう。
「こ、子供じゃないんだから、このくらいで疲れたりしないよ。ちょっと足が縺れただけ」
強がるヴァヴァロを無視し、アルテュールは手袋を外すと「ちょっと失礼」とその額に掌を押し当てた。大きな手がひやりと冷たくて気持ち良かった。
「熱があるじゃねーか」
「アルテュールの手が冷たいだけだよ」
反発してはみるものの、実のところ自分でも発熱しているような気は薄々していた。認めてしまうとごまかしが効かなくなってしまう気がして、無視を決め込んでいたのだけれど。
「これで熱がないって? 意地張るなよな」
「別に意地なんて張ってないよ……」
呆れたように言われ、ヴァヴァロは消え入るような声で反論する。
傍目にも疲労が見て取れるのに、いっかな認めようとしない少女にアルテュールは息を吐いた。弓と荷を身体の前に回すと、ヴァヴァロに背を向けて屈む。
「ほれ」
背に乗るよう促され、ヴァヴァロは赤くなった。
「だ、大丈夫だってば」
「その調子じゃ夜までに戻れねーぞ」
「先に行ってて。すぐ追いつくから」
「俺だけ先に戻ったら、どっかの呪術士さんにカミナリ落とされちまうだろ。ほれ、はやく」
なおも渋るヴァヴァロをアルテュールはため息まじりに促す。
「や、やだよ。ちっちゃい子供みたいで恥ずかしい」
「いいから」
「むぅ……」
恥ずかしいが、たしかにこの調子では、街に着くまでにとっぷり日が暮れてしまいそうだった。
散々迷った末、渋々その首に腕を回すと、アルテュールは後ろ手にヴァヴァロをしっかり抱えて立ち上がった。何度か位置を調整するように体を揺すり、安定したところで歩き出す。
「重くない?」
「ちょっとな」
いくらララフェル族が小柄とはいえ、荷ごと背負っているのだから当然だろう。そっと尋ねると、アルテュールは気にするふうもなく答えた。
「……ごめん……」
情けなさが込み上げてきて、ヴァヴァロは泣きたい心地だった。
こんな調子で──いつも誰かに守ってもらって。皆と肩を並べて冒険できる日は、いつか自分に来るのだろうか。
「いいよ。街に着くまで寝てな」
「……うん。あ、街に着いたら降ろしてねっ」
「はいはい」
浮かんできた涙に慌てて瞬きながらも、ヴァヴァロは精一杯強がる。苦笑するアルテュールの声はどこか柔らかかった。
広い背に揺られながら、熱もあってかヴァヴァロの瞼は次第に落ちてくる。
(──ヴァヴァロは軽いなあ)
うつらうつらとする脳裏に、懐かしい声が響いた。
まだ小さい──本当に小さかった頃に、その背にヴァヴァロを乗せて遊んでくれた父の声だった。懐かしく愛しく、もう遠い人。
父の背や肩に乗せてもらうのが好きだった。一人では見えない景色が、父と一緒なら見えた。そしてなによりも、その広い背のぬくもりが好きだった──。
(……お父さんの背中みたい……)
父とは少しも似付かないけれど。背中のぬくもりは同じに思えた。
夢現のヴァヴァロの耳に、ごくわずかな歌声が届いた。囁くような歌声に不思議なほど心を慰撫されて、ヴァヴァロは安堵して目を閉ざす。
真正面から激突してくる少女を軽んじ疎む様子は一分も見せず。気のないような態度でその実、二人きりの道中にアルテュールなりの緊張があったことなど知らないまま、ヴァヴァロは眠りに滑落していく。
──これから途方もなく長い付き合いになるとは、二人とも露知らず。