赤いセーター

 アラミゴ解放戦から生還した、その年の冬。
 アルテュールはラベンダーベッドの自宅で矢を拵えていた。
 寂しげな風が自室の窓をかたかたと揺らす。その音に耳を傾けながら黙々と手を動かした。
 矢筒一本分の矢を作り終えると、座ったまま肩と背筋を伸ばした。途端に身体が硬そうな音を立てて、思わず苦笑いしてしまう。
 解放戦で負った傷を癒すのにかなりの時間を要してしまった。冒険者復帰に向けて鈍った身体を少しずつ動かしてはいるが、想像以上に身体は萎えているようだった。
 それも当然だ、と自分で思う。傷が癒えてからも気力が湧かず、何をするでもなくぼんやりと過ごしていたのだから。
 アラミゴ奪還という歴史の節目に立ち会って燃え尽きたのか、あるいは長い療養生活が胸に穴をあけてしまったのか。正確なところは自分でも判然としなかったが、相棒に「いつ復帰するのか」と発破を掛けられるまでは、移り行く季節をただ眺めて過ごす日々だった。
 アルテュールは窓の外に目をやる。風は今も窓を小さく揺らしていた。窓辺から忍び寄る冷気だけで、外の寒さが知れようというものだ。
 先んじて活動を再開している仲間たちは、寒さをものともせず今日もどこかを飛び回っていることだろう。リンクパールから時折聞こえてくる会話は和やかものだった。
 身体の調子を取り戻すにはまだしばらく時間がかかってしまうだろう。彼らと再び旅ができるようになるのはいつのことやら、とアルテュールは微苦笑する。今になって無為に過ごしてしまった時間が惜しかった。
 さて、とアルテュールは立ち上がった。軽く机の上を片付けると、改めて窓の外の様子をうかがう。どんよりとした雲が空を覆っているが、雨や雪の心配はなさそうだ。
 今日は珍しく全員が家から出払っていた。グリダニアに買い出しに出たツェルフアレンとケイムゲイム夫妻が戻るのはもう少し先になるだろう。となると、じきに着くと連絡のあったヴァヴァロの方が帰宅が早いかもしれない。あるいは、三人揃っての帰宅ということも。
 近頃すっかり家のヌシを気取っているから、せめて茶の用意でもして皆の帰りを待とう、と台所に赴く。
 とりあえず四人分の茶器を取り出し、湯を沸かす支度をしていると、乾いた風の中を駆ける軽快な足音が耳に届いた。アルテュールは唇を綻ばせる。小さな太陽のお帰りだ。
「ただいまー!」
 ヴァヴァロが元気よく家の中に飛び込んできた。アルテュールは台所から顔を覗かせる。
「おかえり。外寒かったろ」
「あっ、アルテュール起きてたんだ。ケ、ケイムゲイムさんは?」
 アルテュールの顔を見たヴァヴァロは急にどきまぎした態度になる。
「グリダニアに買い物に行ってるよ。そろそろ帰ってくるんじゃないかな」
「そ、そっかあ。体調はどう?」
 ヴァヴァロの言葉にアルテュールは苦笑を噛み殺す。怪我をして以来、ヴァヴァロに体調を問われるのはもはや日課だった。
「今日は調子良いよ。お茶飲むだろ? 今用意するから、ちょっと待っててな」
「う、うん、ありがと。鞄置いてくるね」
「ん」
 ぱたぱたと二階に上がっていったヴァヴァロは、すぐに小包を手に下りてきた。
「ね、ちょっと来て」
「うん?」
 アルテュールがヤカンを火にかけ終えたところを見計らい、彼を居間まで引っ張り出すと、
「これ、アルテュールにあげる」
 ヴァヴァロは顔を赤くしながら胸に抱いていた小包を差し出した。
「ええと……?」
 渡された小包にアルテュールはきょとんとしてしまう。
 今日はなにか贈り物をされるような特別な日だっただろうか。星芒祭は既に過ぎているし、誕生日というわけでもない。思い当たる節がなくて、包みを手にしたまま目を瞬く。
「開けてみて」
「お、おお」
 首をすくめながら言われ、アルテュールは戸惑いながら包みの紐を解いた。包み越しの感触は柔らかい。布地を折り畳んだような感触からして衣類だろうか。そう思いながら包みも開けると、予想通り衣服が姿を現した。赤紅色の暖かそうなセーターだ。
「え、これ、俺に?」
 アルテュールは驚いてセーターを広げた。全くの新品のセーターだ。手触りからして素材が上等なのだとすぐに分かる。縄状の網目が交差した柄が洒落ていて、どこか冬場の漁師たちが着ているセーターを思い起こさせた。
「う、うん、どうかな」
「え、や、すげーいいけど、なんで急に」
 緊張した面持ちのヴァヴァロとセーターを思わず何度も見比べてしまう。本当に、贈り物をされる理由が全く思い浮かばなかったのだ。
「アルテュール、まだ体調が悪い時もあるでしょ? これからもっと寒くなるし、暖かい服がもう少しあってもいいんじゃないかなって……」
 ヴァヴァロはもごもごと答える。ようやく得心して、アルテュールは申し訳なさそうに笑った。
「そっか、気ィ使わせちまったな。ありがとう。大事に着させてもらうよ。高かっただろ、これ」
「別にいーの。アルテュールだって私に服買ってくれたりご飯奢ってくれたりするでしょ。そもそも怪我したのだって、私が」
「それはもういいんだって」
 続く言葉を遮るようにヴァヴァロの額を押さえた。──ヴァヴァロはずっと気に病んでいるのだ。自分のせいで相棒に大怪我をさせてしまったと。
 ヴァヴァロを庇って深手を負ったのは事実だ。混戦極まるアラミゴ市街地で魔導兵器の攻撃からヴァヴァロを庇ったのだ。だが、アルテュールに言わせれば庇う以外の選択肢はなかった。そもそも考える暇すらなかったのだ。咄嗟に身体が動いていた。もし魔導兵器のあの悍ましい爪の餌食になっていたのが自分ではなくヴァヴァロだったらと、想像するだけでぞっとした。
「せっかくだし着てみてよ。どこかきつかったりしない?」
 しばらく口籠もっていたヴァヴァロが気を取り直したように顔を上げた。アルテュールはおろしたてのセーターに袖を通す。
「どうかな」
「良かった、大丈夫そう」
 ヴァヴァロはほっと胸を撫で下ろした。
「こういう明るい色、似合うかね」
 めかし込むのは好きだが、自分の灰色の肌に明るい色を合わせると浮ついているような気がしてしまって、いざ袖を通すと少し照れくさい。
「似合ってるよ。アルテュールいつも嫌がるけど、白とか明るい色、すごく合うよ」
「そうかねえ。ああ、すげーあったかいや。ありがとな」
 セーターが冷気をすっかり遮ってくれて、ほっとするほど暖かかった。今までも十分に暖かくしていたつもりだったのに、冬の寒さは思いのほか身体に纏わりついていたようだった。これは良いものを貰ったな、とアルテュールは微笑む。
「そうだ、今度二人で飯でも行こうぜ。セーターのお礼にさ、何か奢るよ」
「ふ、二人で?」
 アルテュールの提案にヴァヴァロは動揺した。ああ、とアルテュールは言葉を加える。
「もちろん、他に誰か一緒でも。ミックあたりでも誘って行こうか」
 いまだに今までの癖が抜けない自分に苦笑する。ヴァヴァロだってもう成人した立派な女性なのだ。いくら親しい間柄とはいえ、親でも恋人でもない男と二人きりで行動するのはもう嫌な年頃だろう。つい先日もいつもの調子で話しかけて「近すぎる」と嫌がられたばかりだ。
「ふっ、二人! 二人で行こうよ。最近あんまり話せてないし、二人でその、ゆっくり……」
「ん、じゃあ、そうしよう。ああ、お湯が沸いたかな」
 顔を赤くするヴァヴァロに首を傾げながらも、しゅんしゅんと湯が沸く音にアルテュールは台所を振り返った。その音に気を取られ、ヴァヴァロが小さく「やった」と呟いたことには気がつかない。
「今淹れてくるよ。座ってなー」
「あっ、私も手伝うよ!」
 台所に戻るアルテュールをヴァヴァロはぱたぱたと追いかける。

 相棒が胸に秘めた想いはともかくとして。
 贈られた赤いセーターはその日以来、彼の愛用の冬着である。


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