『どういうことかね、これは』

 夢を見る。懐疑の目。

『お前が犯人か。てっきりあのネズミ野郎の仕業かと』
『彼を隠れ蓑にしていたのか』

 夢を見る。失望の目。

『では誰かが仕組んだと?』
『手癖なんでしょ。忘れたの、その子シェーダー族よ』

 夢を見る。侮蔑の目。

『君も知っているだろう。盗みは御法度。例外はない』
『今は大事な時期なんだ。分かるね』

 夢を見る。拒絶の目。

『小僧、嘘をつくな。お前に精霊の声が聞こえるはずないだろう』

 巻き戻る。苛立ちが滲む声。

『真に精霊の声が聞こえているのなら、貴方にも分かるはずです。なぜ我々が無法者を忌み嫌うか』

 巻き戻る。軽蔑に満ちた声。

『自分たちが困ったときだけ助けてもらおうなんて』
『本当に、なんて厚かましいのかしら』

 巻き戻る。呆れ果てた声。

『目をかけてやったというのに。この恥知らずめ』
『二度とその薄汚い顔を見せるな』

 夢は容赦なく秘めた恐れを暴く。

『***の息子だって知ってたら仲良くしなかった』
『近寄らないでよ。友達だと思われるじゃない』

 暴かれた恐れは容赦なく心を抉る。

『まんまと騙されていたわけだ』
『こんな恩知らずを大事にしていたなんて』

 夢を見る。繰り返す。恐れは何度でも暴かれる。
 他でもない自分が見せる夢なのだ。
 何を恐れているかなど、秘め続けられるはずがない。

 ***


「──……」
 暗い天井を見上げたまま、アルテュールは細くため息をついた。
 我ながら分かりやすいものだと思う。軽業を見たその日のうちに昔の夢を見てしまうのだから。
(……よくもまあ、飽きずに同じ夢を見るもんだ……)
 夢の内容はたいてい決まっていた。一座で盗みを追及された日の記憶に始まり、そこから連鎖するように少年時代の苦い記憶へと遡る。そして最後は。
(……たまには大暴れする夢でも見りゃいいのに……)
 最後は決まって、親しかった人々に罵られる夢を見た。
 一夜にして状況が一変してしまったあの日。盗みなどしていないという訴えも虚しく、あの男の思惑通り、〝掟〟を盾にした座長の保身で一座を追放されたあの日。
 あまりにも突然の決定で、皆に別れを告げることさえできなかった。わずかな荷物と、無理やり握らされた故郷までの路銀。夜明けの頃に天幕から追い出され──それきり、一座の誰とも再会していない。
 だから、知らない。自分が盗みを犯したと聞いて、彼らがどんな反応をしたか。
 そして自分は恐れているのだ。彼らに──家族のように親しかった彼らにまで軽蔑の目を向けられ、失望されることを、途轍もなく恐れているのだ。
 何年経っても。もう会う機会など一生涯ないとしても。
(……久しぶりに寝不足かな、これは……)
 アルテュールは目を瞑る。
 眠れる気はまるでしなかったが、少しでも身体が休まることを期待して。
 夜明けまでは、まだ長い。

 ***


 断片的な眠りを繰り返して迎えた夜明けは、ひどく気鬱なものだった。
 重い身体を引き摺るように起き出すと、のろのろと支度をする。もう少し横になっている時間はありそうだったが、これ以上眠る努力を続けるのも億劫だった。
 顔を洗い、髭を剃り──そして鏡の中の自分に自嘲する。
「隈なんてこさえちゃって、まあ」
 目の下の黒ずみが露骨に睡眠不足を主張していた。
 試しに目の周りを軽く揉む。少しでも隈が薄れることを願ったが、多少顔の強張りが取れた程度で、あまり効果はなさそうだった。
(前向きに考えよう。最近はよく眠れるようになったってことだからな)
 ついでに眉間や頬を揉みながら、アルテュールはこぼれそうになったため息を飲み込んだ。
 悪夢を見るのは長年の日常だった。それを、久しぶりに見た。ということはつまり、ここしばらくは悪夢に苛まれずに済んでいたということだ。
 だから気を塞ぐ必要はない。そう自分に言い聞かせ、さっさと服を着込む。
(そうそう、人には恵まれてんだから。暗い顔してちゃ、それこそ恩知らずだろ)
 人と深く関わることを長い年月避けてきた。一ヶ所には長く身を置かず、特に生き甲斐らしいものも持たず、ただ日銭を稼ぐだけの日々。
 そんな根無し草に親切にしてくれた人々の顔を、目を瞑れば多く思い浮かべられる。自分の恵まれているところだろう。
 受けた親切を忘れるような──忘れた挙句に勝手に荒むような真似は、もう二度と繰り返してはいけない。
 着替え終え、髪を適当に高い位置で括ると、アルテュールはもう一度鏡を覗き込む。
(ヴァヴァロにバレねえようにしないとな)
 物怖じというものを知らず、たまに笑ってしまうほどはっきりと物を言う彼女。ころころと表情を変え、大きな目のせいで少しも感情を隠せないあの子。
 何事にも前のめりな彼女はしかし、時に繊細なほど、その美しい宝石の瞳で周囲を観察しているのだ。
 そんな彼女のことだ。うっかりこちらの不調を見抜いてくる恐れもある。
(ま、こんくらいなら目立たねえか)
 もともとどっちつかずの曖昧な肌色だ。隈なのか否か、側からは判別しにくいだろう。

 アルテュールは指先でにゅっと口角を持ち上げ、笑顔を調整する。
「芝居は得意だろ、アルテュール君」
 年下のお嬢さんに──ララフェル族の年齢はどうにも分かりにくいが──心配をかけるほど情けないこともないだろう。何事もなかった顔を今から保つのも、朝の支度の一つだ。
 最後に形見の短剣を脚のベルトに留めようとし、アルテュールは手を止める。短剣を握ると、しばしの間、額に押し当てた。
「……前、向かないとな」
 小さく呟き、顔を上げる。
 軽く呼吸を整え、短剣を定位置に留めると、静かに部屋を後にした。


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