解放の時

 落ちかけた意識の端で聞こえた雄叫びに、ヴァヴァロはハッと覚醒した。眼前に映ったのは空と建物と、敵が味方か判別できない人々の影。
「……っ」
 ──魔導兵器の追撃が来る。避けなければ。
 咄嗟に思って転がろうとしたが、全身に痛みが走り、まともに起き上がることすらできない。
「──なに……っ?」
 どういうわけか追撃の気配がないことを察すると、頭だけでも持ち上げ周囲の状況を確認しようとする。しかし、これも叶わなかった。次いで疑問が浮かぶ。──なぜ助かった。
 しくじった、と思った。鹵獲した魔導アーマーで不滅隊を援護していたところを別の魔導兵器に襲われた。対抗する間もなく魔導アーマーから投げ出され、把握できたことといえば、相手が蜘蛛のような形状をした大型の魔導兵器であることだけ。
 全身をしたたかに地面に打ちつけられて、追撃に備えることができなかった。相手は明らかに、魔導アーマーの操縦者である自分を狙っていた。
 ──でも、まだ息がある。生きている。追撃はない。なぜ。状況は。
 勝鬨が聞こえた。その声に励まされ、ヴァヴァロは強引に、今度こそわずかに頭を持ち上げ、そして息を呑んだ。
「──あ、」
 霞む視界に、魔導兵器に乗り上げたイ・ノギヤの姿が見えた。さらにその視界の端に、見慣れた灰色の手。
「……ア……ュ……」
 声は出なかった。それが痛みのせいなのか、動揺のせいなのかは分からない。
 ヴァヴァロは鈍い動作で腹這いになると、地面を掻くようにアルテュールにそばに向かう。
 ──なぜ。どうして。アルテュールがそんな場所に倒れている。ごろりと地面に転がったまま──どうしてぴくりとも動かない。
「……テュール……しっ、かり……」
 伸ばした指先が投げ出されたアルテュールの腕に届いた。ヴァヴァロは渾身の力でその腕を掴む。
 自分を狙った攻撃に巻き込まれてしまったのか。それとも新手の敵が現れたのか。いずれにせよこの場に留まるのは危険だ。一旦離脱しなければ。
「──え?」
 さらに這い、やっとの思いでアルテュールの身体に縋りついたヴァヴァロは凍りついた。
 揺り起こそうとコートを掴んだ手がぬるりと滑った。血だ。出血している。どこから。胸部だ。腕からも。強固な魔法障壁も、特殊な繊維で編まれたコートも、すべてを破って彼の身体を裂いた者がいる。なんで。誰が。どうやって。
 なんで。なんでなんでなんで。なんで自分ではなくアルテュールが怪我をしている。なんで──。
「……あ、だめ、アルテュール……お、起きて……」
 ──自分を庇ったからだ。それ以外になにがある。魔導兵器の追撃から、アルテュールが自分を庇って倒れた──。
「て、手当……あ、止血……ち、治癒魔法……」
 とにかく応急処置を。それよりも安全な場所に。否、迂闊に動かすのはまずい。
 悔むのは後だ。そう思うのに、足元から湧き起こる震えに阻まれ、何をすることもできない。
 惑う間にも傷口から滲み出る血がアルテュールのコートと灰色の肌を濡らしていく。横臥したまま、生気の失せた顔は睫毛の一本も動かない。
 誰かが自分たちの名を呼んでいる。その声も、入り乱れる足音も、どこかで轟く砲撃の音も。すべてが遠い世界の出来事のように耳に入らない。
「──ヴァヴァロ!!」
「──アルテュール! アルテュール!!」
 滑り込む勢いで駆け寄ってきた仲間の声に、ヴァヴァロはようやく我に返った。いつの間にか眼に溜まっていた涙が顔を上げた弾みに散った。
「ノ、ノギヤさ……フォルカーさ、ん……アル、アルテュールが……」
 イ・ノギヤは素早くアルテュールの怪我の具合を確かめると、険しい表情のまま背後を振り返った。
「ファロロ、警戒お願い!!」
「ええ!」
 相棒の要請を待つまでもなく、ファロロはすかさず皆の周囲に魔法障壁を展開する。
「だめだ、だめだぞアルテュール!! 私が生き残って君が命を落とすなんて、そんなことがあってはだめだ!! しっかりしろ……!!」
 フォルカーはアルテュールの手を握ると、泣きそうな声で強く呼びかけた。切実なその叫びに、ヴァヴァロは全身から血の気が引いていくのを感じる。
(──……死?)
 ひゅっと息を呑んだ。石畳にへたり込んだまま、指の一本も動かすことができず、目線だけをそろりとアルテュールに向ける。フォルカーの声に反応する様子もなく、まるで眠っているような、顔。
「あっ……? は……っ」
 胸が苦しいほどに締めつけられた。呼吸が乱れ、息が詰まる。痛いほどに速まる鼓動に、それまで凍りついていた指が震えだした。
「……や……だ……」
 ──アルテュールが死ぬ? 自分を庇ったせいで?
 だめだ。そんなことはぜったいに、あってはならない。だって、だって──彼にはない。理由がない。ガレマール帝国と戦う、彼自身の理由がない。だからだめだ。義理と恩義でここまできた彼が自分を庇って死ぬなんて、あってはならない──。
「──ヴァロ!! ヴァヴァロはどう!? 怪我の具合は!? 動ける!?」
「──っ」
 イ・ノギヤに激しく肩を揺さぶられ、ヴァヴァロは今度こそ茫然自失の泥濘から抜け出した。乱暴に涙を拭い、しっかりとイ・ノギヤを見返す。
「は、はい! 動けます、私は大丈夫……!」
 どこかに怪我がないか、ヴァヴァロの身体を弄って確かめていたイ・ノギヤは、はっきりとした返答に頷いた。
「悪いけどアルテュールが先だよ! 治癒魔法をお願い、アタシも補助するから!!」
「はい!」
 興奮のせいか痛みは鈍いが、おそらく自分の右足は折れている。だがその程度の怪我、目の前の重傷者に比べれば騒ぐようなものではない。
 ヴァヴァロは無理やりに息を深く吸った。何度か深呼吸を繰り返し、込み上げてくる不安を振り払うと、アルテュールの傷口に手を翳す。
「大丈夫……出来る……落ち着いて……」
 自分に言い聞かせるように呟く。そうだ、死なせない──ぜったいに!
「頼む、助けてやってくれ……!!」
「はい!!」
 フォルカーの懇願に勢い込んで応えると、全身全霊をかけて治癒魔法を唱える。イ・ノギヤも集中するように目を瞑ると、治癒魔法に自身のエーテルを同調させ魔力の巡りを活発化させる。やがて魔力は淡い光になり、アルテュールの痛ましい傷口を包んだ。
「アルテュール、しっかりするんだ、目を覚ませ!!」
 フォルカーの声に呼応するように、ヴァヴァロは魔力の放出をさらに加速させた。治癒魔法は万能ではない。出来るのは、エーテルを分け与えて本人の自然治癒能力を高めることだけ。
「起きて……アルテュール……起きて……!」
 すべての負傷を瞬く間に完治させるような奇跡は起こせない。だから結局、最後は本人の生命力に頼るしかない。
 涙を堪え、ありったけの魔力を治癒魔法に変換しながら、ヴァヴァロも縋るように相棒の名を呼ぶ。
「──……」
 ぴく、とアルテュールの指が動いた。眉間に力を込め、長い睫毛を震わせる。
 ヴァヴァロたちはハッと顔を見合わせた。
「アルテュール!!」
「眠ってはだめだ!!」
「ほら、しっかり!!」
 喧しいほどの声に、アルテュールはごく薄く瞼を上げた。フォルカーの手を弱々しく握り返し、朦朧としたまま何かを探すように瞳を彷徨わせる。
「アルテュール、分かる!? 私、ここにいるよ……!!」
 彼が何を探しているのか、聞かずとも分かった。ヴァヴァロはたまらず涙をこぼす。いますぐにでもその手を握りしめたかった。だが、まだ治癒魔法を緩めるわけにはいかない。
 アルテュールは声を辿るようにふらふらと目線を上げる。その視線の先、ごく近くにヴァヴァロがいることに気がつくと目を見開いた。
「……、……」
 唇がかすかに動いたが、声にはならなかった。そのまま大きく息を吸おうとし、激しい痛みに驚いたように呻いた。
「息はあるのね!?」
「なんとか」
 振り返ることができないファロロに短く応え、イ・ノギヤはぴしゃぴしゃとアルテュールの頬を叩いた。
「意識はあるね? 肋骨が折れてる、けど肺には刺さってない。ゆっくり息を吸って。ゆっくりだよ」
 アルテュールは依然として朦朧としたまま、それでもたしかにイ・ノギヤを見返すと、ほんのわずかに頷き、浅く深く呼吸をする。次第に意識が鮮明になってきたのか、苦しそうにしながらも空を仰ぐと、ぴくりと肩を震わせた。
「……お、わ……った……?」
「まだだよ。まだ──」
 ヴァヴァロの言葉を遮るようにアルテュールはゆるく頭を降った。弱々しく口角を上げ、貴族街の先を──王宮の方角を見やる。
「……終わった……」
「──え?」
 ヴァヴァロたちの耳に響めきが届いたのはそのときだった。街の一角から波のように押し寄せてきたその声は、やがて「アラミゴ解放軍、勝利」の伝令とともに、戸惑いや緊張をも巻き込んで歓声へと変わっていく。
「……勝ったの?」
 ファロロは呆然としたように呪具を下ろした。フォルカーもまた、王宮の方角を信じがたい表情で凝視する。
「勝った……解放軍が……? アラミゴが……解放された……?」
 アルテュールはフォルカーを仰いで笑う。
「……やったな……おじさん……」
「……っ、おお……っ」
 我知らず落涙したフォルカーの手を労うように握ると、アルテュールは軽く顔を傾けて仲間たちの顔を見る。弱々しいながらも気丈な様子を見せる彼に、ヴァヴァロもどうにか微笑みを返した。
 歓声はじきに歌へと──アラミゴの国歌へと姿を変えていく。その歌声を聞きつけ、のろのろと身を起こそうとしたアルテュールに周囲の者たちはぎょっとした。
「だ、だめだよ! 安静にしてないと!」
 驚いたヴァヴァロは思わず治癒魔法を中断してしまう。出血はひとまず止まったようだが、傷口はまだ塞がっていないのだ。意識を取り戻せたのも一時的なことかもしれない。起き上がるなんてもってのほかだ。
「この瞬間に立ち会うためにここまで来たんだ。ここで歌えないんじゃ、死んでも死にきれないって」
 掠れ声で笑うアルテュールに反駁しようとし、ヴァヴァロはぐっと言葉を飲んだ。〝吟遊詩人として歴史的瞬間に立ち会う〟というのが、ほかでもないアルテュール本人が、参戦にあたって掲げた志だった。
 皆に助けられて上体を起こすと、アルテュールは苦しそうに顔を顰めながらも、弱々しく周囲の者たちと斉唱する。その肩を支えるフォルカーもまた、涙を堪えて祖国の歌を紡ぎ始めた。圧政者に塗りつぶされたものではない、彼らの真の国歌を。

 ──二十年に及ぶガレマール帝国の支配がいま、終わりを告げた。

 ***

 解放が成った、その夜半。
 ヴァヴァロは呻き声を聞きつけて目を覚ました。
 それがすぐ隣の──アルテュールのベッドからだと気がつくと、微睡から一気に覚醒する。慌てて身を起こし、相棒の容態を確認しようと転がる勢いでベッドから降りた途端、迂闊にも力を加えてしまった右足に痛みが走った。
 思い切り顔を顰めながらその痛みをやり過ごすと、小卓の上に用意されていた瓶を掴み、左足で跳ねるように隣のベッドに取りつく。
「アルテュール、アルテュール、傷が痛むの?」
 ヴァヴァロはうなされている相棒の汗ばんだ額を撫でた。アルテュールはうっすらと目を開くと、朦朧したまま何度か瞬きを繰り返す。やがて目線だけヴァヴァロに向けると、何事か伝えようと唇を動かしたが、声にはならなかった。
「痛み止め? 飲む?」
 相棒の言葉に、アルテュールは眉間に皺を寄せたまま微かに頷いた。ヴァヴァロはベッドに乗り上げると、アルテュールが上体を起こすのを助ける。どうにか起き上がった彼の唇に瓶を当てがい、ゆっくりと鎮痛剤を飲ませてやる。
 薬を飲み終えると、アルテュールはぐったりとベッドの背に凭れかかった。目を瞑り、苦しそうな呼吸を繰り返す。やがてわずかに落ち着きを取り戻すと、掠れた声で呟いた。
「……みず……のみたい……」
 ひたすらアルテュールの背を撫でていたヴァヴァロはぎょっとした。
「み、み、みず!?」
 嫌な想像をしたらしい相棒にアルテュールは弱々しく苦笑する。
「……そういうの・・・・・じゃないから……」
 ヴァヴァロは小卓の水差しからコップ一杯の水を注ぎ、怖々とアルテュールに渡してやる。
 数度に分けて水を飲み干すと、ようやく意識が鮮明になってきたのか、アルテュールの目にいくらか精彩が戻った。
「ほら、横になって。薬の副作用で眠くなるはずだって、お医者さんが言ってたよ」
「ん……ありがと……」
 促され、アルテュールは大人しく横になった。ヴァヴァロもベッドから降りると、ベッドサイドに置かれていたスツールに座り直す。
 しばらくぼんやりと暗い天井を見上げていたアルテュールは、頭を傾けてヴァヴァロに目をやった。
「どうしたの? 何かほしい?」
 無言でじっと見つめられ、ヴァヴァロは前のめりになって尋ねる。アルテュールはゆるゆると頭を振った。
「生きてるね?」
 ──聞きたいのはこっちだ。
 不意に問いかけられ、ヴァヴァロはベッドに突っ伏した。一気に込み上げてきた涙を、抑えることができなかった。
「生きてるよ……っ」
 声を殺して泣き始めてしまったヴァヴァロに困惑し、アルテュールは思うように動かない腕でどうにかその小さな肩を抱くと、とんとんと宥めるように叩いた。
「ヴァヴァロも横になりな。俺なら大丈夫だから。……骨折してるんだろ?」
 いまいち確信に欠けているのは、中途覚醒の曖昧な意識下で聞いた話だからか。ここはどこなのか、皆は無事なのか。うっすらと覚醒するたびに尋ねられ、そのたびに現状を伝えていたのだが、やはり記憶が混濁しているようだった。
「アルテュールが寝るまでそばにいる」
 ヴァヴァロは頑としてスツールから降りようとしなかった。
 こういうとき、相棒がやたらと頑固なことをアルテュールはよく知っていた。諦めたように天井を見上げ、再び眠りに就こうと目を瞑ったが、すぐにぱっちりと瞼を上げる。
「俺、歌ってた?」
「……歌ってたよ。覚えてない?」
 ひどく弱々しい歌声ではあったけれど。アルテュールはたしかにアラミゴの国歌を歌い切った。彼は間違いなく、初志を貫徹したのだ。
「てっきり死に際に見た夢かと」
 安堵したように小さく笑う相棒に、ヴァヴァロはぎゅっと唇を引き結ぶ。
「冗談でもそんな言い方しないで」
 思いがけず厳しい口調になった。アルテュールは驚いたようにヴァヴァロを見る。
「あのときは本当に危なかったんだよ。ほとんど息もしてなくて、必死に治癒魔法かけてもぜんぜん血が止まらないし、呼びかけても反応してくれなくて」
 一度口を開くと止まらなかった。膝の上できつく握りしめた拳に、アルテュールの手が重なる。
「ヴァヴァロ」
「やっと起きたと思ったら歌うとか言い出すし、歌い終わったらまた気絶しちゃうし。ここに運ばれてからだってずっと魘されてて、顔色もちっともよくならないし。私と何度か話したことも覚えてないでしょ。けっこうしっかり返事するのに、起きるたびに前に話したこと忘れてるんだもん。すごく心配したんだよ。さっきだってすごく苦しそうで」
「ヴァヴァロ、ごめん、大丈夫だから」
 ぼたぼたと大粒の涙がアルテュールの手の甲に落ちた。泣いても泣いても、涙が枯れる気配はなかった。自分でも情けないと思うのに、少しも止まってくれないのだ。
「……アルテュールはべつに、アラミゴまで来る必要なんてなかったでしょ。フォルカーさんとか、私とか、皆のために一緒に来てくれただけなのに……」
 フォルカーには理由がある。祖国奪還という明確な理由が。
 ヴァヴァロにも理由はあった。ガレマール帝国軍はカルテノー平原で散った父の仇だ。決してこの戦と無縁の立場ではない。
 でも、アルテュールには理由がない。ただただ、義理と恩義でここまで来たのだ。その彼だけが命を落としかけて、どうして平静でいられるだろう。
 ヴァヴァロは俯いた。俯いた弾みに、また涙がぱたぱたとこぼれ落ちた。
「……アルテュールまで・・死なないでよ……」
 絞り出すような声だった。アルテュールは相棒の小さな手をそっと包む。若くして父母を亡くした彼女が寄せてくれる親愛の情を、このときばかりは申し訳なく思う。
 そうして相棒の手を宥めるように撫でながら、アルテュールは少しばかり意地の悪い顔をする。
「そう思ってくれるなら、ちったあ無茶を控えてもらいたいんですけどね。ヴァヴァロと一緒にいると、心臓がいくつあっても足りない」
 ヴァヴァロは泣き腫らした顔をむっと上げた。
「さ、さっきは急すぎて反応できなかったのっ。そもそも魔導アーマーって急な方向転換は──」
 アルテュールは肩を竦める。
「ほかにも思い当たること、山ほどあるだろ? ……ラールガーズリーチの野戦病院に駆けつけたときのこっちの気持ち、これで分かったろ」
 さらに反論しようとしたヴァヴァロだったが、まったく言い訳が浮かんでこず、「でも」「だって」と口の中で繰り返した。
 アラミゴ解放運動の初期、たしかに負傷して皆を心配させてしまった。魔導兵器回収任務の遂行中、潜伏していた帝国兵に襲われたのだ。正確には同行者を庇っての負傷だったが、とにかくそのせいで、意識がないままラールガーズリーチの野戦病院に担ぎ込まれる事態になってしまった。そんなときに限ってアルテュールとは別行動だったものだから、なおさら彼を心配させてしまったらしいとは、あとから仲間に聞かされた話だ。
 ──彼に心配をかけたり、守ってもらった経験はそれだけではないのだけれど。
 いまになって振り返れば、駆け出しだった頃の自分は本当に無茶ばかりだったと、穴に入りたいほど恥ずかしくなることもある。そんな自分に根気強く付き合ってくれたアルテュールには、たしかに皮肉を言う権利の一つや二つ、いや三つや四つ、あって然るべきだろう。あるべきなのだが。
「……いま意地悪言わなくてもいいのに……」
「ごめんごめん。……本当に大丈夫だからさ。そんなに心配すんな」
「……うん」
 アルテュールはいつもの笑みを見せると、ぽんぽんと相棒の手を叩いた。
 ヴァヴァロはしばし、言葉を探すように目を伏せた。
「あのね、ずっと言いそびれてたんだけど」
「うん?」
「……いつも守ってくれて、ありがとう」
 たくさんの言葉を思い浮かべた。もっと気の利いた感謝の言葉を述べたかった。しかしそのどれも違う気がして、結局、飾り気のない気持ちを伝える。
 アルテュールは目を細めた。
「ヴァヴァロに死なれちゃ、夢見が悪いからな」
 優しい声音にまたしても落涙しそうになり、ヴァヴァロは慌てて瞬きを繰り返した。無理やりに口角を上げたが、果たして笑みになっていたかどうか。
「そろそろ寝よう。痛み止め、効いてきたかな。ちょっと眠くなってきた……」
 小さくあくびをするアルテュールに「そうだね」と頷き、自分のベッドに素直に戻りかけたヴァヴァロだったが、すぐに思い直したように振り返る。
「今日は一緒に寝る」
 アルテュールは呆れ顔になった。
「だーめだって。ちゃんと自分のベッドで寝な」
「くっついてたほうが具合悪くなったときにすぐ気づけるもん。私小さいからちょっと空きがあればいいし」
「こら、勝手に上がるなって。ああもう、少し大人になったと思ったらすぐこれだ」
 相棒の制止など聞かず、ヴァヴァロは勝手にベッドに乗り込む。簡素なベッドの端も端、ギリギリ落ちない程度の位置に布団の上から横たわった。
「こっちのほうが安心できるのっ。布団の上からならいいでしょっ?」
「ぜんっぜんよくない。足だって痛むだろ。俺のことより自分の心配しろって。だいたい落ちたらどうすんだよ」
「落ちないから大丈夫だもん」
 頑固なヴァヴァロにアルテュールは諦めのため息をつく。
「……まあいいか、今日くらい……。ほら、もうちょっとこっちきな。布団も、入って」
「ん」
 アルテュールは重い身体をどうにか動かし、聞かん坊な相棒のために場所を空けてやる。
 ヴァヴァロは半身だけ布団に潜り込ませた。語調のわりには遠慮がちな彼女の身体に腕を回して抱き寄せると、しっかりと布団で包み込む。
「いいか、本当はダメなんだぞ。ヴァヴァロももう年頃のお嬢さんなんだから。こんなふうに……」
「分かってるよ。ほら、寝よ」
 相棒の言葉を遮り、ヴァヴァロはさっさと目を瞑る。「女性なのだから、いくら親しい男性相手でも節度を忘れてはいけない」とは、もう耳にタコができるほど聞かされた説教だ。言われなくても分かっているに決まっているのだから、こんな日くらいは許してほしい。
「今日だけだからな」
「うん」
 薬の副作用か、早くも瞼が下がりはじめたアルテュールは、うつらうつらとしながらヴァヴァロの額に唇を寄せた。その感触をくすぐったく思いながらも、ヴァヴァロはいくらか心が安らぐのを感じる。
「……おやすみ……」
「うん、おやすみ」
 天幕に沈黙が満ちた。
 額をこつんと合わせたまま、早々と眠りに滑落していったアルテュールは、不意にヴァヴァロを抱く腕に力を込めた。
「……そこにいるね……?」
 ヴァヴァロはくしゃりと顔を歪めた。つんと痛んだ鼻を啜り、居場所を知らせるように額を擦りつける。
「うん、ちゃんといるよ」
 アルテュールの腕から安堵したように力が抜ける。
 今度こそ規則正しい寝息が聞こえはじめると、ヴァヴァロはそっと頭を起こし、相棒の様子を窺う。完全に眠ってしまったことを確かめると、彼の胸元に手を翳した。

 月明かりを透かした天幕の中に、治癒魔法の光が満ちた。
 その光は術者本人が眠りに落ちてしまうまで、灯っては消えをひたすらに繰り返すのだった。

 ***

「二人とも起きてる? ファロロよ。入るわね」
 アラミゴ解放から一夜が明けた頃。
 あちこちに展開された天幕の中から目当てのものを見つけ出すと、ファロロは軽く声をかけた。少し待ち、返事がないのでそっと天幕内を覗き──すぐにぎょっとする。
 同じベッドで寄り添い合っているヴァヴァロとアルテュールのそばに駆け寄り、慌てて二人の容態を確認する。何事もなく、二人がただ眠っているだけであると分かると、盛大な安堵の息をこぼした。
 次いで大きく息を吸い、「こら!」と声を張ろうとしたが、天幕内に漂う魔力の残滓に気がつくと口を噤んだ。その残滓がヴァヴァロの魔力と同質であることを感じ取り、改めて眠る妹分を見下ろす。そういうことかと納得し、やれやれと大きく肩を落とした。
「──ヴァヴァロ。ヴァヴァロ、ほら、起きなさい」
「ふえ、あれ、ファロロさん?」
 軽く揺すられ、ヴァヴァロは重たそうに瞼を上げた。こしこしと顔を擦り、寝ぼけながら起き上がろうとしたが、すぐにハッとしてアルテュールの顔を覗き込む。
「よかった、息してる……」
 顔色は相変わらず優れないものの、相棒がただ眠っていることを確かめると、ベッドの上でへたり込んだ。
「安心した? なら、早く自分のベッドに戻りなさい。あなたも怪我人なのよ。さ、手を貸すから、ゆっくりね」
 ヴァヴァロは渋々頷いた。ファロロの手を借り、慎重に隣のベッドへ戻る。そのままぐったりと横たわった妹分に、ファロロはしっかり布団をかけてやった。
「治癒魔法、ずっとかけてあげていたの?」
 いまも天幕内を漂う残滓からして、ヴァヴァロが長時間に渡って治癒魔法を唱えていたことは想像に難くなかった。
 ヴァヴァロは歯痒そうに目を伏せる。
「苦しそうにしてたから……。痛み止めが効いてる間はそれなりに平気そうなんですけど」
「気持ちは分かるけど、無茶はダメよ。安静にしていないと、あなたの怪我の治りが遅くなるわ。私だっているし、エミリアやイェンもいるんだから。困ったらすぐに呼んでちょうだい」
 ただでさえ戦闘の連続で消耗しているのだ。ヴァヴァロもアルテュールと同じく治療に専念すべき負傷者の一人に違いなく、魔法の多用で体力を消耗するのは避けねばならない。
「……はい。ありがとうございます」
 素直に頷いたヴァヴァロにひとつ微笑み、
「それと、一応言っておくけど」
 ファロロはこほん、と咳払いをした。
「いい? いくら相手がアルテュールだからって、気安く男のベッドに上がり込んじゃだめよ? あなたももう立派な成人女性なんだから」
 ──もっとも、この件については強く言える立場ではないのだけれど。
 そう思いながらも、ファロロは一応の釘を刺す。
 そもそも二人を同じ天幕にしてほしいと頼んだのはファロロ自身だ。治療上、多少差し支えることがあっても、いまは二人を引き離すべきではないとの判断だった。長らく相棒として歩んできた二人にとって、互いの安否はなによりも気掛かりだろうから。
 ヴァヴァロは唇をとがらせた。
「分かってますよーう。昨日はアルテュールの具合がホントに悪そうだったから……」
「はいはい。ま、どうせ止めても聞かないだろうし、ほどほどにね。安静第一よ」
「はあい」
 ヴァヴァロは天幕の天井に視線をやる。大人しく瞼を下ろそうとしたが、身体の疲弊に反して頭は冴えていた。
「これから、どうなるんでしょう」
 ぽつりと呟く。
 アラミゴは解放された。実感はまだ湧かないが、解放軍が勝利を収めたということは、そういうことだろう。
 そしてそれは、ひとつの区切りだった。振り返れば短いようにも感じる濃密な日々を駆け抜けて──ぽかんとしてしまう。
 正規の軍人ではないなりに、これからも課題が山積していることはヴァヴァロにも容易く想像がつく。冒険者として、きっとまだまだ協力できることがあるだろう。それでもひとまず目的が達成されると、いっそ呆然としてしまうような、そんな心地だった。
 そうそう、とファロロは思い出したようにぽんと掌を合わせた。
「これからの予定だけど、スタウト・シールドさんとも少し話してね。状況が落ち着いたら、飛空艇を手配できないかと考えているの。アラミゴからグリダニアか……できればラベンダーベッドまでね」
 ヴァヴァロは瞬いた。
「手配できるんですか?」
 それは飛空艇を貸し切るという意味なのか。それとも軍用の便に同乗させてもらうという意味なのか。そもそもラベンダーベッドまで飛空艇で乗り入れられるのか。
 幾重にも驚くヴァヴァロをよそに、ファロロは当然のように頷いた。
「すぐにとはいかないだろうけど、ま、そこは交渉次第ね。陸路じゃ何日掛かるか分かったものじゃないし、かといって、怪我人に転移魔法を使わせるわけにもいかないしね。いずれにせよ長期で療養するなら──あら」
 微かな衣擦れの音に二人は隣の寝台を見やった。
「お目覚めかしら、色男」
 寝ぼけ眼で周囲を窺っていたアルテュールは、ファロロに呼びかけられ、ようやく人の気配に気づいた様子だった。ひどく億劫そうに頭だけを傾け、ぼんやりと二人を見つめる。
「……おはよ……?」
 昨夜の薬がよく効いているのか、まるで眠気の抜けていない声だった。ファロロはアルテュールの顔をにこやかに覗き込む。
「ええ、おはよう。聞こえていたかもしれないけど、落ち着いた頃に飛空艇を手配して移動しますからね。それまでにできる限り身体を治しておくのよ。さすがに重症者は動かせないから、自分のベッドが恋しかったら養生してちょうだい」
 寝ぼけ頭にいきなり叩き込まれ、アルテュールは困惑気味にわずかに眉根を寄せた。なにか問いたげにしばらく唇を結んでいたが、
「……あい……」
 思うように頭が回らなかったのか、やがて弱々しく頷く。
「終わったんですね、本当に」
 こうして自分たちが療養している間にも、事態は着々と進んでいく。いまはそう、帰還に向けて。
 ヴァヴァロはようやく、本当に解放運動が終結したのだと、ほんの少しだけ飲み込めた気がした。
「ええ、終わったわ。勝ったのよ、私たち」
 凛とした声だった。ファロロは二人の顔を交互に見つめ、その無事を噛み締めるように目を細める。
「だから帰りましょう、皆で。ラベンダーベッドに」


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