ちょっと底まで

 美しい、青い瞳。
 宝石のように煌めく瞳。
 見るものすべてを素直に映す、少しも感情を隠せない大きな瞳。
 ころころと変わる表情を飾る、愛らしい瞳。
 その輝きはしかし、翳ってしまった。
 あの日を境に。

 ***

 ぴちゃん、ぴちゃんと水が滴る音がする。
 その音にヴァヴァロはうっすらと目を覚ました。
「……ここ、は……?」
 ゆっくりと瞬きを繰り返し、目線だけで周囲を探る。天井から──高い高い天井から差し込むわずかな明かりに照らされて、徐々に室内の様子が見えてくる。
「……どこ……?」
 壁も、床も、岩肌が剥き出しになっていた。自宅の個室よりは多少広い空間には、ぽつりぽつりと簡素な家具が配置されている。
 いまいち頭が晴れないまま、ヴァヴァロはベッドの上に身を起こした。家屋ではなく、どうやら洞窟らしき場所にいることは分ったが、ここはいったいどこだろうか。見たところ人が暮らしている形跡があるが、自分はいつの間に、こんなところに。
「ああ、目が覚めた?」
 聞き慣れた声がした。安堵して止まない声だ。
 耳がその声を捉えた途端、なぜか無性に泣きたくなって、ヴァヴァロは音の方を振り返った。
「アルテュール?」
 視線の先には、微笑んでいる相棒の姿。
「アルテュール……っ、……?」
 抱きしめてほしくて伸ばした腕が長い何かを引きずった。ヴァヴァロは不思議に思って自分の腕を見る。
 右手首に巻かれた革のカフス。そのカフスから、壁に向かって伸びた鎖。
「気分はどう? よく眠れた?」
 きょとんとしているヴァヴァロの隣に腰を下ろし、アルテュールはその小さな肩を優しく抱いた。
 額にそっと口づけられ、その温もりに安堵しながらも、わずかな不安を拭いきれないヴァヴァロは上目遣いに相棒を見上げる。
「ここ、どこ? 私、どうして繋がれてるの?」
 あたりを漂う雰囲気からして、賊に捕まったというわけでもなさそうだった。まるでここで暮らしているかのような錯覚を抱いたが、だとしても、この鎖は。
「……このあたりは迷いやすいからね。うっかり一人で外に出てしまったら、危ないから」
 困ったように笑われ、それでヴァヴァロは考えるのをやめた。考えるのが、酷く億劫だった。微睡みから抜け出せないまま、思考はずっと鈍いままだ。仔細は分からないが、彼が危険だと言うのだから、きっとそうなのだろう。
 ベッドサイドの棚から水差しを取ると、アルテュールは茶碗に一杯、水を注ぐ。ヴァヴァロの肩を抱き直すと、その唇にそっと茶碗の縁を当てがった。
「水だよ。飲んで」
 ヴァヴァロは大人しく、ゆっくりと水を飲んだ。冷たく甘い水が喉を潤し、それで初めて、思いのほか喉が渇いていたことに気がついた。
 空になった茶碗を棚に戻すと、アルテュールは両腕で相棒の小さな身体を抱く。
「足りないものはある? 欲しいものがあったら調達してくるよ」
 腕の中にすっぽりと閉じ込められたまま、ヴァヴァロは緩く頭を振る。ここがどこなのか、なぜここにいるのか全く分からないが、アルテュールの腕に抱かれている限り、すべてが満たされているように思えた。
 ──でも。
 目を瞑り、すうすうとアルテュールの匂いで胸を満たしながらも、ヴァヴァロはいつまでも消えない一抹の違和感の正体を探り当てようとする。
 そして、不意に思い至る。
「……みんなは?」
 濁っていた瞳に理性が戻る。
 ヴァヴァロはアルテュールの胸に縋りつく。急激な焦燥感に心臓が苦しいほど軋んだ。
「ねえ、みんなはどこ? そうだ──そうだ、アラミゴは? 私たち、アラミゴで戦って──っ」
 爆炎に、悲鳴。失いかけの意識の端で聞いた、けたたましい足音に飛び交う怒号。そう、自分たちはアラミゴ解放戦争に参加して──。
 アルテュールの顔から笑みが消えるのと、魔力が奔るのは同時だった。唐突に猛烈な眠気に襲われて、ヴァヴァロの頭はぐらりと揺れる。
「……うあ……あ……てゅ……?」
 辛うじて意識を手放さずに済んだものの、身体からは瞬く間に力が抜け、再びアルテュールの腕の中にとさりと倒れ込んでしまう。
 アルテュールはヴァヴァロをベッドに横たわらせると、困惑に揺れる瞳を見つめながら慈しむようにその髪を撫でた。
「なにも考えなくていい。全部忘れて、ヴァヴァロはここで、俺と暮らそう」
 ゆっくりと、言い含めるように。優しい声音で、穏やかな笑みを浮かべながら。少しも怖い気配なんてないはずなのに、その目だけが笑っていないように見えて、ヴァヴァロはますます困惑する。
「……あ……でも……冒険に……」
「冒険はもう終わったよ」
 断定的な声に、思わず唇を結んだ。
 アルテュールはヴァヴァロの頬を両手で挟んだ。長く冷たい指に囚われ、彼から視線を逸らすことができない。
「いいね? 冒険は、もう終わったんだ。あんな危ないことはもう二度とさせられない」
「……どうして……?」
 なぜそんなことを言うのだろう。なぜ、皆の姿が見えないのだろう。なぜ──思い出そうとするとこんなにも胸が苦しくなるのだろう。
「ほら、目を瞑って。眠れるまでそばにいるから」
「……うん……」
 何もかもが曖昧なまま、それでも大きな掌で目を塞がれ、ヴァヴァロは逆らわずに瞼を下す。思い出さなければいけない大事なことがあるはずなのに──考えることを無意識に避けてしまう。
「……みんなに会いたい……」
 涙が一筋、頬を伝った。
 なぜ胸が痛むのか、涙の理由も分からないまま、ヴァヴァロは眠りに滑落していく。
 やがて寝息を立て始めた相棒の寝顔を見つめながら、アルテュールは苦々しく呟く。
「……俺がいるだろう」

 ***

 あの日。
 エオルゼア同盟軍と共にアラミゴに乗り込んだあの日。
 不滅隊所属のフリーカンパニーとしてアラミゴ解放運動に参加していた〝ともしび〟は、誰一人欠けることなく最後の戦いに辿り着き──そして、散った。ヴァヴァロとアルテュールだけを残して。
 戦場において命など軽いもの。皆、覚悟の上での参戦だった。もちろん、仲間内で最も年若いヴァヴァロも。
 だが、現実を受け入れられるかはまた別の問題だ。そしてヴァヴァロは、受け入れることができなかった。
 仲間を失ったことを嘆き。己の無力を悔い。そして生き残った自身を呪った。
 泣いて、泣いて、泣いて、そうして泣き暮らすうちに、かつて煌めきに満ちていた瞳は──見る影もなく、翳った。

 だから、攫った。
 自分自身を傷つけかねない彼女を攫って、深く深く──地下深くに閉じ込めた。
 鎖で繋いで、逃げ出せないようにした。
 薬で、魔法で、思考を鈍らせた。
 彼女がもう二度と命の危機に晒されないように──彼女の生き甲斐を取り上げた。
 これ以上、彼女の美しい瞳が翳らないように。
 ──否、と男は自嘲する。
 彼女のためのような振りをして、真実は違うことを男は自覚している。
 自分がこうまで薄情であることを、男はあの時まで自覚していなかった。仲間大事な顔をしておきながら、相棒さえ一命を取り留めれば、さして悲しみは湧かなかった。それよりも、相棒を失うかもしれない恐怖のほうが男の心の安寧を奪った。
 相棒を──自分にとっての平穏の象徴を──ヴァヴァロを、こんな底の底まで連れてきて、ようやく安堵したのだ。
 悲しげな寝顔を晒すヴァヴァロの頭を撫でながらアルテュールは囁く。
「……おやすみ、相棒……」
 欺瞞の滲んだ声は、静かな洞内に溶けて消えた。


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