これからも、よろしく(07)
『──アルテュールのことが好きだって言ってんの!!』
結局その後、這々の体で辿り着いた酒房ではヴァヴァロと合流できず。
転移魔法で帰っていったと酒房の店員に聞かされ、来た道をそのまま引き返す形で大慌てで帰宅したものの。
肝心のヴァヴァロは女性陣と合流すると遠くへ飛んで出かけてしまったとケイムゲイムに聞かされ。
彼女と再度話すことができないまま、一日は早々と過ぎ去ってしまった。
『──いまさら気がついたの?』
ヴァヴァロの言葉が頭の中で際限なく響き渡っていた。もはやラベンダーベッド中に鳴っているのではないかと錯覚してしまうほど、彼女の声が耳にこびりついて離れない。
『──鈍すぎるよ!!』
「ちょっと……アルテュール君……」
『──好きです』
三日前、ヤイヌ・パーの円庭でバラを差し出した時の彼女の顔。緊張に顔を赤らめ、熱っぽく自分を見つめていた、あの青い瞳。その晩の、ヤケクソ気味に自分に詰め寄ってきた彼女の態度。そしてその翌夕の、ぽろりとこぼれ落ちた彼女の涙。
そのすべてが自分への好意が原因だったのだと、未だ完全には飲み込めずにいた。
「アルテュール君!」
肩を叩かれ、アルテュールはぽかんとしたまま顔を上げた。
「あっはい、いただいてます、おいしいです」
何故か心配そうな顔で自分を見つめているケイムゲイムに平平坦坦とした声で返す。彼女がいったい何を心配しているのか、一拍置いてようやく気がつき、自分の間抜けさに恥じ入ってフォークを置いた。
「すんません、考え事してて」
朝食の席だった。食べているつもりで手と口だけを動かしていたらしい。皿の上の料理は一口も減っていなかった。
「大丈夫かい? まだどこか具合が悪いんじゃ」
「だ、大丈夫! 大丈夫です。ほんとにちょっと、考え込んでただけで」
引き攣った笑みで食事を再開しようとしたアルテュールの目に鮮やかな赤が飛び込んできた。食卓に飾られたバラの花だ。
『──告白したの、なかったことにしないで』
やはり脳裏から消えないヴァヴァロの声に、アルテュールはそっと息をついた。
押し込むように無理やり朝食を食べ切ると、今度は食後の茶を淹れようとして自ら手に熱湯を引っかけ。ケイムゲイムを散々心配させた末、アルテュールはやつれた顔で二階に上がった。
女性陣の個室は二階奥、図書室脇の廊下を進んだ先にある。ヴァヴァロが帰宅した時にすれ違いたくなければ、図書室のソファで待っているのが確実だ。もっとも、いつ帰宅するかは不明だけれど。
リンクパールの会話からヴァヴァロたちの行程を拾えないかとしばらく耳を傾けてもみたが、ときおり軽い雑談が聞こえてくる程度で、詳しいことは把握できなかった。
アルテュールはソファに腰を下ろし、そばの机に放置されていた本をなんとはなしに手に取る。適当にぱらぱらと捲ってみるものの、内容はまったく頭に入ってこない。
それよりも目が行くのは机に飾られたバラだった。ヴァヴァロが買ってきた大量のバラは家中に飾られ、家のどこにいても目に入った。
『──好きだって言ってんの!!』
またしても蘇ってきた声にアルテュールはぐっと天井を仰ぎ、肩を落とすと大きく息をついた。
「……何か悩み事……?」
「うわっ!?」
不意に声をかけられ、アルテュールは思わずソファから腰を浮かした。
「お、おお、イェンか。帰ってたんだな」
「……うん、昨日の夜……」
いつの間にかイェンが背後に立っていた。イェンは挨拶代わりに尻尾を持ち上げる。黒曜石の肌と紺色の毛並みに金の瞳が合わさって、イェンが立つ姿はそこだけが常に夜闇のようだ。
朝食の席にいなかったところから察するに、帰宅してからいままで夜通し魔道書でも読み耽り、いまから眠るつもりなのだろう。
イェンは抱えていた数冊の本を棚に戻しながら、ソファで物思いに耽るアルテュールを振り返った。
「……ヴァヴァロと喧嘩でもした……?」
「んっ!? な、なんっ──」
アルテュールはぎくりと言葉に詰まった。イェンは片付けの手を止める。
「……ヴァヴァロがアルテュールのことぶつくさ言ってるのが、リンクパールから聞こえたからさ。アルテュールもその調子だし……」
手元を指差され、意味が分からず視線を下げたアルテュールは、イェンが言わんとしたことをようやく理解した。どうやらずっと本の天地を逆さにしたまま見ていたらしい。
自分にげんなりしながら本を机に戻し、アルテュールはソファの背にぐったりと凭れかかった。
「喧嘩したわけじゃねえんだけど、まあ、ちょっと、いろいろ」
「……そう……?」
曖昧に笑うアルテュールに首を傾げながらも、深追いはせずにイェンは片付けを再開する。
「あー、ところでヴァヴァロはなんて?」
しばらくイェンの作業を目で追っていたアルテュールは、迷った末に尋ねた。
イェンは視線を宙にやる。
「……アルテュールなんて知らない、放っておけ、とか言ってたかな……」
「そっか」
アルテュールは苦笑した。我が事ながら、彼女の怒りはもっともだと思う。もっともなのだが──。
「……困ってるなら話聞くけど……」
ソファにずるずると崩れ、なにやら一人唸っているアルテュールにイェンは怪訝な顔をした。
「へーきへーき、なーんもこまってない」
アルテュールは天井を仰いだまま腑抜けた返事をする。
イェンは呆れたように肩を落とした。
「……だいぶ参ってるように見えるけど……?」
当然の指摘にアルテュールは身じろぎすると、のろのろと身を起こした。
「いや、べつに……」
言い淀み、なんと返答すべきか迷って前髪を掻いた。
実際、どうしようもなく参っているのは事実だ。何を、どこから、どう考えればいいのか。正直なところ、お手上げだった。
アルテュールはちらりとイェンを見上げた。目が合うと、イェンは片眉を軽く上げた。
(イェンなら口は硬いか……)
「……そっか、ヴァヴァロが……」
他言無用であることをうんざりするほど言い重ねられた末、アルテュールから掻い摘んだ話を聞かされたイェンの反応は、ずいぶんとあっさりしたものだった。
「お、おう。意外と驚かねーのな?」
仰天されると踏んでいたアルテュールは目を瞬かせた。
「……まあ、二人ともいつも一緒だし。いいんじゃないかな、べつに。正直お似合いだと思うけど……」
さらりと言われ、アルテュールはぎょっとしてイェンの肩を掴んだ。
「いやいやっ、よくはねーだろっ!? だ、だいたいヴァヴァロの奴、まだ未成年なんだぞ!?」
「……もう成人したでしょ。皆でヴァヴァロの成人祝いもしたし。一番うきうきで祝ってたのアルテュールだし……」
ゆさゆさと揺すられながらイェンは呆れたように言う。手を止めたのも束の間、アルテュールは再びイェンの身体を揺すった。
「で、でもほらっ! 俺たち年が離れてるし!? ヴァヴァロだってまだまだこれから花盛りだろ!? いくらエレゼンフェチだからって、手近な奴で手を打とうとしなくても」
「……年の差が気になるってこと……?」
「と、年の差以外にも色々あるだろお!? なにも俺みたいなろくでなし好きにならなくても、良い男とこれからいくらでも出会えるのにっ」
必死に捲し立てるアルテュールにイェン首を捻った。
「……そうかな。アルテュールのことを好きになっても、べつにおかしくないと思うけど……」
「えっ、な、なんで」
アルテュールは思わず手を離す。
「……まあ、確かにちょっと驚いたけどさ。ヴァヴァロって、冒険者になってからずっといまの面子でやってきたわけでしょ……」
本気で困惑している様子のアルテュールを前に、イェンは考えを巡らせるように尻尾の先をゆらりゆらりと揺らす。
「お、おう。そう言ってたな」
ヴァヴァロの旅の始まりは家出だったという。冒険者になるためにはるばる海を渡る大家出を決行し、後に彼女を追ってきた祖父や、孫の捜索を手伝っていたファロロたちと合流しながら今に至ると。
「……じゃあヴァヴァロにとって、俺たち以外の冒険者や軍人と本格的に合同で行動したのはアラミゴが初めてだったわけで……」
「それは、まあ、そうかも」
彼女の話を聞く限り、多少の冒険者同士の繋がりや一期一会の出会いはありながらも、ほとんどの時間をいまの仲間と過ごしてきたと言って差し支えはないだろう。裏を返せばイェンの言う通り、アラミゴではいままでと比較にならない数の冒険者や軍人を一度に見たことになる。
「……つまり彼女にとって、大量の異性を見る機会でもあったわけで……」
「う、うん?」
固唾を呑んで話の着地を待つアルテュールにイェンは肩を竦めた。
「……変じゃないと思うよ。いつも一緒にいてくれる相棒が実は良い男なのかもって気がついて、見る目が変わっても……」
「え、いや、でも」
「……命懸けで庇うくらい大事にしてくれる相棒を好きにならない理由が、むしろないというか。いままで惚れてなかったのがいまになると不思議というか……」
「え、え、え、でも」
「……むしろ俺には、アルテュールが何を迷っているのか分からないな。年がら年中一緒にいるくせに、いまさら断る理由がある……?」
アルテュールは血相を変えて目を剥く。
「俺は年の離れたお嬢さんに鼻の下を伸ばすような変態じゃないっ!!」
「……それは知ってるけど……」
イェンは溜息をつくと、金の目を半月のように細めた。
「……だいたい、ヴァヴァロに浮いた話がないの、アルテュールにも責任あると思うよ。いつもヴァヴァロとつるんでてさ。ほかの子は遠慮して寄ってこれないでしょ。何かあるとすぐヴァヴァロのとこ行くし……」
「お、俺ごときを突破できない野郎にヴァヴァロは任せられないだろ!?」
聞き捨てならない言葉にアルテュールは躍起になって反論する。
常日頃から共にいるのは事実だ。何かにつけてヴァヴァロに話を振りにいっている自覚もある。ヴァヴァロ相手に鼻の下を伸ばす不届者に、ぎろりと睨みを効かせたことも確かにあった。だが彼女のもとに舞い込む春の気配まで阻んでいるつもりはない。
「……そもそもアルテュール、自分で気づいてる? さっきからあーだこーだ言ってるけど、ヴァヴァロのこと、拒否はしてないって……」
アルテュールは虚を衝かれたようにはたと口を噤んだ。咄嗟に何か言い返そうとしたが、しかし何も言えなかった。
イェンは思案するように視線を宙にやった。
「……俺はムーンキーパー族だから、ほかの種族のことはあまり分からないけどさ。周りの勧めで夫婦になる人たちもいるわけだし、そこから育まれる情だってあるでしょ。確かに年は離れてるけど、親と子ほど離れてるわけじゃないんだし、もともと気の合う仲なんだからさ。求められてるなら、受け入れてもいいと思うけどね……」
すっかりぽかんとしてしまったアルテュールにイェンは首を傾げる。
「……そもそもさ、もしヴァヴァロのことを受け入れられないと思ったら、告白された段階で拒否感があるもんじゃないの。俺にはアルテュールが、ヴァヴァロを受け入れちゃいけない理由を必死に探してるように見えるけど……」
「え、いや、俺、ヴァヴァロのことを邪な目で見たことはホントに一度も」
「……邪って。いや、うん。分かってるよ、それは……」
アルテュールは妙な言い回しでぎくしゃくと答える。
イェンは腕を組みながら小さく唸った。
「……もしもだよ、おじいさんにヴァヴァロを娶ってくれって言われたら、アルテュールどうする……?」
アルテュールは目を瞬かせた。視線を床に落とし、しばし考え込む。
「そ、そりゃ、じいさんにはいろいろ世話になってるからな。じいさんも年が年だし、ヴァヴァロが所帯を持ったら安心するだろうから、ヴァヴァロが嫌じゃないなら俺が面倒をみるのもやぶさかでは……な……、……い……」
やがてすらすらと話し出したアルテュールは、自分が何を口走っているか気がつくと、しだいに声を小さくした。
そろりとイェンを見る。目が合うと、イェンはやれやれと言わんばかりに肩を落とした。
「……なんだ、解決したじゃん。お幸せに……」
「わー! 待て待て待て! なんも解決してねーよ!?」
すたすたと階下に去ろうとしたイェンにアルテュールは慌てて縋りつく。
「……アルテュール的にヴァヴァロと一緒になるのはありってことでしょ。答え出たじゃないか……」
「だからあ!! 俺はともかくヴァヴァロが後悔するかもしれないだろお!? まだこれから花盛りなのにさあ!!」
「……あーもう、うるさいな。俺もう寝るから……」
「なんで見捨てるんだよお!!」
イェンを引き留めることができなかったアルテュールは、打ち捨てられた枯れ枝のようにソファに倒れ込んでいた。
(よくもまあスラスラと)
自分で自分に呆れてしまう。昨日まで彼女の気持ちに気づいてすらいなかったというのに。
アルテュールは身体を起こした。そのままソファの背に凭れ掛かると、天井を見上げながら深い溜息をつく。
(ヴァヴァロの奴、わざわざ俺みたいなろくでなしに惚れなくてもいいだろうに)
未だに何かの間違いなのではないかと疑ってしまう。これから花盛りを迎える女性に好意を寄せられるような振る舞いを自分がしていたとは思えない。
そもそも、とアルテュールは出会った頃を思い出して小さく苦笑した。
(俺のことなんて嫌いだっただろうに)
ヴァヴァロたちとは南部森林の酒房で出会った。人が良さそうな彼らに、にこやかな顔をして近づき──しばらく行動を共にした末に金品を盗もうとした。
当然、したこともない盗みがいきなり上手くいくはずもなく。すんでのところで発覚してしまい、一度は彼らに叩き出されたけれど。
結局、いろいろな縁に恵まれていまもここにいる。
(みんな忘れっぽすぎるんだよな。そんな昔のことじゃねえのに)
いまでは思い出した誰かがたまに笑いの種にする程度だ。そうして笑い話にしてもらえるたび、道を踏み外さずに済んだ巡り合わせに感謝した。
『悪いことしないか見張ってる』
アルテュールはヴァヴァロの声を思い出して微笑んだ。彼女の祖父の計らいで、もう一度彼らと行動を共にすることになったものの、まだ皆と馴染めずにいた頃だ。
自分の後ろをついて回りながらジロジロと睨んできていたヴァヴァロ。疑いの目を向けながら、しかし煙たがることはせず、なぜ盗みなど働こうとしたのだと真正面から問い詰めてくる少女の存在が、当時の自分にとってどれほどありがたかったか。
そうしてヴァヴァロと交流を重ねるうちに、彼女と同じく駆け出しだったミックとも話す機会が増えた。憧れが先走り無謀な行動を取りがちな新米二人を放っておくこともできず、なんだかんだと世話を焼くことが増えていき──そうこうしているうちに、気がつけばほかの面々とも馴染んでいた。
『──でも私のこと、すごく大事に思ってくれてるのも知ってるの!』
懸命に訴える彼女の声が甦り、アルテュールは目を細めた。
(そりゃあ大事さ)
大事に決まっているのだ。からりと明るい太陽のような彼女がいなければ、何も始まらなかったのだから。
『苦楽を共にできる相手とはそうそう出会えるものじゃないって』
「──……」
ヴァヴァロが自分のことを相棒と慕ってくれるように、アルテュールにとってもヴァヴァロは途方もなく気の合う相棒だった。それこそ、年の差など忘れてしまうほどに。
彼女が隣にいてくれて、どれほどの安らぎを与えてくれたか。色眼鏡をかけて物事を見ない彼女の何気ない言葉に、何度励まされた夜があったか。
「……参ったな……」
──それでもやはり、彼女は〝相棒〟なのだ。
彼女を大事に思う心に偽りはない。誰かに問われても、否定する気は毛頭ない。同時にこの気持ちは、決して異性に向ける情ではないのだ。
天井を見上げ、アルテュールは細く息を吐いた。
「……どうしたもんかな……」
ヴァヴァロたちが帰宅したのはそれから三日後の夜分遅くだった。
七日も経つとバラもほとんどが萎れてしまい、一輪、また一輪と家の中から姿を消していった。自室に飾っていたバラも、ヴァヴァロが帰宅する頃にはすっかり花びらを散らしていた。
アルテュールは真上の部屋でぱたぱたと動き回る足音に耳を傾けた。帰宅が夜分だったこともあってか、女性陣は二階の自室に真っ直ぐ下がったようだった。
それならば、明日。落ち着いてから彼女と話そうと、アルテュールは目を閉ざした。