これからも、よろしく(05)
──まずは、昨晩の奇行を詫びる。それから、明日の配達に誘う。
頭の中で何度も練習してから、ヴァヴァロはアルテュールの部屋の扉をノックした。
昨晩のこともある。日が暮れてからでは彼に警戒されてしまうかもしれないと考え、緊張を押し殺し、まだ日があるうちに彼の部屋を訪ねた。
「ああ、ヴァヴァロか。どうした?」
昨日と同じく、アルテュールはほどなくして顔を見せた。一瞬、ヴァヴァロの顔を見てたじろいだが、すぐに笑顔を作った。
アルテュールの目を真っ直ぐに見られたのは一瞬だけ。恥ずかしさと気まずさでヴァヴァロは思わず目を逸らしてしまう。
「あ、あのね? き、昨日のこと、ちゃんと謝ってなかったなと思って。昨日はその、変なこと言って困らせてごめん」
しどろもどろになりながら謝るヴァヴァロにアルテュールは苦笑した。
「いいよ。ちょっと驚いたけど、気にしてない」
ヴァヴァロは少しだけほっとした。
「それとっ。明日なんだけど、ちょっと相談があって」
「明日?」
「う、うん。明日ね、配達の依頼で出かけるの。もしよかったらなんだけど、アルテュール、一緒に行かないかなと思って」
よかった、言えた、ちゃんと誘えた、とヴァヴァロは密かに安堵する。
ああ、とアルテュールは乗り気な様子で頷いた。
「仕事の話か。分かった、向こうで続きを聞くよ」
「あ、部屋に入っちゃダメ……?」
柔らかく──それでいてはっきりと言われ、ヴァヴァロの胸がわずかにざわめく。
アルテュールは一瞬、言葉に詰まった。逡巡するように目を逸らし、ヴァヴァロと視線の高さが合うよう膝を折ると、扉の枠に手をかけた。
「あの、さ。昨日あれから、いろいろ考えたんだけど」
「う、うん……?」
不安がゆっくりと首をもたげた。──続く言葉を、できれば聞きたくないと思った。
「本当は俺が、年上としていろいろ気をつけないといけなかったんだけど」
「……うん……?」
「ヴァヴァロも、ほら、もう成人した立派な女性なわけだし、好きな人もできたわけだろ? だからまあ、同じ家で暮らしてたら、完全には無理だけどさ」
「……うん」
アルテュールは頭を掻く。
「これからは、さ。お互い前よりも距離感に気をつけないといけないなと思って。相手が俺だから気安いっていうのも、まあ、あると思うんだけどさ。いままでみたいに、気軽に男の部屋に入ったり、ああいや、入れてたのは俺なんだけど。まあとにかく、そういうの……抱き合ったりするのも、もうやめないとなと思って」
滅多になくアルテュールの言葉に迷いがあった。一つ息をつくと、アルテュールは微苦笑する。
「いままでごめんな。朝起こしてもらったり、ヴァヴァロには甘えっぱなしで。これからは気をつけるからさ。話があるときは居間で話そう。もちろん、困ったことがあればいつでも相談に乗るし──え?」
アルテュールはぎょっとして息を呑んだ。涙が、ヴァヴァロの頬を伝っていた。
「そうだよね。アルテュールにしてみたら、私なんて子供みたいなものだよね」
ヴァヴァロは声を震わせながら笑う。一度あふれ出した涙は笑顔に反して止まらなかった。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙が床を濡らした。
──優しく言い含めるような声に、思いやりに満ちた瞳。
ああ、とヴァヴァロは嘆息する。言わなければよかった。近寄ろうとなんて、しなければよかった。そうすればこんなにも、彼が遠くなることなんてなかったのに。──彼にとって自分はいつまで小さな妹分なのだと、そう思い知らされずに済んだのに。
「えっ? や、ちが、ヴァヴァロがもう大人だから」
「ううん、いいの。変なこと言ってごめんね。明日の配達も一人で行ってくる。気にしないで、アルテュールは休んでて。──もう、いいの」
ヴァヴァロは顔を拭うと、くるりとアルテュールに背を向けた。冷静に立ち去ろうと歩き出し、しかしすぐに堪えられなくなり廊下を走り出した。
「ちょ、え、ヴァヴァロ──ヴァヴァロ!?」
慌てて後を追おうとしたアルテュールは突然のことに足をもつれさせてしまう。なんとか二階に駆け上がるも一寸遅く、目の前でヴァヴァロの部屋の扉が閉まった。
素早く鍵をかけられた扉をアルテュールは激しく叩く。
「ヴァヴァロ!! ヴァヴァロ!? ど、どうしたんだよ!? 俺なにか気に触るようなこと言ったか!?」
『なんでもないの!! 放っておいて!!』
叫ぶような声だった。当然、放置できるはずもなく、アルテュールは必死に呼びかける。
「あ──明日! 明日もう一度話そう! 明日俺も一緒に行くから、その時に」
『いや!! 何も話したくない!!』
取り付く島もない返答はすぐに号泣に変わった。わんわんと堰を切ったように泣く声が扉越しに響いた。
「ああっ、もうっ、なんで……!!」
アルテュールは頭を抱えた。自分の言葉の何が彼女を激しく傷つけてしまったのか分からなかった。
──結局、どれほどアルテュールが扉の前で懇願しても。
その日、ヴァヴァロが部屋から出てくることはなかった。