これからも、よろしく(04)
(私のばかばかばか! 意気地なし!)
翌日。
グリダニアの街中を足早に行きながら、ヴァヴァロは何度目か分からない罵倒の言葉を自分にぶつけていた。
彼が目の前にいて、しかもあんなにじっくり耳を傾けてくれていたのに、何も言えずに退散するなんて。
色仕掛けまでしておきながら、久方ぶりの抱擁に満足して撤退してしまった自分が情けなかった。
(しかもあんな……うう……)
色仕掛けとは名ばかりの奇行を再び思い出しかけ、ヴァヴァロはぶんぶんと頭を振った。今朝、目を覚ましてから家を飛び出すまでの間、ベッドの上でどれほどのたうち回ったことか。
(アルテュール、きっと呆れてるよね……)
東桟橋からマーケットを抜け、冒険者ギルドに向かっていたヴァヴァロは歩速を緩めた。自分の影に向かって溜息をつく。
彼に異性として意識されていないと改めて思い知らされてしまったが、それ以上に、昨夜の奇行で彼に嫌われてしまったのではないかと不安だった。
(で、でも最後はあんなに励ましてくれたし……)
ヴァヴァロにしてみればまったく喜ばしくない励ましではあったが、呆れられはしても、嫌われてはいないはずだ。きっと、たぶん、とヴァヴァロは心の中で付け加える。
(そういえば昨日、謝らないで戻っちゃったな)
最後は就寝の挨拶だけしてさっさと部屋を出てしまった。
(帰ったらちゃんと謝らなきゃ。謝って、それで──)
ヴァヴァロの足が止まる。
(……なんにもなかったフリしたら、いままでみたいに一緒にいられるかな……)
次の一手を打つような行動力はもう残っていない。
アルテュールが言うように──張本人に助言される虚しさには目を瞑るとして──、もう一度告白をすれば、さすがに今度は理解してくれるだろうが。昨夜の反応からして、泣きたくなる結末が待っているのは明らかだ。
それならいっそ、これからも彼と相棒でいられるように努めたほうがマシだ。
(あーあ、私がララフェル族じゃなかったら、ちょっとは脈があったのかな)
せめて他種族が言うところのグラマラスな体型をしていたら。せめて彼好みのあちこちが出っ張った体つきをしていたら、少しは意識させられたかもしれないのに。
(そんなこと言われてもな。ララフェル族なんだもんな)
ヴァヴァロは足元の小石を蹴った。
とぼとぼと歩き出したヴァヴァロの視界の端を、街を彩るヴァレンティオンの装飾がちらちらと通り過ぎていく。
(両思いなんて、奇跡みたいなことだなあ)
街中で当たり前のようにすれ違う、名も知らぬ夫婦や恋人たち。彼らの間にはいったいどんな馴れ初めがあり、いまに至るのだろう。
(一緒にいたいだけ、なんだけどな)
ヴァヴァロが新米の冒険者だった頃。本当に、いまになって振り返ると無茶ばかりしていたひよっこ冒険者の頃から、いまの仲間たちやアルテュールとはずっと一緒だ。
一緒にいるのが当たり前で──だからこそ、失う恐怖など想像したことがなかった。
アラミゴ解放戦でアルテュールに庇われた時の光景を思い出し、ヴァヴァロは唇を噛んだ。彼の灰色の肌を伝う赤い血と血の気を失った顔色を思い出すと、未だに身体が冷たくなる。
命の危機を感じる場面なら、これまでの冒険で幾度もあった。それでも、大切な誰かを失うかもしれないという恐怖にあれほど苛まれたのは初めてだった。
(アルテュールが死んじゃったらどうしようって……。……それで……)
あれからだろうか。じっと彼のことを想うようになったのは。
初めは安堵だった。ひとまず命に別状はないと分かるとほっと胸を撫で下ろし、次いで申し訳なさで胸がいっぱいになった。
一緒にいるのはいつものこと。それは変わらなかったが、大怪我をさせてしまった申し訳なさで、なおのこと彼から離れがたくなった。あれこれと頼まれてもいないのに面倒をみようとして、彼に嗜められるほど。
彼の身体が回復し始め、自身も冒険者稼業に復帰できるようになると、徐々に離れて過ごすようになった。彼が隣にいないのはとても奇妙な感覚で、気がつけばぼんやりと彼を想って過ごすことが増えた。
──この気持ちを恋と呼ぶのだと、そう気がついたのはこの冬のことだ。
ラベンダーベッドに住む友人のフリーカンパニー宅に顔を出した時だ。ヴァヴァロたちと同じくアラミゴ方面で活動していた団員の中から、距離を急接近させ恋仲になった男女が出たと噂好きの友人に耳打ちされた。
その時だ。電撃的に自分の恋心に気がついたのは。
気づいてこの方、心の中は毎日大騒ぎだ。それまでは奇妙にそわそわしながらも変わらず彼と接していられたのに、恋だと自覚した途端にまともに顔を見ることさえできなくなった。
なんとか一緒にいる時間を作り出そうと必死なくせに、せっかく彼が話しかけてくれた時には冷たい態度で突き放してしまう。彼の些細な言葉に一喜一憂し、自分の意味不明な言動に自己嫌悪する。
そんなことを繰り返しているうちに冬が過ぎていった。
(いまのままでいいって、思ってたのになあ)
彼と恋仲になりたいなどと、そんな大それたことは考えていなかったのに。
(ほかの人に、取られたくないよ……)
俯き、鞄の紐をぎゅっと握った。自分にこんな独占欲が存在していたなんて、できれば知りたくなかったものだ。
この先も彼と一緒にいられる保証など、どこにもないのだ。一度そこに思い至ると、今度は焦燥感に駆られた。どちらかが冒険者を引退したら。ほかの女性が彼にアプローチしたら。あるいは彼に好きな女性ができてしまったら。
引退ならばまだいい。会いに行くことができるからだ。でも、もし彼に恋人ができてしまったら。
(ばかだな、私。焦って告白なんてして)
勝算がないのは初めから分かっていた。それでもただ座しているよりはマシだと思って告白したのに、あのざまだ。
(でも、久しぶりだったな。抱きしめてもらうのも、キスしてもらうのも)
ヴァヴァロはそっと額に触れる。まだ唇の感触が残っているような気がした。
「……えへへ」
自然と頬が緩む。本当に我ながら、とんでもなく単純だと思う。思い出しただけで簡単に心が温かくなってしまうのだから。
(ま、まさか、いまさら告白に気づいたりしてないよね?)
いったいこの恋心をどう処理すればいいのか、さっぱり見当がつかないけれど。
自分がこれ以上余計なことをしなければ、とりあえず現状維持はできるはずだ。騒がしい自分の心のためにも、押してダメなら一度引こう。
ヴァヴァロは気合を入れるように頬をぺしぺしと叩く。
「よし、仕事仕事っ」
愛の祝祭の空気が立ち込める街中を、冒険者ギルドに向けて駆けていった。
「あ、配達の依頼かあ」
気分転換も兼ねて遠出ができるような依頼がないか、ギルドの依頼一覧を眺めていたヴァヴァロは、目に留まった依頼書に手を伸ばした。
(明日荷物を受け取って、南部森林まで、か。近いなあ。あ、でもこの距離ならアルテュールのリハビリに……)
依頼書の内容に目を通しながら、しばし忘れようと努めていた相手の顔をさっそく思い浮かべてしまい、ヴァヴァロは顔を赤らめて息をついた。
(いつも一緒だったんだもんな。考えるなっていうほうが無理だよ)
徐々に活動を再開しているアルテュールに依頼を見繕うのは、何も今回が初めてではない。彼の身体を慣らすのに良さそうな依頼があれば、むしろ積極的に話を持ちかけていたから、いきなり思考を切り替えるほうが困難だ。
(うー、でも昨日の今日だもんな。どんな顔して誘ったら……。でもでも、むしろ普通に誘ったほうが昨日のことも早く流せるかもしれないし……)
迷った末、彼にリンクパールで連絡を取ろうとし、これもやめる。どうしても昨日のことが頭を過ってしまった。
(とりあえず私が受けて、家に戻ってアルテュールを誘ってみて……体調的に厳しそうだったら一人で行けばいいし。うん、そうしよう)
依頼としては一人でも問題のない内容だ。彼を誘って、もし色よい返事がもらえなければ一人でこなせばいい。
ヴァヴァロは依頼書を手にギルドの窓口を訪ねると、顔馴染みのギルド員に声をかけ、諸々の確認を済ませ帰路につくのだった。