これからも、よろしく(03)

「びっ……くりした……」
 ヴァヴァロの足音が完全に聞こえなくなると、アルテュールは倒れ込むようにベッドに仰臥した。
 彼女の衝撃的な言動に気が動転して、数日分の体力をごっそりと使い果たしたような気がしていた。額を押さえ、ぐったりと息を吐く。
(でも、そうだよなあ。ヴァヴァロだって年頃なんだから、恋の一つや二つ、しててもおかしくないよな)
 ──彼女の告白を聞いて、理解した、と思った。
 最近、自分が近づくとそそくさと離れてしまうのも。なにやら上の空で考え事をしていることが増えたのも。ノックの返事を待ってから部屋に入ってくるようになったのも。化粧に興味を持ち始めたのも。美しい青い瞳をいっそう煌めかせるようになったのも。彼女が恋をしたからなのだと分かるとすべて合点がいった。
 それにしても、と薄暗い天井を見上げながらアルテュールは考える。ヴァヴァロが惚れた相手というのはいったい誰だろうか。自分も知っている相手だろうか。
(ヴァヴァロの奴、エレゼンフェチだからなあ。やっぱりエレゼン族の奴……いや、恋愛対象ってなったら同族かもしれないよな)
 アルテュールは交流のあるいくつかのフリーカンパニーを思い浮かべた。その顔ぶれの中に、ヴァヴァロの恋のお相手になりそうな、彼女と年の近い男性はいただろうか。
(近所の奴とは限らないか。アラミゴに行ってる間に出会った奴かもしれないし、そもそも──)
 そもそもここ数ヶ月、療養でラベンダーベッドに留まっていたこともあって、ヴァヴァロとはほとんど行動を共にしていない。自分のまったく知らないところで恋に堕ちた可能性だって十分にあるだろう。
 そこまで考え、アルテュールはふと目の端に映ったバラに目をやった。
「あ……このバラ……」
 上体を起こし、花瓶に手を伸ばす。何かに思い至りそうになり、そして雷に打たれたような衝撃を受けて息を呑んだ。
(こ、このバラ! そうか──そうか、相手の男に渡そうと思って買ってきたってことか!?)
 ──珍しい、と思ったのだ。ヴァヴァロが花を買ってくるなんて。
 アルテュールの知る限り、彼女が花を買ってきたのはこれが初めてだ。荒野生まれの彼女にとって花は贅沢品という認識らしく、花を愛でることはあっても買うとなると躊躇してしまうものらしかった。それを籠いっぱいに、あんなにたくさん。
(バラを添えて告白しに行って、それで……)
 愛の祝祭に背中を押され、勇気を出して想いを伝えにいったにも関わらず、気づいてすらもらえなかったというのか。
 アルテュールは花瓶を手に取る。ヴァヴァロの胸中を思うと深い溜息がこぼれた。
 失恋──この場合、告白が通じていないのだから失恋という表現が正しいかは微妙だが──の経験ならばアルテュールにもある。あの絶望的なまでの惨めさを思い出しかけ、アルテュールは頭を振った。
(そりゃあ荒れるよな……ヤケクソになるのも当然か……)
 彼女が服を脱ぎ捨てようとした時は焦ったけれど。
(……それにしても、あの傷……)
 アルテュールは目を伏せた。彼女の胸元にうっすらと残っていた傷痕を思い出すと、胸が痛んだ。
 アラミゴ解放戦争に参加して、まだ間もなかった頃のことだ。対魔導兵器の知識を買われ、〝ともしび〟からヴァヴァロ単独で参加した作戦があった。その時に行動を共にしていた若手冒険者を庇い、負傷したのだ。
 嫌な予感というのは当たるもので。別行動中にずっと感じていた胸騒ぎは現実になってしまった。ようやく合流できたと思ったら、再会先が野戦病院だったのだから堪ったものではない。
(……これから花盛りだろうに……)
 冒険者を生業にしていれば、傷を作るなど日常茶飯事だ。ヴァヴァロ自身は傷痕など気にしないだろうし、気を使われても嫌がるだけだろうけれど。アルテュールとしてはやはり、痛ましい気持ちになってしまう。せめて自分も同行していればと、数えきれないほど悔やんだ。
 続くアラミゴ解放戦でも危うく命を落とすところだったのだ。魔導兵器の爪が彼女に狙いを定めた瞬間を思い出すと、いまでもぞっとした。
(守ってやる、か。まともに復帰できてない奴が言う台詞じゃないな)
 自分に呆れて笑ってしまう。
 死ぬかもしれないから、と訴えるヴァヴァロの顔が浮かんだ。切羽詰まった様子の彼女を前に咄嗟に口走ってしまったが、未だに冒険者として完全には復帰できていないのだ。一度は引退すら考えたというのに、我ながら大きく出たものだ。
 そもそもだ。好きな異性ができたのなら、いつまでも親兄弟ですらない男に親しげにされてはヴァヴァロも嫌だろう。
 アルテュールは花瓶を棚に戻し、ベッドに横たわると細く息をついた。
(……距離感、考えないとなあ……)
 思い耽るアルテュールの鼻先をバラの香りが掠めた。枕辺を彩るバラを仰臥したまま見やり、それにしても、と呟いた。
「誰なんだろ……ヴァヴァロの好きな奴……」


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