影より出でて(05)

 暮れなずむ森の、さらに底の空の下。
 恐ろしい穴にも、不気味な扉にも近づきたくなくて、少年は双方から離れた場所で膝を抱えて蹲っていた。
 穴には潜れない。扉は開かない。壁は登れない。戻ることも進むこともできず、少年には啜り泣くことしかできなかった。
 蔦を掴んで登れないかとも考えた。しかし蔦は少年の体重を支えきれず、あっさりと千切れてしまった。そうなるともう、少年には打てる手がなかった。
 風がさわさわと木々を揺らすたび、少年は細い肩をびくりと震わせた。風は少年を脅すだけ脅して去っていったかと思うと、思い返したように引き返してきては少年を怯えさせた。
 体中の擦り傷がひりひりと痛んだ。楽しかった探検が唐突に終わりを迎えると、後には傷の痛みと疲労と後悔が残るばかりだった。
 ふと優しい気配が少年と穴の底の草花をふわりと撫でた。少年は顔を伏せたまま薄く目を開ける。
「この子、なんで泣いてるクポ?」
 不意に──本当に不意に声がして、少年は目を瞬かせた。
「上から落ちちゃったクポ?」
 妙に暢気な響きをした声だった。少年は恐る恐る、少しだけ膝から額を浮かせた。目線だけを動かしたその先に、ふわふわと柔らかそうな白い毛並みが見える。
「怪我してるみたいクポ」
 声は二人分あった。少年を観察でもしているのか、白い毛並みが狭い視界の中で左右に揺れ動いた。
 少年はぽかんと顔を上げた。目と鼻の先に、二匹の綿毛のような生き物がふよふよと浮いている。蝙蝠のような小さな翼に、頭から生えた不思議な玉。幻のように現れては消える森の住人──
「なに見てるクポ?」
 少年に直視されているとは露程も思っていない様子で、綿毛達は不思議そうに首を傾げた。
「モ、モーグリ」
 少年の口からぽろりと声が転がり落ちた。モーグリ達はきょとんと顔を見合わせると、そのまま背後を振り返る。自分達以外、何者の姿もないことを確かめると、再び顔を見合わせ──素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「モ、モグ達のことが見えてるクポ!?」
 モーグリ達の悲鳴に少年も驚いて悲鳴を上げた。その声にさらに驚いて、モーグリ達は大きく後ろに飛び退いた。
「そ、その声、聞き覚えがあるクポ!?」
「え、え、えっ?」
 赤玉のモーグリの後ろに隠れた黄玉のモーグリが、おっかなびっくり背中から顔を覗かせる。訳が分からず混乱している少年をよそにうんうんと頭を捻り、やがてあっと声を上げた。
「もしかして、いつも森で歌ってる男の子クポ!?」
 少年は腰を抜かしたまま目を見張った。
「え、え、じゃあ二人は」
 少年の言葉にはっと我に返った二匹は、大慌てでラッパと竪琴を得意げに構える。
「よくぞ聞いてくれましたクポ!」
「モグ達は黒衣森の天才音楽家!」
「クプラとクポリ、クポ!」
 呆気に取られた少年は二匹のモーグリを幾度も交互に見やる。目の前にいる彼らが夢でも幻でもないことをじわじわと実感すると、今度は頬を熱くした。
「あ、あのっ! 僕っ、ずっと前から二人に会いたくてっ」
 少年は勢いよく立ち上がると前のめりになる。モーグリ達も嬉しそうに跳ねた。
「モグ達もクポ!」
「君の歌があったほうが演奏がノリノリになるから、いつか会いたいと思ってたクポ!」
 先ほどまでの惨めな思いもどこへやら。少年は興奮と感激に瞳を輝かせる。
「ほ、本当っ? いっぱい探しても絶対見つけられなかったから、一生会えないと思ってたっ」
「探して……?」
 モーグリ達は空中でぴたりと静止する。二匹はお互いを見交わすと、
「時々モグ達の近くまで来てたのは偶然じゃなかったクポ……?」
 怖々と少年に尋ねた。少年も目を瞬かせる。
「たまに森の中を飛んでるのが見えるから、探したら会えるかなって……
 モーグリ達はぎょっとして飛び上がった。大慌てで少年に背を向け額を寄せ合う。
「モグ達、ちゃんと姿隠してたクポ!?」
「でもでも、考えてみたらあの子、いつもモグ達の演奏が聞こえてたから歌ってたクポ!?」
「モグ達の魔法が通じてないクポ!?」
「あの……?」
 二匹の内緒話も少年の耳には筒抜けである。視線に気がついた二匹は平静を装って少年に向き直った。赤玉のモーグリはひとつ大仰な咳払いをして胸を張る。
「モ、モグ達の幻術を見破るなんてなかなかやるクポ。君の名前はなんて言うクポ?」
「僕、アルテュリュー、です! 二人は、えと」
 彼らと話せるのが嬉しくて、アルテュリューは元気よく答える。とはいえモーグリを間近に見るのは初めてで、二匹を見分けることができない。
 少年の疑問を察した赤玉のモーグリが笑って──表情が分かりにくいが、おそらく笑って──手を振った。
「モグがクプラで」
 クプラに続くように黄玉のモーグリが楽しげに回る。
「モグがクポリ、クポ!」
「クプラとクポリ」
 アルテュリューは二匹の名前を忘れないよう、心の中で何度も唱えた。
「アルテュリューはここで何してたクポ? いつもは果樹園のあたりにいるクポ?」
 興奮を噛み締めているアルテュリューにクポリは首を傾げる。そうすると頭の玉まで一緒に揺れて、なんとも暢気だった。
「というか、どうやってここに来たクポ? 落ちちゃったクポ?」
 クプラはきょろきょろと森の底を見回した。アルテュリューは自分が置かれた状況を思い出して肩を落とす。
「ゲルモラを探そうと思って探検してたらここに着いて……
 クポリは妙に納得した様子で頷いた。
「シェーダー族の子クポ? こっちの扉から来たクポ? あれ、開かないクポ」
「ううん、あっちの穴から」
 軋むばかりで開く気配のない扉を訝しむクポリに、アルテュリューは正反対にある穴を指してみせた。
「こ、ここから来たクポ!?」
 穴を覗き込んだクポリは驚いて声を大きくする。アルテュリューは項垂れた。
「来たときは通れたのに、帰りは上手く通れなくて」
「それで泣いてたクポ?」
 クプラの言葉にアルテュリューは悄然と頷いた。
 外から念入りに穴の様子を確認したクポリは恐る恐る穴に潜ってみたものの、すぐに悲鳴を上げて飛び出してきた。
「真っ暗で怖いクポ!! 本当にここを通ってきたクポ!? こんな穴、蛇しか通れないクポ!!」
 そのまま森に逃げ込む勢いで穴から離れたクポリは、短い手足を振り回しながらぷりぷりと周囲を睨む。
「大体ここ、昔から謎の場所クポ。なんの穴クポ? 大きな落とし穴みたいで危ないクポッ」
「どうして通れなくなっちゃったクポ?」
 アルテュリューはため息を吐いた。
「わかんない……。何度か試したんだけど、同じところで詰まっちゃって……
 クプラはふむふむと小さな手で顎らしき場所を摩ると、ふわふわとアルテュリューの周りを回った。
「もしかして……急に太ったクポ?」
「クプラなに言ってるクポ。それより脱出方法を考えるクポ」
 クポリは呆れたようにクプラの肩を叩いた。
「助けてくれるの?」
 目を瞬かせるアルテュリューをよそにクポリはクプラと改めて周囲を検分する。
「こんなところに放っていけないクポ。うーん、モグ達でなんとか引っ張り上げるクポ?」
 涙がアルテュリューの頬を滑り落ちた。止める間もなく次々と溢れ出てくる涙に自分で驚いて、慌てて顔を拭う。
 さめざめと泣き始めたアルテュリューに二匹はぎょっとした。
「な、泣かなくても大丈夫クポ! ちゃんとおうちに帰れるクポ!?」
「三人で頑張ればなんとかなるクポ!」
 懸命に励ましてくれる二匹にアルテュリューは頭を振った。
「このままずっと独りぼっちだと思ったから……
 二匹は顔を見合わせ、なんとか涙を抑えようとしているアルテュリューの肩や頭を小さな手で撫でた。
「子供が一人でこんなところに来ちゃだめクポ。そこは反省クポ?」
「うん、ごめんなさい。あっ」
 モーグリ達の手は柔らかに温かくて、アルテュリューは素直に頷いた。と、同時に腹の虫が鳴ってしまい赤くなった。安堵すると途端に空腹感が襲ってきた。
「お腹空いたクポ? 困ったクポ、今はクポの実一個も持ってないクポ」
 クプラは肩から下げた小さな革のポーチを漁った。
「先に木の実でも摘んでくるクポ? ちょっと待っててクポ」
「へ、平気だよ! ──そうだ、いまなら通れるかも」
 森に舞い上がろうとしたクポリを引き留め、はたと思い至ったようにアルテュリューは顔を上げた。穴に駆け寄ると、這いつくばって中を覗く。
「もう一回潜ってみる」
 何事かと見守っていた二匹に決心した面持ちで告げた。いまならお腹が空いているから、先ほどよりも身体が小さくなっていて、穴り抜けられるかもしれない。
「や、やめたほうがいいクポ!」
「挟まったら危ないクポ!?」
「もし動けなくなったら、後ろに引っ張ってくれる?」
 落ち着きを取り戻したアルテュリューは、慌てて押し止めようとする二匹に笑って頼んだ。
 少年の見せた余裕にクポリは覚悟を決めたように拳を握った。
「わ、わかったクポ。それなら前からも引っ張れるようにするクポ」
「ありがとう!」
 アルテュリューは破顔した。
 クポリは緊張した様子で再び穴に潜り込んでいき、
「やっぱり真っ暗で怖いクポ!! 前はクプラに任せるクポ!!」
 やはりすぐに悲鳴を上げて飛び出してきた。
「し、仕方ないクポ。前は任せろクポ。うう、狭いクポ……
 自分にしがみつくクポリを剥がし、クプラは暗闇に潜り込んでいった。しばらく進んだところで呼ばれ、アルテュリューも腹這いになって穴に潜る。その後ろにクポリが続いた。
 アルテュリューが追いつくとクプラはほっとしたようだった。少年の進行に合わせて少しずつ下がっていく。
 じきに問題の箇所に辿り着いた。アルテュリューはひとつ深呼吸をすると、まずは状況を探るために先ほどと同じように進んでみる。
「いたた」
 やはり身体がつかえてしまい、どうにかならないかと身体を捩っていると後頭部を岩に掻かれた。
「引っ張るクポ!? 後ろに引っ張るクポ!? やっぱりモグ達で上に引っ張り上げた方が安全クポ!!」
「だ、大丈夫!」
 泣き叫ぶようなクポリの声に冷静に返し、アルテュリューは肺の空気を抜くように息を吐き出した。
「な、何してるクポ?」
 いつでも少年を引けるよう腕に手をかけていたクプラが不思議そうに尋ねた。
「こうやって息を吐くと身体が小さくなるの。来る時もこうやって通ってきたんだ」
「そこまでして潜る気合いがすごいクポ……
 アルテュリューはもう一度しっかりと息を吐き出した。なんとか前進しようと体勢を変えると息が苦しくなる。先ほどはこれで焦ってしまったが、二匹がそばにいてくれるおかげで落ち着いて考える余裕を持てた。
 一度通れた場所なら帰りも通れるはずだ。酷く苦しく感じるのはきっと、窮屈ながらもそこまで痛みなく通れた行きの感覚が残っていて、帰りも同じに違いないと早合点してしまったからだろう。もともと身体を縮められるだけ縮めてようやく通れる狭さだったのだ。
 でも、いまなら絶対に通れるはずだ。なにしろ空腹で、お腹だって少し凹んでいるはずなのだから。
 アルテュリューは窮屈さに耐えながら少しずつ体勢を変えてみる。身体が多少楽になる体勢を見つけると、これだ、とクプラを押す勢いで前進した。
「い、いけた!」
 難所を抜けると体が一気に楽になり、アルテュリューは歓喜の声を上げた。ここを抜けられたら、もう外に出たも同然だ。
「ま、待ってクポー!」
 猛然と穴を這い始めたアルテュリューに置いていかれぬよう、クポリは少年の足首にしがみつく。
 そうして遂に穴から這い出ると、アルテュリューは膝を折ったまま両手を挙げて喜んだ。
「出れたー!!」
 子供の背丈でも屈んでいなければいけないほどの、暗闇に包まれた狭い空間。それでもあの穴の底に比べれば、開放感は雲泥の差だ。
「出てないクポ!? まだ洞窟の中クポ!!」
「ここまで来たら道があるから大丈夫だよ」
 叫ぶクプラにアルテュリューは前方の亀裂を指してみせた。
「な、なんにも見えないクポ。クポポ!? いまなにかふわふわしたものがいたクポ!?」
「いまのクプラが触ったクポ!? びっくりしたクポ!!」
 背後で大騒ぎする二匹に少し笑って、アルテュリューは杖でかつかつと亀裂の壁を叩いた。その音にいっそう驚いて、クプラとクポリは悲鳴を上げて抱き合った。
「なんでそんなイジワルするクポー!?」
「こ、こうするといろいろ分かるから」
 涙目で抗議してくる二匹に危険がないことを伝えると、アルテュリューは屈みながら亀裂の道に入り込んでいく。
「うう、こんなの道って言わないクポ」
「僕に掴まって」
 あちこちにぶつかりながら着いてくるクポリが嘆いた。アルテュリューは二匹の手を取って引き寄せると、自分の肩に掴まるように促す。大人しく両肩に掴まった二匹はふかふかと温かくて、アルテュリューはその感触に顔を綻ばせてしまう。
 道は次第に開けていった。屈まなければ進めなかった道も立って歩けるようになり、進むほどに息苦しさは薄れていった。
「あ! 光クポ! 外クポ!?」
 じきに光が見えた。道の先から差し込むわずかな光にクポリが声を上げる。アルテュリュー達は顔を見合わせると走り出した。亀裂の道を抜け出た途端、森のざわめきが突風のように押し寄せてくる。
「外に出れたクポー!!」
「やったあ!」
 三人は歓声を上げながら洞窟から脱出した。
 ほとんど日が暮れかけた薄暗い森の中、それでも陽射しが眩しくて、アルテュリューは目を眇めた。清らかな川と森の香りを胸いっぱいに吸い込むと、晴れやかな心地がした。
「ああっ、この洞窟クポ!? 分かったクポ! 果樹園の近くの川を上がってきたところクポ! ここからあの穴に繋がってるクポ!?」
 きょろきょろと周囲を見渡したクポリが仰天する。
「思いがけない大冒険だったクポ。暗闇の世界を探検してしまったクポ。怖かったけど、ちょっと病みつきになりそうクポ」
 クプラはやり遂げたように額を拭う。
 二匹とひとしきり笑い合ってから、アルテュリューは名残惜しそうに俯いた。
「二人とも、助けてくれてありがとう。ここまで来たら、後は一人でも大丈夫……
 本当は、もっと一緒に遊んでいたいけれど。こんなに夜が迫っていては、急いで家に帰らなければならない。きっと彼らもそうだろう。彼らの家がどこにあるかは分からないが、夜の森は危険だ。
 クプラとクポリは顔を見合わせた。
「もう暗くなりかけてて危ないクポ」
「モグ達が果樹園の近くまで送るクポ!」
「い、いいの?」
 頬を紅潮させるアルテュリューに二匹は屈託なく笑った。
「もちろんクポ。さあ、出発クポ!」
「うんっ」
 クプラが高らかにラッパを吹き鳴らした。
 三人は軽やかな足取りで川沿いを下っていく。森を包む薄暗がりを払うようにクポリが竪琴を弾き始めると、クプラもすぐにラッパで混ざった。
 聞き馴染んだ旋律が目の前で奏でられる光景に居ても立っても居られなくなり、アルテュリューも杖を振りながら一緒に歌い出した。少年の参加を喜んで、二匹の演奏はますます弾んだ。
 小さな音楽隊が森を行く。草影から、岩影から、木立の上から。息を潜めて様子を窺う数多の目には構いもせず、刻々と忍び寄る夜の気配を遠退けながら、三人は森を行く。
「アルテュリューの歌声は本当に綺麗クポ。春の森みたいに透き通ってるクポ」
 足が疲れたら休息を挟み、腹の虫が鳴ればあたりの木の実を摘み。そうして着実に歩を進めるアルテュリューの周りをクポリはくるくると舞った。
「そ、そうかなあ? 自分だとよく分からないや。好きで歌ってるだけだから」
 アルテュリューは照れくさくなって頬を掻いた。
「好きは大事クポ! モグ達も音楽が大好きクポ!」
 クポリの言葉にクプラも頭の玉が激しく揺れるほど頷いた。
「そうクポ! 音楽が大好きで、それで毎日みたいに演奏してたら、ある日モグ達に合わせて楽しそうに歌ってくれる子が現れたクポ!」
「モグ達、大興奮だったクポ。だってその子の歌は、モグ達の演奏をもっと良くしてくれたクポ! あの時は興奮しすぎてポンポンがはち切れるかと思ったクポ!」
 当時を思い出すようにクポリは体中の毛を膨らませた。
「だから好きは大事クポ! 好きで続けて、いつか一緒に演奏できたらと思い続けていたから、きっと今日出会えたクポ!」
──うん、うんっ」
 二匹の言葉にアルテュリューは胸を熱くした。たくさんの思いが込み上げてきたが、しかし言葉に出来なかった。ただただ興奮と歓喜が少年の身の内を満たした。
 不意に自分を呼ぶ微かな声が遠くから聞こえた。アルテュリューはあっと顔を上げる。
「お父さんの声だ!」
 周囲を見渡した。薄闇に包まれていて分かりにくいが、集落まではもう少し距離があるはずだ。
「帰りが遅いから、きっと心配して探しに来たクポ。後でちゃんと謝っておくクポ?」
「うん、そうする」
 こんなに遅くまで外にいたのは初めてのことだった。少年は素直に頷く。これは怒られてしまうだろうな、と内心独り言ちた。
 少し早足になり、見通しの効く場所までくると、父の声はいっそう近くなった。
 ここまで来れば、後は一人でも父と合流できる。二匹にそう告げ、アルテュリューは彼らの小さな手を握った。
「また会える? 二人のこと、僕の友達にも紹介したい」
 別れを惜しむ少年にクプラは悪戯っぽく笑った。
「それは風の吹くまま、気の向くまま、クポ」
「もう会えない……?」
 クポリはクプラの脇腹を肘で小突いた。
「モグ達、精霊や道士に頼まれて森の別の所にも行ったりするクポ。だからいつまでこのあたりにいるかは、モグ達にも分からないクポ」
「そっかあ」
 やんわりと諭されて、アルテュリューは残念そうに呟いた。別れを惜しむ少年を前に「そうだ」とクポリはポーチを漁る。
「アルテュリューにこれをあげるクポ」
 クポリはアルテュリューに手を差し出させると、その手に緑色の小さな宝石を乗せた。アルテュリューは驚いて宝石とクポリ達を見比べた。
「いいの?」
「森で拾ったクポ。綺麗クポ? 友情の証クポ!」
 アルテュリューは感激して瞳を輝かせた。
「ありがとう! 宝物にするねっ」
「また一緒に歌うクポ!」
「うんっ!」
 ひとしきり別れの挨拶を交わすと、アルテュリューは宝石を大事に握り込んで駆け出した。
 しばらく駆けた先で振り返る。変わらずに自分を見守っている二匹と大きく手を振り交わし、再び先を急ぎ始めた少年の背を温かな風が撫でた。
 その風に振り向くと、二匹の姿は既になかった。それでもあたりを漂う優しい気配に、二匹がまだ近くにいることを感じ取れた。
 少年は手の中の宝石を確かめた。二匹が幻のように姿を消してしまっても、この宝石がある限り、今日の出会いが夢ではなかったことを教えてくれる。
 宝石を胸に抱き、周囲を取り巻く気配に微笑むと、少年は自分を呼ぶ父の声を目指して森を駆けた。
 モーグリに会ったと言ったら、両親は信じてくれるだろうか。ゲルモラを探しに潜り込んだ洞窟の先で、ずっと歌で繋がっていた彼らと遂に出会えたのだと話したら、両親はきっとびっくりするだろう。帰ったら父と母に聞いてほしいことがたくさんあった。
 じきに灯りを手に必死に周囲を探る父の姿が見えた。少年は大きな声で父を呼ぶ。日が暮れた森の中、声の在処を探すように灯りが激しく揺れた。懸命に自分を呼ぶ父に、少年は弾むような声で返事をした。
 ──やがて明るい笑顔で駆けてくる息子の姿を見つけた父は、安堵の顔を見せたのも一瞬、鬼の形相で息子の頭に拳骨を炸裂させるのだった。

 まさかいつまでも戻らぬ自分のせいで集落中が大騒ぎになっていたとは露程も知らず。
 父に怒られ、母に泣かれ、祖母に呆れられ、山狩の支度をしていた集落の大人達にまで代わる代わる叱られて、「モーグリに会った、モーグリが助けてくれた、だから大丈夫だった」と訴えれば妙な言い訳をするなとまた怒られ。
 わんわんと大泣きしながら謝るうちに、夜は騒がしく更けていった。
 ──アルテュリュー、六歳の頃の出来事であった。


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