バタードフィッシュ

「地元の人ばっかりだね」
 アルテュールに連れられてやってきた食堂、その一席に腰をかけながら、ヴァヴァロはきょろきょろと店内を見渡した。
「昔っからやってるらしいよ。港も近いし、いつも混んでんだ、ここ」
 港のほど近く、くり抜かれた岩礁の中にあった白い食堂は、地元の労働者と思わしきルガディン族やヒューラン族の男性で賑わっていた。店の外観よりは広い印象の、しかし大柄な客が多いからか少々窮屈に感じる店内は、真昼時を抜けたからか満席とまではいかなかったが、ヴァヴァロたちが着席した直後にも来店があり、客足が途絶えない様子だった。
「魚がおすすめなんだよね?」
 ヴァヴァロは壁に掲げられた黒板のメニューを見上げる。メニューは魚料理が中心のようだが、肉料理の用意もあるようだ。
 アルテュールは頷く。
「そう。俺はバタードフィッシュ」
 もう決まっているのか、とヴァヴァロは悩ましい気持ちで口をむぐつかせた。そうしている間にも後続の客はさっさと注文を済ませ、店員が食事を運んでいく。
「一番おすすめ?」
「一番おすすめ」
 ヴァヴァロは「むむう」と小さく唸った。周りの行動の早さに少しばかり焦りを感じるが、どのメニューもおいしそうでスパッと決断できない。
 素直におすすめの魚料理にしようか。でもこの男の提案に大人しく従うのはなにやら癪だ。とはいえ、いまはそこまで肉料理気分でもない。
 頭を大急ぎで回転させていたヴァヴァロは、やがて羅列されたメニューの中に心惹くものを見つけ、小さく声を上げた。
「私はシェパーズパイにしよっかな」
 炒めた羊肉の上にマッシュポポトを敷き詰めた料理だ。ヴァヴァロはポポトが大好物だった。
 アルテュールは朗らかに笑う。
「よし、決まりな」
 注文と支払いを済ませると、出来合いの品がすぐに運ばれてくる。さっそく自分の皿に手をつけようとしたヴァヴァロは、食欲をそそる揚げ物の香りに鼻先をひくりとさせた。
「そ、そっちもおいしそうだね」
 思わず隣の皿に目がいく。アルテュールの皿には、こんがりと揚げられたバタードフィッシュと細切りのフライドポポトがたっぷり盛られていた。そっちにもポポトがついていたのかと、ヴァヴァロは少しだけ失敗した気になる。
「一切れいる?」
「じ、自分のがあるからいいよ。いただきますっ」
「そう?」
 気前よく取り分けようとしたアルテュールを慌てて制し、ヴァヴァロは自分のシェパーズパイをぱくりと──しようとして手を止めた。
 たっぷりと酢が振られたバタードフィッシュの衣は、それでもサク、と小気味の良い音を立てて割れた。一切れあたりが大きめの、身もふっくらしていそうなそれを、アルテュールはフォークでサクサクと一口サイズに切っていく。その背徳的な音にヴァヴァロの意識はたまらず吸い寄せられた。
 熱視線に気がついたアルテュールは、微苦笑しながら酢のかかっていない一切れをヴァヴァロの皿に取り分けた。ヴァヴァロは我に返って頬を赤くする。
「い、いいってばっ」
「食べてみな。ここのバタードフィッシュ、衣がザクザクでおいしいんだ」
 で、とアルテュールはテーブルに置かれていた酢の瓶を手に取った。
「俺はそこにびたびたになるくらいお酢をかけて食べるのが好き」
「せっかくザクザクなのに……」
「せっかくなのになあ」
 そんなつもりではなかったのに、結局は無言でねだったような結果になってしまって、ヴァヴァロは少し恥ずかしくなる。かといって、すでに分けてもらったものを返すのも失礼な話だ。ここはありがたく頂くことにしよう、とヴァヴァロはひとまず少しだけ酢を衣に振りかけた。わずかにしんなりとした衣をスプーンで適当なサイズに切り、ぱくりと口にする。
「ほんとだ、なんか分かんないけどおいしいね」
 アルテュールの言う通り、硬めに揚げられた衣は酢で濡らされてもなおザクザクとした歯応えを残していた。身は見た目通りふっくらとしていて、魚になのか衣になのか、少しだけ辛い味付けがしてあるようだった。なんのスパイスなのか、はたまた香草なのかは分からなかったが──おいしいものは好きだが、あいにく料理には詳しくなかった──、とにかく、おいしい。
 ヴァヴァロの反応にアルテュールは口元を綻ばせる。
「だろ? どう? もっと食べる?」
「アルテュールの分がなくなっちゃうよ」
 自分のシェパーズパイと、アルテュールのバタードフィッシュ。両方ぺろりと平らげられそうな程度には空腹だが、さすがにこれ以上はもらえない。だって彼は、これを楽しみにこの食堂に足を運んだはずなのだから。たしかにおいしいから、もっと食べたい気持ちもあるけれど。
 いっそ追加で注文してしまおうか。いやしかし今夜の宿もまだ取ってないし。と、自分のパイをつつきながら悶々と悩み始めたヴァヴァロの横で、アルテュールは手を挙げて店員を呼ぶ。
「すんません、同じやつもう一皿」
「んっ!?」
 あいよ、と威勢の良い返事をする店員にさっさと金を払ってしまうと、アルテュールは目を丸くしているヴァヴァロに気さくに笑った。
「奢るよ。分けて食べよう」
「う……半分お金出すよ」
 しまった、またしても顔に出てしまっていたか、とヴァヴァロは指先をつつき合わせた。
「気にしなくていいよ。あー、じゃあ代わりに、ヴァヴァロがどっかうまい店見つけたら教えてよ」
「わ、わかった。開拓しとく」
 そのうえ奢られやすい理由まで用意されてしまい、完敗である。すっかり丸め込まれたような気がして、なにやら悔しいヴァヴァロであった。

 やがて追加のバタードフィッシュが運ばれてくると二人はそれを分け合い、ついでにヴァヴァロのシェパーズパイも少しアルテュールに分け、なにくれとなく会話を交わしながら食事を楽しんだ。
 その途中、ふと口を噤んだアルテュールが目配せをよこしてきたので、ヴァヴァロは何事かと首を傾げた。アルテュールの目線が背後に向けられる。ヴァヴァロもそろりとそちらを見やった。視線の先には、やはり地元民らしきルガディン族の男性が二人。
『──でよ、最初はもぐらの仕業かと思ってたらしいんだが、それにしちゃ穴がデカいってんで調べてみたら、中からコボルド族が飛び出してきたんだってよ』
 ヴァヴァロもアルテュールも、食事を続けながら耳だけをそちらに向ける。
『あいつら、近頃ますます山から下りてくるようになりやがったな。その農園のやつらも気の毒に。畑を穴ぼこだらけにされちまったわけだろ』
 それまで話を聞いていた男性が忌々しげに吐き出した。噂話の主も口に料理を放り込みながら頷く。
『農園じゃ怪我人も出たらしいぜ。まったく、お上はなにをやってんだか。警備隊を組むなりなんなり、もっと対策を立てられんもんかね』
 そうしてしばらく話し込んでいた二人は、食事を終えると忙しない足取りで食堂を去っていった。
 彼らが完全に店外に出ると、アルテュールはヴァヴァロに肩を竦めてみせる。
「……近いうちにギルドに依頼が出るかもな」
 ヴァヴァロは思わず感心してアルテュールを見上げた。
「そっか、こうやって地元の人たちが集まる場所に来れば、情報収集にもなるんだねっ」
 仕事にありつきたい時、冒険者同士で交流したい時であれば、ギルド併設の酒場に向かうのが手っ取り早い。しかし市井の人々の困り事をいち早く捕らえるならば、こうして地元に溶け込むのが有効というわけだ。そもそも冒険者ギルドに寄せられる依頼の多くは近隣住民からのものだから、常日頃から街中で耳を澄ませておけば、誰よりも早く動けるということなのだろう。
 さすが長年に渡って冒険者をやっているだけのことはあるな、とヴァヴァロは少しだけアルテュールを見直してしまう。
「ん? ああ、そうなるときもあるなー」
 なにやら尊敬の眼差しを向けてくるヴァヴァロにアルテュールは呑気な調子で返す。そののほほんとした声にヴァヴァロは椅子からずり落ちそうになった。
「そのつもりで連れてきてくれたんじゃないの!?」
「んや、久しぶりにここのバタードフィッシュが食べたくて」
 ヴァヴァロは盛大に脱力した。隣にいる胡乱な男が垣間見せた先輩冒険者らしい一面に、一人で盛り上がって一人で落胆して。彼の行動に深い意味を見出そうとしていた自分の単純さに、自分で辟易してしまう。ついでにちょっと、見直すきっかけができて嬉しく感じていたというのに。本当にただ、おいしいものを食べにきただけだなんて。なあんだ、まったくもう、とつい声に出して呟いてしまいたい心地だった。
 さきほどから一人でころころと表情を変えているヴァヴァロにアルテュールは笑う。
「でも、まあ、そうだな。野次馬根性で噂の出所まで行ってみると案外仕事が転がってたりするから、耳を澄ませといて損はねえかな」
 ヴァヴァロは「ぬう」と唇をとがらせた。なんだかんだとお気楽そうな態度を取っておきながら、彼の言葉にはたしかな経験が宿っている気がして、それがなんだか、妙に悔しい。
「ふ、ふうん、なるほどね。じゃあ明日あたり、ちょっと農園のほうに足を伸ばしてみよっかな」
 とはいえ一人前の冒険者になるためにも、吸収できることはなんでもしたい。アルテュールが経験豊富な先輩なのは本当だから、ここは素直に話題に乗っておこう、とヴァヴァロは本日二度目の澄まし顔を作る。
 そんな初々しい若者の横顔に、アルテュールは眩しそうに目を細める。
「そうしてみるかー。合流できそうなら、他の連中も誘ってさ。行ってみよう」
「ん!」

 リムサ・ロミンサの昼下がり。
 微妙にむしゃくしゃしながら料理にぱくつくヴァヴァロは、隣の男の優しい顔に、まだ気がつかない。


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