旅のはじまり(01)

「──帰ってきた」
 潮風と活気に満ちた港に軽やかな足取りで降り立つ一人の少女がいた。船客と船乗りが行き交う中、少女は眼前に広がる懐かしい景色に思わず声をこぼす。
 見上げるほど高い白亜の建造物群が晴々とした空によく映えていた。陽光を浴びて眩しいほどに輝く街並みを、少女は宝石のような青い瞳を煌めかせながら眺め渡す。
 アルデナード小大陸の西方、バイルブランド島に築かれた海の都リムサ・ロミンサ。──帰ってきたのだ。生まれ故郷、エオルゼアの地に。
 少女の胸は歓喜で高鳴っていた。わけもなくその場で踊り出したくなるのをぐっと堪え、少女は街にくるりと背を向ける。旅の目的地は、否、旅の始まりの地をどこにするかは、ずっと前から決めていた。
 往来の邪魔にならないよう下船した人々の波から抜け出ると、少女は港の適当な場所に腰を下ろした。船員によると島と小大陸を繋ぐ定期船がじきに到着するらしい。折よく乗り継ぎができるとあれば、名残惜しくはあるが海都散策はまたの機会のお楽しみだ。
 少女は鞄から使い込まれた一冊の手帳を取り出した。愛おしげにその革表紙をひとつ撫でると、最初の頁を開く。色褪せたインクで記された日付は少女が生まれるよりも前のものだ。
 書き留められているのは旅の記録だ。一頁目は今しがた少女が降り立ったここ海都から始まっている。少女は諳んじられるほど読み込んだその旅の記録に改めて目を通した。

『リムサ・ロミンサに到着して一日。今日から旅の記録をつけることにした。
 親父たちには呆れられたが、やはり旅に出て良かったと心の底から思う。海都の美しさたるや、兄妹たちにも見せてやりたいものだ!
 紺碧の海の上に広がる白亜の街並みと、それを縁取るバイルブランド島の爽やかな緑と青空の壮観さよ。
 ああ、私に詩心があればどれほど良かったか!
 こうして書き連ねてはみるが、少しも海都の美しさを言い表せていない。

 いったい街の作りがどうなっているのか、圧倒されるばかりで理解するのに手間取ったが、どうやら湾内に点在する小島や岩礁群の上に築かれた都市ということらしい。岩礁同士は橋で繋がれ、施設や住居はくり抜かれた岩礁の中か、あるいは上へ上へと伸びるように建てられた塔の中にあるようだった。つまりこの街は、正しく海の上に築かれた海の都なのだ。

 明日はまだ足を運べていない区画を訪ねてみよう。舶来品で溢れる市場も刺激的だったが、まずはこの街の成り立ちを知りたい。聞くところによると海賊が建国に深く関わっているそうだ。誰か歴史に詳しい人と出会えると良いのだが!』

 興奮気味に書かれたであろう初日の記録は、後半に行くほど紙面が不足し行間が狭まっていた。その辛うじて一頁に収まった記録の端、余白に書き足された言葉があった。“たまに便りを出すこと”と。
 少女は目を伏せた。
「おじいちゃん、心配してるかな……」
 海向こうの土地に残してきた祖父を思い、すぐに頭を振った。
「私だってもう子供じゃないんだから。一人でもやっていけるもん」
 祖父とは喧嘩別れだった。いつまでも自分を幼子扱いする祖父の制止を振り切り、家出をする形で旅立ってきたのだ。置き手紙ひとつで飛び出してきたことを申し訳なく思わなくもないが、それよりも認められない悔しさが強かった。
 蘇ってきた苦い思いを振り払い、少女は頁を捲っていく。最後の記録の頁まで進むと、末尾に書き足された一行を指でなぞった。
『愛するヴァヴァロへ。いつか三人でこの手帳をいっぱいにしよう』
 少女は──ヴァヴァロは亡き父が遺した手帳を胸に抱きしめた。
(お父さん、私、帰ってきたよ。お父さんと同じ冒険者になるために)
 父と、母と、自分と。いつか三人で旅をしようと、そう笑って手帳を託してくれた父の顔が思い出された。この港で別れ、そして再会できなかった父の顔が。
 ヴァヴァロはつんと痛んだ鼻先を慌てて擦り、鞄から筆記具を取り出した。
「ええと、何から書こうかな」
 手帳には四分の一ほど空白の頁が残されている。真っ新な紙面を前にしばらく考え込み、ヴァヴァロは思いつくままにペンを走らせてみる。
「星歴一五七七年──」
 リムサ・ロミンサに到着。本日は快晴。幸先良し。冒険者になるべくウルダハを目指す──。
 頭に浮かんだ言葉をひと通りあれこれと書きつけると、冒頭の頁と見比べた。
「お父さんみたいにはまだ書けないなあ」
 父と比べてなんとも淡白な書き振りに苦笑が浮かんだが、ひとまず満足して手帳と筆記具を鞄に戻した。代わりにビスケットを引っ張り出し、港を行き交う人々を観察しながらのんびりと食む。おこぼれを狙うかもめがすぐに足元に寄ってきて、その太々しさにヴァヴァロは思わず笑ってしまう。
 しばらくして鐘の音が港に響き渡った。見れば一隻の船が入港しようとしている。あれが待っていた定期船だろう。
 気が早いとは分かりつつも、ヴァヴァロは膝に落ちた食べかすを払うと立ち上がった。すかさずおこぼれを啄み始めたかもめを避けるように歩き、乗船に備えて埠頭のそばまで行く。
 やがて入港した定期船から船客たちが下りてきた。
「こ、ここが、リムサ・ロミンサ……!!」   
 わっと港に降り立った人々の中から聞こえた声に、今か今かと乗船の合図を待っていたヴァヴァロは思わず振り返った。
 声の主と思しき青年は感極まった様子で港に立ち尽くしていた。つい先ほど見たような光景にヴァヴァロは微笑む。格好からして旅行者だろうか。やけに荷物が多いところを見ると、旅慣れてはいなさそうだ。
 感激のあまりすっかり足が止まってしまったらしい青年は、別の船客にどやされると慌てて歩き出し、そのまま人波に流されるように街の方へと消えていった。
 それから待つことしばらく、ようやく乗船の合図が出ると、ヴァヴァロは弾むような足取りで船に乗り込んだ。
 ──一人の少女が、冒険者として駆け出そうとしていた。


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