おかえり

「はい、はい。それじゃあ、待ってるからね」
 会話が一段落すると、ケイムゲイムはリンクパールをダイニングテーブルの上に置いた。
 読みかけのゴシップ誌を閉じ、カップに残った茶を飲み干す。がらんとした居間を見渡し、「さて」と独り言ちた。
 ──ラベンダーベッドの一画に「ともしび邸」と名付けられた小さな家がある。
 紫水桟橋からほど近いこの家をねぐらと定める人間はケイムゲイムとその夫ツェルフアレンを含め十人ほど居るが、ここしばらくは夫婦二人でひっそりと過ごしていた。
 この家の主たちは冒険者だ。ひとたび出立すると何日、時には何週間と家を留守にしてしまう。かと思えば唐突に舞い戻り、そして飛び出していくことも珍しくなかった。
 大抵は何組かに分かれて行動し、入れ替わり立ち替わりで冒険者稼業へと旅立って行くから、今回のように全員揃って長期不在にしているのは久方ぶりのことだった。
 その彼らが大仕事をひとつ終え、直に帰ってくるという。
「やっと活気が戻ってくるねえ」
 ケイムゲイムは笑った。

 ケイムゲイムとツェルフアレンはともしび邸の家守として雇われた。
 なにかと留守がちな彼らに代わり、せっかくの家が傷まぬよう管理してほしい、というのが彼らの第一の要望だった。なにしろ一旦発つと長くなることが多いので。戻るたび家具はほこりをたっぷり被り、天井には蜘蛛がせっせと張った巣が光り、おまけに湿気た空気が家中に淀んでいる──というのが、この家が建てられたばかりの頃の日常茶飯事だったようだ。

 ケイムゲイムはまず二階へと赴いた。二階の半分はイェンが持ち込んだ蔵書でちょっとした書庫になっており、その奥には女性陣の私室がある。
 今日のラベンダーベッドは朝から朗らかに晴れていた。しんと静まりかえる書庫にも柔らかな陽が射し込み、人気がなく物寂しい空気もいくらか和らいでいるように思えた。
 風を通すために開放していた窓を閉め、書庫の清掃が行き届いているかぐるりと確認すると、次に淑女たち・・・・の私室をひとつひとつ覗いてまわる。
 ともしび邸には、留守中に部屋の掃除を希望する者は扉を開放しておくというルールがあった。だが出掛けに部屋の掃除を頼むつもりが忘れたまま出発してしまうことも多く、状況によってはその後リンクパールで連絡がつかないこともある。ケイムゲイムとしても、頼まれもせず私室に踏み込んで掃除するのは憚れ、その結果生まれたのがこのルールだった。今回は全員が扉を開け放っている。
 部屋の掃除に抜かりはないか、ベッドのシーツは洗い立てのものと間違いなく替えてあるか、そう広くはない各私室をざっと確認し、階下に戻る。


 階段を下りきった奥には男性陣と夫妻の私室があり、左手には先ほどまで寛いでいた台所と居間がある。彼らの私室も同じように確認を済ませると、ケイムゲイムは台所へ向かった。居間と台所は毎日使う場所だから、わざわざ注意するまでもなく掃除は行き届いている。
 台所の棚を開け、ケイムゲイムは食料の在庫を確認する。食材は何日か前から少しずつ買い足してあった。
 彼らは自分たちの予定が乱れがちであることをよく自覚していた。帰還が予定よりもずれ込むことも間々あり、かと思えばあっさり用事が済んで早々に帰還することもある。だからこそ彼らは夫妻にこまめな連絡を入れてくれる。今回もその連絡を頼りに数日前から少しずつ食料を買い足していたのだった。
 食事の献立は既に決まっていた。ケイムゲイムが得意とするポットパイだ。棚から食材を引っ張り出しながら、ケイムゲイムはリムサ・ロミンサに住んでいた頃を思い出して微笑んだ。
 彼らはケイムゲイムが料理番として働く食堂の常連客だった。美味しいだけでなく量が多いのが良い、と海都に滞在する間は足繁く通ってくれたものだ。
 彼らがその日の腹ごしらえにあの食堂を選んだのは全くの気まぐれだったようだが、ケイムゲイムは彼らの中に知った顔を見つけた。若者を中心に構成された一行の中でひときわ年若いララフェル族の少女──風変わりな戦化粧が深い印象を残していた──は、ほんの数日前に足が不自由な夫を助け支え家まで付き添ってくれた子だったからだ。
 その少女──ヴァヴァロも目を丸々とさせて偶然の再会に驚き、そして喜んでくれたものだ。あれこれと言葉を交わすうちに打ち解け、以後、ケイムゲイムの働く食堂は彼らの馴染みの店になった。
 夫妻に家守を頼んだ彼らの第二の要望は、食事の世話を頼みたいというものだった。
 旅先で野営をするから調理ができないわけではないが、もし誰かが温かな料理を用意して帰りを待っていてくれるなら、これほど嬉しいことはないと。
 実際、彼らはケイムゲイムの料理を「おいしい、おいしい」と喜んで食べるので作り甲斐があった。越してきた当初こそ海都と森都で手に入る食材の違いに戸惑ったが、今では居住区内に暮らす人々とも交流が増え、グリダニア料理のレパートリーもそれなりに増えた。森都で入手が難しい食材についても彼らが旅先で積極的に仕入れてきてくれるから、料理の幅は食堂で働いていた時よりも広がっている。ケイムゲイムはこの仕事を気に入っていた。唯一残念なことがあるとすれば、請い願われたわりに料理を振る舞う機会が少ないことだった。
「ああ、お酒がないか」
 棚に残った酒瓶を小さく揺らしてみると、わずかな量しか残っていなかった。
 夫妻はほとんど酒を飲まないが、ひと仕事終えて帰ってくる若者たちは酒類を恋しがるかもしれない。ケイムゲイムは軽く台所を片付けると、カゴと財布を手に家を後にした。

 ほかにもいくつか思いついた物を商店街で買い、坂道を下って戻るケイムゲイムの耳に整然と指示を出す声が届いた。冒険者たちの話し振りとは違うから双蛇党だろうかと首を傾げた。日頃から双蛇党の兵がラベンダーベッド内を警らしているが、声の調子が平時のそれとは異なるようだ。不思議に思い声のほうへ様子を窺いに行くと、驚くことに双蛇党の兵たちが一軒の家を物々しい様子で出入りしている。
「何事ですか。なにか事件でも?」
 顔馴染みの双蛇党兵を見つけ、ケイムゲイムは思わず声をかけた。相手もこちらを認め、苦いものが浮かぶ瞳で家を見上げる。
「こちらの家を所有していたフリーカンパニーの構成員、全員の死亡が確認されました。旅先で不運があったようで。今は屋内の状況を確認中です」
「そんな」
 ケイムゲイムは思わず言葉を失った。
 この家の住人たちと特段に交流があったわけではないが、庭で談笑する姿や訓練に励む姿は幾度も目にしていた。居住区内ですれ違えば声をかけ合うこともあったから動揺が隠せない。
「ご苦労様です」と双蛇党兵に声をかけ、主をなくした家に黙祷を捧げると、ケイムゲイムはその場を立ち去った。まっすぐに家に戻る気にならず、坂を下りきってヤイヌ・パーの円庭にあるベンチのひとつに腰を下ろした。


 ぼんやりと見上げる黒衣森の空は清々しく晴れ渡っていた。こんな心境でなければ、うららかな陽射しとそよ風を肌に気持ちよく感じていただろう。
 動揺が去った胸中に浮かんだのは、今まさに帰りを待っている彼らの顔だった。
 ──ケイムゲイムとツェルフアレンはともしび邸の家守として雇われている。彼らと夫妻は契約に基づいて雇用関係を結んでおり、彼らが必要としなくなればそこで終了する関係性だ。だというのに、彼らは自分たちが雇い主であることなどまるで意識をしていないようで、居丈高な態度を取ったことも、無理難題を押し付けてきたこともない。
 食堂の常連客から雇用主になるとあって、接し方を正す必要があるだろうと緊張しながらラベンダーベッドに越してきた夫妻が拍子抜けし、そして肩の力を抜くのにそう時間はかからなかった。ひとつ屋根の下で共に暮らしあれこれと彼らの世話を焼くので、若い彼らを我が子のように感じることさえある。
 それだけに、その命が不意に失われる恐れが脳裏を掠めひどく物憂げな気分にさせられた。
 ──冒険者とはそういう稼業なのだ。戦いと隣り合わせである限り、絶対の安全とはほど遠い。
 皆とても良い子だ。自然と似た者どうしが寄り集まったのだろう。大らかで人当たりがよく、親切心を持った若者たちばかりだ。
 努力を厭わず日々武を磨いているから、そう滅多なこともないだろう。こうして居住区に家を構えられるほどフリーカンパニーとしての実績も着実に積み重ねている。それだけ経験も豊富なはずだ。
 彼らが冒険に出るのを引き止める気など毛頭ない。それは海に生き海に死ぬ漁師を無理やり陸に繋ぎ止めるような愚行であり、出過ぎた行為だと理解しているつもりだ。もともと遠洋漁業の漁師だった夫の帰りを独り街で待つ日々を過ごしてきた。どれほど備えても時の運がたやすく人の命を奪ってしまうことなど、身に沁みついて理解している。
 それでも──だからこそ、彼らの命が不意に失われてもおかしくはないのだと、共に過ごす時間が増えるほど不安を覚える時がある。
「ケイムゲイム」
 呼び声にケイムゲイムははっと顔を上げた。慌てて声の方を向くと、夫のツェルフアレンが荷物を背負ったまま怪訝そうに立っていた。
「ああ、戻ってきたのかい。おかえり」
「どうした。こんなところで」
 ツェルフアレンは妻の横に座り、荷を地面に下ろした。音からして中身はシャードだろう。彼らの帰宅に備え、ツェルフアレンは朝からグリダニアへ買い出しに向かっていた。生活のあらゆる面で使われるシャードは、ともしび邸に人が戻ると見る間に備蓄が減ってしまうのだ。
 ケイムゲイムは視線を膝に落とした。
「ちょっとね。あんた、覚えてるかい。若草商店街から坂を下った中腹の家に住んでいた子たちのこと。いつも四人組で仲良くしていた子たちがいただろう」
 ケイムゲイムの言葉にツェルフアレンは思い出すように考え込み、頷いた。
「その子たちがね……。旅先で亡くなったっていうんだよ。それで双蛇党の人らが彼らの家を調べているみたいでね」
 ツェルフアレンは目を見開き、それで、と呟いた。
「桟橋にやけに船が停まっていたのはそれか……」
 苦々しげに言う夫に頷き、ケイムゲイムは空を仰ぐ。
「どうにも気の毒で堪らなくてねぇ。そう話したことはなかったけど、亡くなったと聞くと……」
「そうだな……」
 それに、とケイムゲイムは息を吐いた。
「もしあの子たちが帰ってこなかったら、なんて、つい不吉なことも考えちまってね。いけないねえ。もうじき帰ってくるって連絡をもらったばかりなのに」
「珍しいな。お前がそんなに気落ちするなんて」
 力なく笑う妻の背をツェルフアレンは軽く叩いた。手つきは不器用だが、気遣う調子が手指の感触にこもっていた。海賊と荒くれ者が闊歩する海都で育ったケイムゲイムは本来、豪快で闊達な女性だ。その妻のいつになく物憂げな横顔に、ツェルフアレンは黙って寄り添った。
「しばらくあの子たちの顔を見ていなかったからかね。柄にもなくしんみりしちまったよ。──さあ」
 ケイムゲイムは気を取り直そうと強く膝を叩いた。
「こんなところで油売ってないで、食事の支度をしないとね。きっとお腹を空かせて帰ってくるだろうから」
「そうだな」
 笑顔を作る妻にツェルフアレンも口数少なく応えた。
 右足が不自由なツェルフアレンに歩幅を合わせ、二人はゆっくりと家に続く道を歩いていく。ツェルフアレンは漁で足を怪我して以来、こうして右足を引きずって歩いている。海に戻れない事実に塞ぎ込んでいた時期もあったが、いまでは機能回復訓練に取り組む意欲も取り戻し、こうして体に負担をかけない範囲で彼らの冒険を助けていた。

「──猫?」
 食事の支度をしながら、ケイムゲイムは夫の言葉に顔を上げた。
 今日のツェルフアレンはよく喋った。寡黙な夫がこれほど喋るのは珍しい。気落ちしていた自分を励まそうとしているのが一目瞭然で、ケイムゲイムは笑みを噛み殺した。そんなに心配させてしまったかと申し訳なく思うと同時に、なんとか会話を続けようとする夫が愛おしく、ありがたかった。
 顔が綻びそうになっている妻には気づかず、ツェルフアレンは買い出してきた荷物を仕分けながら話を続ける。
「街に行くと決まって寄ってくる三毛猫がいてな。腹を空かせているようだから会うたびに釣れた雑魚やら餌をやっていたらずいぶん懐かれて」
「へえ」
 猫は船乗りにとって親しい動物だ。口には出さないがツェルフアレンも猫を好んでいる。いまも話しながら目元が和んでいた。
「──うん? もしかして、その猫を飼いたいってはなしかい?」
 思い至ってそう尋ねると、あながち見当はずれではないようだった。
 それがな、とツェルフアレンは仕分けする手を止めた。
「いい食いっぷりだからどんどん餌をやっていたら、これがまあ、見事な太りぶりで」
「野良猫なのに?」
「そうなんだ。餌をやっていたのはワシなんだが、さすがにあれほど肥えていては野良で生きていくのは難しいんじゃないかと思ってな」
「責任を感じてるってわけかい」
 そうなんだ、と決まりが悪そうに頭を掻く夫にケイムゲイムは声を立てて笑う。
「そういうことなら、あの子たちが帰ってきた時に聞いてごらんよ。私も猫は好きだから、反対はしないよ」
「う、うむ。そうだな。相談してみるか……」
 照れ臭そうな夫と笑い合っていると、とたとたと賑やかな足音が夫妻の耳に飛び込んでくる。
「ああ、噂をすれば、だ」
「ただいまー!」
 火が消えたような静寂に包まれていたともしび邸は、これから何日かは活気に溢れるだろう。目が回るような忙しさの到来を想像し、ケイムゲイムは気合を入れるように袖を捲り、元気よく飛び込んできた一行に破顔した。
「──おかえり! さあ、まずは旅の汚れを落としといで」

 


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冒険者の家を管理するルガディン夫婦のおはなし。

Sハウスを勝手に2階・1階・地下1階の3階構成で妄想してます。

人が住まない家は傷むぞ。誰も帰ってこないおうちは寂しいぞ。

冒険者たちが長期不在の時は自分たちのことしかやることがないので、たぶん日雇いとか短期で街に繰り出して働いてると思われる。

ずっと続きが止まっている「蓮華遊子」の後日談にしようと思っていたけど再開は三億年後くらいになりそうなので諦めて先に書くことにしたのは内緒。

冒険者が帰ってこなくなった家は各国GCが諸々撤収させた後に再販売されるのかなーとかほにゃほにゃ。