蓮華遊子 – 08

「ヴァヴァロ、例の連中まだ街ん中うろついてっから気ぃつけな。おめーのこと逆恨みしてるっぽいからよ」
「例の連中?」
 酒場から出しなに言われ、ヴァヴァロをアルテュールを振り返った。
「テンメイの旦那に絡んでた奴らだよ。ほれ、二人組の」
「ああ、あいつら……」
「なに企んでんのかしらねーけど、柄の悪い連中とつるんでコソコソやってっからよ。ミッドナイト・デューの姉御にも伝えといたから、そうそう悪さはできねえだろうけど、まあ用心しな」
 言って、アルテュールはヴァヴァロの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「そっか……。わかった、ありがと」

 

 一足先に酒場を出ていたテンメイを追って煮炊きの広場にくると、広場にはすでに空腹を刺激する香りが漂っていた。
 ラウドジョクスや他のゴブリン族とともに立ち働くテンメイに駆け寄り、皆で支度を手伝った。思い思いに火を囲んで座り、久方ぶりに賑やかな食事時である。
「わ、おいしい」
「本当ね。これは東方の調味料を使っているのかしら」
 野営の時と同じく肉と野菜の煮込み料理ではあるが、酒と砂糖と、今度は味噌でなく醤油という東方の調味料を使用したという料理──すき焼きというらしい──に、ノギヤとファロロはほっと笑顔になる。
 市場の品揃えが想像以上に豊富で、故郷の調味料も入手できて腕が鳴ったのだ、とテンメイは口数が少ないながらも笑って話した。
「いいなあ、こういうの久しぶり。ケイムゲイムさんの料理を思い出すなあ」
 つゆを味わいながらノギヤは目を細めた。
「思えば最近、家に帰ってなかったわね。今回の件がひと段落したら、さすがに一度帰りましょうか」
「そーだね。ケイムゲイムさんにも、たまには帰ってこーいって言われちゃったし」
 そうね、とファロロは苦笑する。
「たまには自分の寝床で寝てえしなあ。久々に親父さんと酒を酌み交わしたいもんだね」
 アルテュールの言葉にヴァヴァロも笑って相槌を打つ。
 ラベンダーベッドの家を留守にして早幾日か。一度冒険に出ると一ヶ月、二ヶ月と家を空けてしまうこともあるし、だからこそ留守を預かってもらう意味でもケイムゲイムとその夫ツェルフアレンを雇用しているわけだが、夫妻が実の子のようにヴァヴァロたちの世話を焼いてくれるだけに、留守ばかりで時に申し訳なく感じるのだ。
 最近では銘々で行動することも増えたから、なかなか全員で揃って食卓を囲む機会もない。冒険者らしく世界を駆け回っているからこそではあるが、おかげでせっかくの家はがらんとしていることも多かった。いつでも無事の帰りを待っていてくれる人がいると思うと、やはり時々は帰らなければ、と皆一様に思いを馳せた。
 ぼんやりとラベンダーベッドの我が家を想っていたヴァヴァロは、ふと視線を向けた先に、依然として座り込んでいるチャ・ケビの姿を見つけた。
「あ、ケビちゃ──」
 小さくうずくまったチャ・ケビの姿が胸に痛く、立ち上がって声をかけようとした時だった。
 押しとどめられ、驚いて振り返るとテンメイだった。座っているよう目でヴァヴァロに促し、チャ・ケビのもとに行く。
 遠目に見守っていると、困惑した様子のチャ・ケビの背を優しく押しながらテンメイが戻ってくる。消沈した様子のチャ・ケビをヴァヴァロは隣に招いた。
 テンメイから椀を受け取り、困ったように椀を見下ろしていたチャ・ケビは、テンメイとヴァヴァロの顔を見比べた。
「ケビちゃん、おいしいよ。食べてごらんよ」
「う、うん」
 沈んだ表情のままチャ・ケビはつゆを口にし、少し驚いたように目を瞬かせた。
「変わった味だね。でも、おいしい」
 でしょ、とヴァヴァロが笑うと、ようやくチャ・ケビの顔にも微笑みが戻った。
 温かいものを口にして食欲もわいてきたのか、少しずつ具材も口にし始める。ヴァヴァロもほっとし、目が合ったテンメイと笑みを交わした。
「お、なんだ、賑わってるな。ご一緒してもいいかね」
 道行く人々が立ち止まり、次第に一人、二人と輪に加わっていく。
 ペイルライダー討伐に集ったモブハンターの一派も食糧を片手に合流し、広場はいっそうの賑わいをみせた。
「今夜はとっても 賑やかね~。料理の腕が 鳴っちゃうわ~。ほかほかごはんは 元気の源。皆で一緒に 食べましょう~」
 差し入れられた食材を手にうきうきと調理台に向かうラウドジョクスをテンメイが慌てて追いかけた。
 ゴブリン族は時に人には理解しがたい調味料を使うことがあるから、それを止めるためかフォローするために追いかけたのだろう。ヴァヴァロは苦笑してその背を見送った。
 いったい誰が持ち込んだのか、いつの間にか酒も振舞われていた。アルテュールがご機嫌に歌っている。
「あーあー、明日には出発なのに」
 酒の入った大人たちが勝手に盛り上がっていて、ヴァヴァロはやれやれと肩をすくめた。
 すっかり夜の帳も下り、空には星月が輝いていた。焚火の周りを陽気な笑い声が包み、これはこれで、出発前夜の光景として嫌いではないけれど、とヴァヴァロは苦笑する。
「興が乗ってきたな。どれ、久方ぶりに舞でも披露してみようかの」
「お、いいねー!」
 ノギヤに囃し立てられながら、バドマがアルテュールの歌の調子に合わせて焚火の周りで舞い始めた。
 力強くしなやかに舞うバドマの黒い鱗が火に照らされ、ちらちらと輝く。くるりくるりとひらめく髪は金とも銀ともつかぬ月光のよう、黄昏時の色をした瞳は炎を映しあでやかに煌めいていた。
 肢体を惜しみなく使って舞うバドマにすっかり見惚れてしまったヴァヴァロは、しばらく彼女の舞にぼうっと見入っていた。
 ふと隣に気配を感じて視線をやると、調理を終えたテンメイが腰を下ろしたところだった。ヴァヴァロの視線に気付かず、テンメイはバドマが舞う姿を見つめている。じっと妻に見入るその横顔に声をかけるのは憚られた。彼の視線がいままでになく熱っぽく見えるのは、火に照らされた白い鱗が色を帯びて見えるからだろうか、それとも。
 ヴァヴァロは意外なものを見た気がして、むずかゆい気分になる。そっと視線をバドマに戻した。
 アルテュールの歌とバドマの舞につられて歌い出す人、踊り出す人が一人、二人と増え始め、広場はすっかり酒宴の様相を呈してきた。
 バドマと一緒に踊り出したノギヤ、それを眺めて楽しむファロロやエミリア。ヴァヴァロも歌に合わせてトントンと膝を叩いて楽しむ。
 すっかり満腹になり、勧められた酒を断りながらくつろいでいるところに──ヴァヴァロはまだ未成年だ──リンクシェルの通信が入った。
「ちょっと外しますね」
 頷くテンメイと、うつらうつらとし始めていたチャ・ケビを残し、ヴァヴァロは酒宴の喧騒を離れた。
 通信は自警団からのものだった。巡邏中の低地ドラヴァニアに特段の異常はないが、ヴァヴァロたちが感じたような違和感──何某かの気配をうっすら感じるという。あまりに曖昧な気配で気のせいとも思えるが、充分に警戒して巡邏にあたり、ペイルライダーを発見したらすぐに連絡を入れる、という報告だった。
 労いの言葉を交わして通信を終えたヴァヴァロは、遠巻きに酒宴を見守る人影に気がついた。
 酒宴に参加したいのだろうか、声をかけようかと数歩近づき、ヴァヴァロは足を止めた。
「あいつら……」
 ヴァヴァロたちがバドマ、テンメイと出会ったその日、テンメイに一方的に絡んでいた男たちだった。
 ヴァヴァロに気がつくと、男たちはそそくさと去っていった。その背を睨んで見送り、ヴァヴァロは自分の場所に戻る。
「なにか問題でも?」
 テンメイに尋ねられ、ヴァヴァロは首を振る。
「いえ、自警団からの通信でした。奇妙な気配は感じるらしいんですけど、ペイルライダーの姿はまだ確認できないみたいです」
 そうか、と頷いたテンメイの横で、眠そうなチャ・ケビが首を傾げた。
「ペイルライダー……?」
「今あたしたちが追ってるリスキーモブのことなんだ。自警団で交代で巡邏してるんだけど……」
 言いさして、ヴァヴァロはしまった、と慌てて口を噤んだ。
「リスキー……モブ……」
 チャ・ケビが小さく呟く。
 幼い横顔に悲しいものが浮かんで、ヴァヴァロは自分の迂闊さに唇を噛んだ。かける言葉が咄嗟に見当たらず、少女の横でおろおろしてしまう。
 テンメイが膝を抱えるチャ・ケビの肩を優しく叩いた。
「さあ、そろそろおやすみ。家まで送っていこう」

 

 酒宴──結局、酒盛りになってしまった──から一夜明け、低地ドラヴァニアは好天に恵まれていた。
 身支度を整え戦化粧も描き直すと、まだ眠いとぐずる相棒を叩き起こし、バドマたちと合流した。
「もし不便なことがあったら、ミッドナイト・デューさんを頼ってください。イディルシャイアで人のまとめ役をやっている人なので、困ったことがあれば助けてくれるはずです」
 テンメイは頷く。当初の予定通り、テンメイは街に残ることになった。
「怪我人に備えて、治療の備えをして待っている。……武運長久を祈る」
「ありがとうございます。じゃあバドマさん、行きましょう」
「テンメイと話があるゆえ、先に行っていてもらえるか」
 ヴァヴァロはこだわりなく頷いた。
「門のところで待ってますね」
 小走りに門に向かうヴァヴァロの背を見送って、バドマは微笑んだ。
「のう、テンメイや。妾たちが子を授かったら、あのように素直で元気な子に育ってほしいとは思わぬか」
 妻の言葉にテンメイも目を細めた。
「そうだな」
 ところで、とバドマは咳払いをする。自分よりぐっと上背のある夫の顔を、腰に手を当てて見上げた。
「よいか。妾はしばらく留守にするゆえ、まかり間違っても危険な場所に独りで赴くでないぞ。街で大人しくしておるようにな」
 テンメイは肩を竦める。
「人をいくつだと思っているんだ……」
「心配しておるのじゃ。一人の時にまた悪漢に絡まれたらどうするつもりじゃ。また相手が飽きるまで無抵抗を続けるつもりか? 仁の心に厚いのは結構じゃが、それも過ぎれば卑屈なだけじゃぞ。無事に狩りを終えて戻ってみれば残した夫が負傷していた、など笑い話にもならん」
「わかったわかった。いいから、もう行ってこい」
 言い募る妻をなだめ、押し出そうとするが、バドマはまだ離れなかった。
「では、ほれ」
 言って、バドマは首を傾げて角を差し出す。
「戦いに赴く妻を鼓舞してくりゃれ」
 目を瞬かせる夫に、バドマはちらりと笑ってみせる。
 妻の意図に気がついて、テンメイは頬を赤らめた。
「……人目があるだろう」
「相変わらず奥床しいのう。いいから、ほーれ」
 いつになくおねだりをされ、テンメイはすっかり動揺してしまう。
 やがて覚悟を決めたようにバドマの肩を優しく掴むと、黒い角に自身の白い角をそっと擦り付けた。
「では、行って参るぞ」
 すっかり上機嫌のバドマに、テンメイは重く頷く。
「……気をつけて」
「安心して吉報を待て」
 頼もしい笑みで狩りへ旅立つ妻の姿を、テンメイは見えなくなるまで見送った。

 

 門の下でバドマを待っていたヴァヴァロは、夫妻が角を擦り合わせる様子を遠目にきょとんと眺めていた。
 スキンシップの一種なのだろうと察しはつくが、一体なんだろう、と首を傾げる。
「なんだかんだで、仲良しなんだろうなあ……」
 喧嘩するほどなんとやらというやつかしら、と思ってるうちにバドマが追いついてくる。
「待たせたな」
「いえ。行きましょう」
「そなたの努力が実を結ぶ時がきたな。ねぐらも移さずのうのうと大地を荒らし回った騎士の命、頂戴しに参ろうではないか」
 バドマの太い笑みに、ヴァヴァロも強く頷いた。
「はい!」

 


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