蓮華遊子 – 03

「──ほら、もう大丈夫」
 表紙橋を越え、学士街へ差し掛かろうかというところで、一行はいきなり魔物退治に奔走する羽目になった。
 イディルシャイアに戻ろうとしていたトレジャーハンターが魔物と遭遇したらしく、あわや捕食されようかというところに居合わせたのだ。
「いやあ、助かったよ。今回ばっかりはマジでダメかと思ったぜ」
 先ほどまでの情けない顔はどこへやら。救助されてすっかり気が緩んだのか、トレジャーハンターは地面にへたり込んだまま、締まりのない顔で笑う。──ヴァヴァロが彼を助けるのは、実のところ、二度目であった。
「もう! だから前回あんなにいったでしょ! また襲われてても、次は助けてあげないからねっ!」
 いまいち反省が感じられない彼の言葉に、ヴァヴァロは地団駄を踏む。こうして無謀な人間の救出に奔走する度、ペイルライダーの捜索が遅れていくのだ。魔物とやり合うだけの力量がないのなら、せめて彼らの目を躱す慎重さを身につけてほしいものだ、と思わずにはいられないヴァヴァロである。
「もう、無茶して死んじゃったら元も子もないのに! なんであんなに向こう見ずかなー!」
 トレジャーハンターを表紙橋まで送り届け、その背を見送ると、ヴァヴァロは唇を尖らせた。
 結局、前進したかと思えば後退するという、幸先の悪い捜索開始になってしまった。
「なーに言ってんだ。おめーだってちょっと前までは同じようなもんだったろ」
 肩を竦めて言うアルテュールをヴァヴァロは振り仰いだ。
「あたしはもっとしっかりしてたよ! ひとりで無茶して危なかったことなんて……ほ、ほとんどないし、魔物に感づかれるなんてドジ踏んだことも……ほとんどないし……ましてや振りきれないなんてことも──な、ないよっ!」
 若干しどろもどろになりながらも──実際かなり見栄の入った主張をするヴァヴァロに、アルテュールは人が悪い笑みを浮かべる。
「へーへー。すぐに泣きべそかいてたヴァヴァロちゃんが、成長しまちたねー」
「なんでいま言うのー!?」
 仲間内ならまだしも──仲間内でも、だが──組んだばかりの人物の前で、昔の醜態を暴露されるのは恥ずかしい。
 アルテュールに拳をぽかぽかぶつけるヴァヴァロを見て、バドマとテンメイは顔を見合わせ、そして軽く吹き出した。
「ほ、ほんとですよぉ!」
 半ば涙目のヴァヴァロをよそに、大人たちはつい、和んでしまうのだった。

 

「朽ちた街並みというのはうら寂しいものじゃな……」
 気を取り直してシャーレアン学士街へと向かった一行は、住む者の去った街路を警戒しながら進んでいった。
 手入れする者もいないため、かつては栄えていたであろう街並みも、いまや廃れて久しい。
 バドマは周囲を見渡しながら、しんみりと呟いた。その横を歩きながら、ヴァヴァロもまた頷く。
「立派な建物ばっかりなのに、住む人がいないのはもったいないなって、よく思います」
「ほんに。これほど水に恵まれて、しかも気候のよい土地柄だそうではないか。シャーレアンの者というのは、随分と思い切ったことをする者どもよの」
「シャーレアンの人たちが撤退したから、あたしたちがイディルシャイアを活動拠点にできてもいるんですけどね」
「万事は移ろいゆくということじゃな」
 そうですね、と笑ってから、ヴァヴァロは首を傾げながらバドマを見上げた。
「バドマさんは、旅に出る前はどんな暮らしをしていたんですか?」
「旅に出る前か。──旅をしておったな」
 きょとんとしたヴァヴァロに、バドマはちらりと笑ってみせた。
「妾が生まれ育った一族は、定住して暮らすことはせぬのじゃ。家畜を放牧し、獲物を追い、季節とともに草原を巡って暮らしておった」
「ええと、遊牧民ってやつですか?」
「街の者は我々をそう呼ぶようじゃな」
「テンメイさんも?」
「奴は街の者じゃ。今は旅の身であるがの」
「へええ」
 ヴァヴァロはアルテュールと二人、後方で周囲を警戒しながら歩くテンメイを振り返った。
 白い鱗と黒い鱗。街の民と遊牧の民。
 種族違いの婚姻も今では珍しくないと聞くが、この一見、不仲にさえ見える夫婦がいかにして契りを結んだか、好奇心をくすぐられるヴァヴァロである。
「ヴァヴァロ、そっちはどうだ」
「んー、影も形もなーし」
 見晴らしの良い場所まで来ると、崩れて登りやすくなった塀に登り、ヴァヴァロはぐるりと辺り一帯を見渡した。
 見渡す限り廃墟の街並み、サリャク河の豊かな水の流れ、そしてのんびりと空を漂う雲。なんとも長閑な景色が広がっているだけだった。
 ひとつため息をつくと、ヴァヴァロは軽い身のこなしで塀から飛び降りた。
「山のほうに潜んでんのかねぇ」
「昼間は寝てるのかなぁ」
「どうだ、旦那。なにか感じねぇか?」
 アルテュールに問われ、テンメイは耳を──否、角を澄ますように瞑目した。
 しばし瞑想するように黙り込んでいたが、やがて諦めるように首を横に振った。
「……なにも」
「うーん、やっぱり夜に集中して張り込んだほうがいいのかなあ」
「これまでに夜の巡回は?」
 バドマの問いに、ヴァヴァロとアルテュールは顔を見合わせた。
「何度か。でも日中と変わりなくて」
 言いながらヴァヴァロは肩を落とす。人手も増えたこともあり、今夜は初めから張り込む心積もりで荷も整えてきたが、正直、昼にしろ夜にしろ、これまで手応えはなかったのだ。たまたま運が悪く発見できないだけなのか、それとも亡霊騎士の習性によるものなのかは分からない。今日のような救出劇で捜索を中断せざるを得ない状況も多く、低地ドラヴァニアの奥地まで巡回がままならないのも、捜索が進まない大きな理由だった。
 今日はそもそも、捜索に繰り出すのが遅かった。太陽は徐々に西へと傾き始めている。
 ひとつため息を吐いてから、ヴァヴァロは三人の顔を見やった。
「……うん。ここからは二手に分かれて巡回ルートを確認しよう。でも今日はできるだけ急いで奥地に向かって、夜は交代で周囲を見張ろう。夜が明けたら、巡回できなかった場所を確認して街に戻る。それでどうでしょう」
 最後はバドマとテンメイに尋ねる。二人は顔を見合わせると、すぐに頷いた。
「異存はないな」
「よし、じゃあここからは手分けして行きましょう。アルテュール、テンメイさんと一緒に南をお願い。橋のところで合流しよう。バドマさんはあたしと一緒に。明日はお互い逆のルートを巡回しながら街に戻ろう。──じゃあ、また後で」

 

「すごいなぁ……」
 北回りの道を足早に巡回していると、急に息を潜めるようバドマに指示され、ヴァヴァロは緊張して身構えた。探し求めていた獲物か、そうでなければ野盗との遭遇を予期したからだ。
 しかしバドマが示す先にいたのは、丸々と太った鳥、コカトリスだった。弓を構えたヴァヴァロを制し、バドマは数歩、コカトリスに忍び寄ると、強烈無比な弓の一撃でコカトリスを仕留めた。
 あまりに鮮やかな狩りに、ヴァヴァロは思わず感嘆のため息を吐いてしまう。
 バドマは仕留めたコカトリスの処理を手早く始めながら、こともなげに笑ってみせた。
「妾の育った部族では、この程度の獲物も狩れぬようでは笑い者になるな」
「へええ」
 ただただ羨望の眼差しを向けてくるヴァヴァロに気がつき、バドマは笑って言葉を付け加える。
「妾が生まれ育った一族はダズカル族と言ってな。狩りの腕に関しては、他の部族に引けを取らぬと自負しておる。幼い頃より弓を手に育ち、馬を駆り草原を巡って暮らしてきた。弓の腕が立たぬ女は一人としておらぬ」
 ヴァヴァロは首を傾げた。
「女の人だけ……なんですか?」
「ダズカルでは女が狩りをし、男が家を守るな。どうも他の部族や地域では違うようじゃが」
「たしかに、あまり聞かないかも……」
 バドマは軽く苦笑する。
「妾が旅に出て一番驚いたのは、女が家を守り、男が外で働いていたことじゃ。確かに市に行けば男たちが働いておったから、頭ではわかっていたつもりなのじゃが。まさかどの土地を訪れても男女の役割が逆転しているとは思わなかったの」
「へえ……」
 アウラ族、なかでも黒い鱗のゼラたちは一風変わった風習を持つ部族が多いと、噂で聞いたことはあったが、実際にゼラの者から話を聞くのは、これが初めてだった。
「それでテンメイさんに──」
「うん?」
「えーと、男らしく接するんだなって」
 まるで亭主関白のように──と、思ったままの言葉が口を衝いて出そうになり、ヴァヴァロは慌てて言い直した。
 ヴァヴァロの言葉に、バドマは苦笑を濃くする。
「男らしいか。そう言われるのにはいまだに慣れぬが、褒められたようじゃな?」
「あっ、えーとこれは、嫌味じゃなくて……」
 しまった、とヴァヴァロは慌てて手を振る。男女の役割が逆ということはつまり、自分たちとは言葉の意味も逆転しているのだろう。
「分かっておる。やれやれ、旅に出て長いが、身に染み付いた慣習はなかなか抜けぬのう」
「ダズカルで男らしい人って、どんなふうなんですか?」
 おずおずと尋ねると、バドマはふむ、と考えるようにした。
「概ねこちらの者たちが女らしい、と評する人柄とそう変わらないであろうな。控えめで慈悲深く、細やかな気遣いができ、妻と子をよく支え、働き者であることが良いとされる。移動以外では天幕から出ないのが普通ゆえ、不必要に天幕の外をうろつく男ははしたない、と叱られる」
「は、はしたない……」
 アウラ族の女性は総じて華奢な外見をしている。対する男性は総じて上背があり立派な体躯の者が多く、同じ種族でありながら男女の差が大きい。そんな逞しい外見の男性がせっせと炊事や洗濯をし、華奢な女性ばかりが狩りに出る光景を想像すると、微笑ましいような混乱するような、ヴァヴァロはえも言われぬ気持ちになる。
「じゃあ、女らしい人は……?」
「これもこの地域の男と大差ないであろうな。女、つまり妻となる者は一家の柱じゃ。勇猛果敢で決断力に優れ、広い視野で物事を見通し、一家や一族をより良き明日へと導くこと。夫と子を養い、飢餓や病気、災厄から守れる者が、ダズカルでは立派な女とされる」
 なるほど、と呟いて、ヴァヴァロは頭の中で情報を整理する。バドマとテンメイの有り様に困惑していたが、これで合点がいった。
 つまるところヴァヴァロの常識で表現すれば、バドマが夫で、テンメイが妻なのだ。それにしても亭主関白気味なことには変わりないような気がするのは、それが単にバドマの性格なのか、ダズカル族の特徴なのかは、さすがに恐れ多くて聞けなかった。
 同時にアウラ族の外見の印象にかなり先入観を抱いていた自分に気がつき、世界は広いのだな、などと思うヴァヴァロである。
「どうもこのはなしをすると驚かれることが多いな。やはりこの地域の者たちとは男女の概念がかけ離れておるか?」
 なにやら考え込んでいるヴァヴァロに苦笑しながら、バドマはコカトリスの血抜きを済ませると、手早く内臓の処理を始めた。
 それを手伝いながら、ヴァヴァロは思い浮かんだ気持ちをなんとか言葉にしようとする。
「んっと、あたしもあんまり詳しくないんですけど、聞いた限りだと、ひんがしの国の人たちの男女観に近いのかなって」
「ああ、それはそうかもしれぬな。確かにこちらの──エオルゼアの人々というよりは、ひんがしのそれに近いかもしれぬ」
 バドマの話を聞く限り、二人の夫婦としてのあり方は、噂に聞く東方の夫婦関係に近いように感じた。もっとも、本当に噂でしか東方の男女のあり方は知らないのだが。
「さて、夕餉の獲物も得たことだ。先を急ごうではないか」
「はぁい。今夜はお肉か、やったね」
 ひとまず簡単な処理を終えたバドマが荷物を纏めるので、ヴァヴァロもそれに倣う。
 コカトリスの胸肉は、塩を擦り込み炙るだけでも美味な料理に変身する。味を想像しただけで口の中に唾液が溢れ、ヴァヴァロは思わず口元が緩んでしまう。
「あれ──でも」
 立ち上がりざま、ヴァヴァロはふと違和感を抱き、そして首を傾げた。
「どうした?」
「変だな、こんなところにコカトリスなんて。普段はもっと……」
 言いかけ、そして口を噤んだ。
 周囲を見渡し、いまやただの食材になったコカトリスを見た。
「気になることが?」
 バドマに怪訝そうに問われ、ヴァヴァロは首を横に振った。
「いえ、あたしの気にしすぎかも」
 言いながら、なおも首を傾げている少女の背をバドマは軽く叩く。
「……己の直感を信じてみよ。何か違和感があるのじゃな?」
 ヴァヴァロは困ったようにバドマは見上げた。バドマが頷いてくれたので、胸に浮かんだ違和感を言葉にしようと考え込む。
「……普段はもっと、水辺のあたりに生息してるんです。他の魔物もいるから、縄張りから外れたところで見かけることは滅多になくて。それで、変だなって……」
 ──そう、この近辺はコカトリスの縄張りではない。違和感の正体はそれだった。
 ひょっこり縄張りから出てきていたとも考えられるが、それにしても、遠出が過ぎるように感じられた。低地ドラヴァニアに生息する魔物も野生生物も、この大きな鳥だけではないのだ。他者の縄張りを侵せば、相応の末路が待っているはずだ。にも関わらず、これほど縄張りから離れた場所まで来ていた。たまたまやってこれたのか、それとも──
「縄張りからのこのこと這い出てきた呑気者か、それとも縄張りを追われ逃れてきたのか……」
 表情を険しくしたバドマを見上げ、ヴァヴァロも表情を硬くする。
 ──あるいはそもそも、低地ドラヴァニアに棲まう生き物たちの縄張りが、動いているのかもしれない。だとすれば、考えられる原因は限りなく少ない。
「……ペイルライダー?」
 強大な”なにか”が、この地に棲まう生き物たちを脅かしているのでは。
 確証を求めるようにバドマを見ると、バドマもまた頷いた。
「かもしれぬな。──さあ、行こう。テンメイたちと合流せねばなるまい」

 

 学士街を抜けた先、哲人街にある壊れた橋の袂で合流した四人は、浅い水辺──クイックスピル・デルタを一望できる場所で夜営を張った。
 出発が昼下がりだったこともあり、日が暮れる前に奥地まで到着できるか心配していたが、四人とも旅慣れているのが幸いし、太陽が残るうちに合流することができた。
 これでようやく、いつもと違う地点を見張れると、正直なところ、ヴァヴァロはかなりほっとしていた。
 ここまでの巡回での出来事を共有し、一行は警戒心を強めたが──なにはともあれ、休息は必要である。
「おいしい……!」
「う、うめぇ!」
 バドマが仕留めた新鮮な肉をテンメイが慣れた手つきで調理し、それがまた美味だったので、ヴァヴァロとアルテュールは感激していた。何しろ二人とも料理に疎い。野宿の時は携行食か、仕留めた獲物の肉をごく簡単に調理して、空腹を満たせれば充分。美味しい食事にありつきたければ、さっさとひと仕事終えて街に戻れ──というのが二人のやり方だったから、感激はひとしおだった。
 味噌と呼ぶらしい東方の調味料で煮込まれた肉と野菜──テンメイが街で仕入れていたらしい──は、少しこってりとしていながら妙にほっとする味で、一行の緊張を解すには充分すぎるほど温かかった。
「うむ、今夜の膳も美味じゃな」
 夫の料理にバドマも舌鼓を打つ。
「すごい。テンメイさん、料理が上手なんですね」
 夜営の支度をしながら横目でテンメイの作業を見ていたら、随分と色々な調味料を持ち歩いているようだから──やけに荷物が多いとは思っていた──、バドマはいつもこんなに美味しい料理を食しているのだろうかと、羨ましく感じるほどだ。
「俺ら二人だと味気ねーメシばっかだからな。おかわりが残ってたりは……」
「器を」
「アルテュールずるい! あ、あたしも……」
 あっという間に平らげた二人にちらりと笑い、テンメイは差し出された器を受け取る。
「妾ももう一杯もらおうかの」
 バドマも空になった器をテンメイに差し出した。二杯目を注いだ器を二人に戻しながら、テンメイは自分の番を待つ妻を一瞥した。
「自分で盛れ」
 素気無く言われ、バドマは一瞬、きょとんとした。
 すぐに拒否されたのだと気がつき、途端に顔を赤くする。
「つ、妻に奉仕するのは夫の務めであろう!」
「ダズカルの間ではな」
 言いながらテンメイが自分の器に二杯目を注ぐので、バドマはますます頬を熱くした。
「ええい、柄杓を貸せっ」
 テンメイの手から柄杓をもぎ取ると、バドマは乱暴な手つきで自分の器に料理を注ぐ。
 二人のやり取りに呆気に取られていたヴァヴァロだったが、妻の様子をちらりと見たテンメイがつんと目を逸らすのを見て、ふと昼間の出来事を思い出した。思えば二人は、衆目も憚らず、真昼間に夫婦喧嘩を繰り広げたばかりだ。
 ──ではこれは、もしかしてテンメイなりの意趣返しなのだろうか。
 思った途端にうっかり吹き出してしまう。
「これ、なにを笑っておる」
「な、なんでもないですっ」
 バドマに見咎められ、ヴァヴァロは慌てて手を振る。
 その様子を横目で見ていたテンメイが軽く笑ったのを見て、ヴァヴァロは確信を深め、再び吹き出しそうになるのを慌てて堪えた。
「バドマさんってこえーよな」
 ぷりぷりと食事するバドマを見て、同じく呆気に取られていたアルテュールがヴァヴァロに呟いた。
「あのね、バドマさんは……」
「聞こえておるぞ」
 ダズカル族は男女の役割が逆なのだ、とそっと教えようとしたヴァヴァロだったが、バドマに見咎められ、二人ともに慌てて口を噤むのだった。

 

 何や彼やと騒がしく過ごした後は、交代で見張りをしながら各々、眠りについた。
 ヴァヴァロも自分の番を終え、しばらくは眠りについていたが、夜の冷気にふと目覚めてしまう。
 しばらくは毛布に包まったまま横になっていたが、今の見張りが誰か気になり、重い瞼をなんとか開くと、軽く周囲に目線をやる。
 焚き火越しに広く大きな背中が見え、それがテンメイの後姿だと分かった。
 確認したことに安堵し、再び瞼を閉ざしたが、今度は妙に目が冴えてしまい、諦めて起き上がった。
 気配に気がついたテンメイが振り返った。相変わらず表情に乏しいその顔からは感情が読み取れなかったが、白い鱗と角が焚き火に照らされ、暖かそうな色味を帯びていた。
「テンメイさん、どうですか?」
 毛布に包まったままテンメイの横に立つ。
 テンメイは月明かりに照らされたクイックスピル・デルタに視線を戻し、再び瞑想するように瞑目した。
 ──アウラ族には他の種族のような耳がなく、角がその役割を果たしているという。
 なんとなく、テンメイが角に意識を集中しているのだろうと思い、ヴァヴァロはじっと息を潜めた。
 焚き火が風に揺れるたび、月明かりに落ちた二人の影がゆらりと揺れる。
「……かすかに……何かは感じる……」
「ほ、ほんとですか!?」
 ようやく口を開いたテンメイの言葉に、ヴァヴァロは目を見張った。
 慌てて周囲を見渡すが、ヴァヴァロには異形の”なにか”の姿も、気配さえも感じ取れない。
 さらに集中するように瞑目したテンメイだが、しばらくして諦めたようにため息を吐いた。
「……わからない。探しているものとは別の気配かもしれない……」
「やっぱり隠れてるだけで、この辺りにいるのかな……」
 ヴァヴァロの眼に映る光景は、いつもと変わりないものに思えた。
 日中の出来事もあり、もう少し目に見えた変化が発生しているのではと、期待していたのだけれど。
「……身を潜め、力を蓄えているのかもしれないな……」
 そうですね、とため息を吐いて、ヴァヴァロはテンメイの横に座った。夜空を見上げると、満ちかけた月が白々と輝いていた。
 風もないのに、妙に冷え込む夜だった。ヴァヴァロは毛布をかき合せる。手足の先が出ないよう、すっかり毛布に包まっているのに、それでも冷気は忍び寄ってきた。ぞろりと背筋が冷たくなる感覚に、ヴァヴァロは落ち着かない気分にさせられる。
 それからしばらく、テンメイの真似をして必死に意識を凝らしていたヴァヴァロはしかし、いつの間にかうつらうつらとし、気がつけばこてりと横になっていた。起き上がろうと必死に睡魔に抗ったものの、どうしても起き上がれず、ついに深い眠りへと滑落していった。
 微睡みのなかで最後に感じたのは、ふと微笑む気配と、優しく毛布に包まれ直す柔らかな感触だった。

 


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