蓮華遊子 – 02

「ここは奇妙な街じゃの。街並みは廃れておるが、随分と活気がある。人で溢れておるではないか」 
 食糧を求め、街を先導して歩き始めたヴァヴァロに続きながら、バドマは興味深そうに辺りを見渡していた。 
「こんなに人が増えたのは、けっこう最近なんですよ。少し前まではゴブリン族のほうが多かったんです」 
「ほう。あの面妖な覆面をつけた者たちか」 
 ヴァヴァロは頷く。 
「ゴブリン族って、もともと放浪の民なんですって。でもこの街のゴブリンたちは、シャーレアンの人たちに放棄されたこの土地に辿り着いて、ここを自分たちの街にしようって思い立ったらしくて。たまたま同じ頃にこのあたりの遺物に目をつけたトレジャーハンターたちと協力して、新しい都市としてイディルシャイアを創り始めたんです」 
「放浪の民が故郷を求めたわけか」 
「シャーレアン人の残した遺物もあるし、そこもガラクタいじりが好きなゴブリンたちには魅力的だったみたい」 
「なるほどのう。おや」 
 バドマは足を止め、一段と大きな天幕が張られた一画に目をやった。 
「あの一画はまた随分と賑わっておるようじゃな」 
「ああ、あそこは」 
 イディルシャイアにはエオルゼア各地から実に様々な人々が集まっている。 
 その多くは冒険者やトレジャーハンターだが、あらゆる分野の職人や、採掘師、園芸師といった人々も少なくなかった。なかには冒険者としての地の利を活かし、素材の採集から実際の製作まで全て一人でこなしてしまう、冒険者とは名ばかりの職人気質な者の姿もあった。 
 こうして多様な人々がこの地に集う理由のひとつに、いち早くイディルシャイアの発展性を察知した、ロウェナ商会の影響も小さくはないだろう。レブナンツトールを本拠にその勢力を拡大するロウェナ商会はいま、好事家向けの蒐集品買い取りを行っていた。その買い取り窓口がレブナンツトールだけでなくイディルシャイアにも開設され、利用しに訪れる者も多いのだ。そのほかにも最新鋭の武具や、一体どこから仕入れているのか、はたまたどう扱うのか謎めいた品々を多く取り扱うロウェナ商会は、イディルシャイアの目玉施設といっても過言ではなかった。
 ヴァヴァロが掻い摘んで説明すると、パドマは肩を竦める。
「商売人というのはほんに目敏いの。少しでも金の臭いがすると、どこへでも現れおる」
「ほんとに」 
「おや、書物も取り扱っておるのか」 

 バドマは商会のカウンターに陳列された書籍に惹かれたようだった。その横顔を見上げて、ヴァヴァロはアルテュールを振り返る。 
「アルテュール、先にごはんの買い足しお願い」 
「あいよ」 
 アルテュールはこだわりなく頷くと、テンメイを連れ立って先へ行く。 
「おお、すまぬな」 
「本がお好きなんですか?」 
 商会の天幕内が覗き込めるあたりまで案内しながら尋ねると、バドマは笑いながら首を横に振った。 
「妾は読まぬが、テンメイがな。なにしろ妾は読み書きが不得意での。あれはなんと書いてある?」 
 それなら彼も一緒に、とアルテュールたちを振り返ったヴァヴァロだったが、声をかけるには、その背はもう遠くなっていた。諦めて、ヴァヴァロはカウンターに並んだ書籍に目を向ける。 
「ええと、鉱物とか、植物の図鑑みたい」 
「ほう。それはよい。いかほどで買えるかの」 
「たぶん、お金では買えないんじゃないかなあ」 
 ロウェナ商会は物品の交換に金銭を用いないことが多い。いま二人が覗いている区画は好事家向けの品の蒐集窓口だから、指定された品を納品すれば、ロウェナ商会独自の貨幣と交換してくれる。それをかなりの数貯めると、やっと書籍やら道具やらと交換してもらえるのだ。 
 ほかにもアラグの遺物と交換に武具を取引できたりするのだが、それもまた要求される遺物の数が尋常ではなく、ヴァヴァロなどにしてみれば、到底手の出る代物ではなかった。 
「ふぅむ、残念じゃ。テンメイに買ってやりたかったのじゃが」 
 商会独自の取引方法を説明すると、バドマは陳列された書籍を前にため息をこぼした。 
「あの、テンメイさんはなにをしている方なんですか?」 
 名残惜しそうなバドマを連れ、アルテュールたちのもとへと向かいながら、ヴァヴァロは首を傾げた。 
 体格のわりに戦うことはせず、しかし幻術を多少なりとも扱うという。ヴァヴァロにはどうしても、テンメイがただの荷物持ちには見えなかったのだ。
「あやつは薬師じゃ」 
「薬師……お医者さんですか?」 

 意外な返答にヴァヴァロは目を丸くした。バドマは誇らしげな笑みを浮かべてみせる。 
「幼い頃から師のもとで修行を積んでおったそうでな。本人に言わせれば師には遠く及ばぬそうじゃが、あれでなかなか、腕の良い薬師じゃと妾は思っておる」 
「へぇぇ」 
「ああ、追いついたようじゃな。テンメイ──」 
 バドマの視線の先を追うと、ゴブリン族が煮炊きに使う広場にテンメイの姿が見えた。──正確にはテンメイと、そして人相の悪い男が二人。 
「おいおい、無視かぁ? お高く止まってんなぁ」 
「冷たいねぇ。見ねえ顔がいたから、親切にこの街の流儀を教えてやろうと思っただけなのによぉ。あぁ? 鱗のニィちゃんよぉ」 
 ──悲しいことだが、決して珍しいことではない。イディルシャイアに集まるのは気の良い人々ばかりではないのだ。なかには他都市で問題を起こした無法者が、流れ流れてこの街に辿り着く例もある。 
「ちょっと──」 
 仲裁に入ろうとしたヴァヴァロをバドマが押し留めた。驚いて振り返ると、バドマは鋭い眼差しで事の成り行きを見据えていた。 
「チッ、いけすかねぇ野郎だな。こっちが下手に出てりゃ調子に乗りやがってよぉ!」 
 男はテンメイに掴みかからん勢いだった。なおもバドマに肩を押さえられ、ヴァヴァロは困惑してしまう。 
「ちょっと あんたら なにしてる~!? 喧嘩するなら 許さない~! 争いごとは ご法度よ~!」
 天幕の奥で作業していたゴブリン族のラウドジョクスが、男の罵声を聞きつけ慌てた様子で駆け出してきた。咎める声に男はいっそう苛立ちを募らせたようだった。
「マスク野郎は引っ込んでろ! いまこの鱗野郎に俺様を無視するとどうなるか叩き込んでやろうと──」
 テンメイが一瞬、唇を引き結ぶのが、ヴァヴァロには見えた。
 ラウドジョクスをなだめるように押し留め、テンメイが悪漢に向き直るのと同時に、朗々とした声がその場に響き渡った。

「その者に何か用かえ」 
 ヴァヴァロを押さえていた手を離し、バドマはテンメイと男たちの間に割って入る。 
「ああん? 誰だねーちゃん」 
 バドマは男たちの下劣な視線を泰然と受け止める。 
「こやつの妻じゃ。夫に用があるなら妾が伺うが、何か用かえ」 
 男たちはきょとんと顔を見合わせた。一拍おいて弾かれたように下品な笑い声を立てる。
「こ、これはこれは! 奥様でいらっしゃいましたか!」
「ダセぇ、女に庇われてやがる!」
 腹を抱えて大笑いする男たちの顔を交互に見やり、バドマは薄く笑みを浮かべる。
「徒党を組まねば他者に物申すこともできず、おまけに品性下劣と見受ける。情けない男どもよの」
「──あァ?」
 男の一人から笑みがぴたりと引いた。
 バドマ、とテンメイが彼女を押し留めるように肩に触れたが、バドマはその手を軽く払うようにする。
「夫に手出しすることも、愚弄することも許さぬ。用ならば妾が受けようかと思ったが、貴様らのような小悪党の相手をするほど妾も暇ではない。その下賤な顔をとっとと下げよ。二度と我らの前に姿を現わすでない」
 いっそ尊大とさえいえるバドマの言葉に、ヴァヴァロはもちろん、ラウドジョクスまでもが呆気にとられてしまう。ただ一人、テンメイだけが深いため息をこぼした。
「おい、どうした。喧嘩か」
 ようやく姿を現したアルテュールの声に、ヴァヴァロははっと我に返った。
「ちょっと、なんでテンメイさんから離れたの」
「メシ買い足そうと思って店出してる奴探してたんだって。で、喧嘩なのか? どうしたんだアレは」
「テンメイさんがアイツらに絡まれて、バドマさんが──」
 小声でやりとりを交わしていた二人は言葉を切った。男の一人が大きく体を震わせたのだ。
「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがってよぉ……。ずいぶんと人のことを扱き下ろしてくれるじゃねぇか。俺ァ女だからって容赦しねぇぞ、あァ!?」
「──そこまで!」
 男がバドマの胸ぐらに掴みかかろうとするのを見て、ヴァヴァロは険しい声を上げた。
「なんだ、テメェ」
 割って入ってきたヴァヴァロを見下ろし、男は怪訝そうな顔をする。
「これ以上、騒ぎを大きくするつもりなら、スローフィクスたちに報告するよ。本当に街を叩き出される前に、さっさと退散したら」
「愛想のねぇ鱗野郎とクソ生意気な女の次はガキかぁ? どこまで俺をなめりゃ──」
「街から叩き出されたら、青の手と魔物が徘徊する土地をこそこそ逃げ戻るハメになるぜ。それでもいいなら止めねーけどよ」
 いつの間にか囲まれかけていると気づいた男は、ぎょっとして半歩下がった。
「テメェら、数で俺に対抗しようってか。何人でこようと──」
「あ、兄貴ィ……」
 すでに及び腰になっていた片割れの男が、蚊の泣くような声を出す。
「こいつら、よくミッドナイト・デューやモブハンターの連中と絡んでる奴らっすよ……! 相当の手練れなんじゃ……」
「あァ?」
 言われ、男はヴァヴァロとアルテュールの顔を見比べ、そして険しい表情のバドマとラウドジョクスを見やった。
「だ、だからなんだってんだ。二人掛かりならこんな連中──」
 言いながらも、男は怖気たようにさらに半歩下がった。
「チッ。こ、ここは引いてやらぁ。覚えてろよ、次に会ったら──」
「忘れないよ。顔はしっかり覚えたからね」
 ヴァヴァロに睨まれ、男は舌打ちすると、子分を連れそそくさとその場を後にした。
「子供じゃないってのー!」
 ヴァヴァロは逃げ去る背に舌をベッと突き出す。ひとつ息を吐くと、夫婦を振り返った。
「災難でしたね。たまにいるんです、ああいう柄の悪い連中が」
「なに。どんな場所にも少なからず悪辣な輩はおろう。このように発展途上の街ならばなおさらな」
「自由の都市は 近ごろ人でいっぱいよ~。いろんな人で 溢れてる~。悪党 善人 さまざまよ~。たまに揉めごと 起こっちゃう~。おちおちごはんも 作れない~」
 バドマの言葉に、ラウドジョクスは辟易といった様子で肩を落とした。
「本当にね。なにはともあれ、傷害沙汰にならなくてよかった──」
「テンメイ」
 ヴァヴァロの言葉も半ば、バドマは渋い顔をしているテンメイを振り返った。
「──貴様、男子の誇りとやらはどこへやったのかえ。悪漢程度、一人でも対処できると言っておったのは妾の記憶違いか?」
 バドマは男たちが消えた方向を指し示した。その瞳は燃え盛るような激しい怒りに満ち満ちている。
「あれほど愚弄されて黙っているとは何事じゃ! 男らしさとやらを豪語するなら、少しは毅然とした態度を見せてみぬか! 黙って言われるがままになるとは、情けないにもほどがあろう!」
 悪漢たちと対峙していた時よりも遥かに激しい口調に、ヴァヴァロたちはぎょっとする。

「……あの手の連中は目についた奴に絡みたいだけだ。放っておけばそのうち飽きてどこかへ行く」
 対するテンメイは淡々としたものだった。
「ほう。では、相手が飽きなければどうするつもりだったのじゃ。あのまま拳の一撃を見舞われるつもりだったのかえ? なお相手の気が済むまで耐えるとでも?」
「……さすがに身を守るくらいはする」
「どうかの。殺生を好まぬ貴様にどんな抵抗ができると言うのじゃ。男の、夫の矜持とやらを語っておきながら愚弄されるままとは、それが貴様の言う矜持か。その程度ならば、はじめから黙って妻に守られておればよい!」
「バ、バドマさん、落ち着いて……」
 ヴァヴァロは激昂するバドマの服を引いた。バドマはヴァヴァロの体を押し返す。
「下がっていてもらえぬか。これは我ら夫婦の問題ゆえ──」
「争いごとは もうやめて~! 喧嘩の仲裁 こりごりよ~! やめなきゃ外に 追い出すよ~! 夫婦喧嘩は 犬も喰わない~!」
 地団駄を踏むラウドジョクスの言葉に、バドマはぐっと唇を結んだ。テンメイをもう一睨みすると、ふっと視線を外し、ヴァヴァロたちを振り返った。
「……騒がせてしまったな。昼餉を取るところであったの。なにかこちらで用意できるものはあるかえ」
「あ、ああ。出来合いのものを買ってきたから、とりあえず公園あたりで一度腰を落ち着けようや」
 ヴァヴァロ同様、バドマの苛烈さに呆気に取られていたアルテュールは、慌てて買い足してきた食糧を示してみせる。
 ラウドジョクスに別れを告げ、改めて夫婦を案内しながら、ヴァヴァロはちらりと夫婦の顔を見比べた。双方とも剣呑とした気配を残してはいたが、ひとまず嵐は去ったようだった。
「ねえ、亭主関白の逆ってなんて言うのかな?」
 ヴァヴァロが小声で尋ねると、アルテュールは肩を竦める。
「さあ。女房関白じゃねーの」
 ヴァヴァロは小さくため息をつくと、またそっと二人を振り返った。
 ──彼女らと息を合わせて亡霊騎士を討てるかどうか、先行きが不安なヴァヴァロである。

 

「あたしたちが捜索するのは低地ドラヴァニアの西側、シャーレアン学士街です。学市街方面はアルテュールと何度か巡回したんですけど、なんだかんだで途中で引き返すハメになる日が多くて、まだ奥地までは行けてないんです」
 買い足した食糧を分け合って腹ごしらえを済ませると、ヴァヴァロは一同の前に地図を広げてみせた。まだ完成して日の浅い、公園の一角でのことである。
 放棄されて久しいシャーレアンの植民都市は、今や魔物の跋扈する廃都市に様変わりしている。同時に、放棄された遺物の数々は依然として価値があると、イディルシャイアの者やトレジャーハンターたちが日々、回収に励んでいるのだ。
 当然、魔物や、時に盗賊と遭遇することもある。戦闘を切り抜けるだけの腕があればよいが、中には這々の体で逃げ出すのが精一杯の者もいる。そこでヴァヴァロたち自警団の出番となり、魔物の討伐、遭難者の保護などを行なっているわけだが、すると今度は亡霊騎士の捜索が思うように進まない。結局、不本意ながらもシャーレアン学士街あたりの巡回に留まってしまう日も多かった。
「あの老婦の言のほかに、亡霊騎士に関する情報は?」
 バドマの問いに、ヴァヴァロは肩を落とした。
「イロアズさんの持っている情報と、最初の目撃者の言葉以外はなにも。本当にいるのかどうかも怪しいんですけど、いるならやっぱり、早く見つけて手を打たないと」
「まともな目撃情報が上がっていないわけじゃな。実在するのであれば、まだ巡邏していない場所に潜んでおるのか……」
「例の野郎の見間違えか、そうでなきゃ魔法で姿を隠しているか……。魔法に造詣の深い奴なら魔力の痕跡を感じるんだろうが、生憎、俺もヴァヴァロも魔法にゃ疎い。仲間と合流できるまでは地道に探すしかねぇな」
 言って、アルテュールは頭を掻く。魔法で姿を眩ませるだけでなく、もし全く別種の姿に変化──魔物の中には姿を変化させるものもあった──していれば、ヴァヴァロとアルテュールの二人で探し出すのは、ひどく困難になってしまう。
「こちらの方角には赴かなくてよいのか?」
 バドマが地図の東側を示してみせた。
「もしそっちのほうに現れたら、きっと青の手がなにか動きを見せると思うんです。そしたら青の手を監視してるショートストップのゴブリンたちから連絡が入るだろうし……。それに、陸路でイディルシャイアを目指す人はどうしてもそっちを通る必要がありますから、自ずと情報が入ってくるかなって。まずは学士街方面を重点的に探してるんです」
「ふむ、確かに妾たちも南東から北上してきたが、それらしき姿は見かけなかったしのう」
 ヴァヴァロは頷き、そしてふとバドマを見上げた。
「そういえば、ここまでの道中で、青の手に襲われたりはしませんでした?」
 青の手が支配下に置いている大工房アーキテクトン周辺は、高地ドラヴァニア方面からイディルシャイアを目指す者たちにとって避けては通れない地域であり、最大の難所だった。実際、青の手に襲撃される者の大半は、あの近辺で被害に遭っている。
「ああ、ちょっかいをかけてくる輩はいたな。なに、軽く追い払ってやったが」
「おお……」
 バドマがこともなげに言ってのけるので、ヴァヴァロは感嘆のため息をもらしてしまう。青の手を相手に遅れをとらない者が討伐に加わってくれるなら心強い。
「しかし、実在するかも分からず、姿を隠している恐れもあるとは、ちと難儀じゃな。妾も生憎、魔法の類には疎くてのう。そなたらの仲間とはいつ頃、合流できそうなのじゃ」
「たぶん、もう二、三日もすれば来てくれると思うんですけど、連絡を取ってみないと……」
 討伐の際にはフリーカンパニーの仲間──他にもリスキーモブを追う人々との連絡網もある──が駆けつけてくれることになっていたが、いかんせん、各々が請け負った依頼もある。必ずしも間に合うとは言い切れず、こればかりはこまめに連絡を取り合うしかなかった。
「そうだ、旦那は幻術は扱えるんだよな? なんなら──」
「ならぬ。先に申した通り、すまぬが捜索には妾のみ参じるぞ。テンメイには街に残ってもらう」
 ふと思いついたようなアルテュールの言葉は、バドマに即座に遮られた。
 肩を竦めるアルテュールを見て、テンメイは何を思ってか、しばし考え込んでから口を開いた。
「……気配を探る程度なら、もしかしたら」
「テンメイ」
 途端に顔を顰めたバドマを留め、
「いざ戦いになれば俺は離れている。彼らの仲間と合流できたら、交代で街に戻る。それなら危険も少ないだろう。それでどうだろうか」
 テンメイはヴァヴァロとアルテュールの顔を交互に見た。
「いいんですか?」
「戦力にはなれないかもしれないが、街の外でも簡単な怪我の治療なら担える。野営の支度も心得ているし、助けを呼びに街まで走るくらいなら、俺にもできる」
「ならぬ。お主は街で待っておれ。怪我でもされたら妾が困るのじゃ」
 なおも睨めつけてくる妻に、テンメイは軽く片眉を上げてみせた。
「ここまでも危険がないわけではなかったろう。それに何かあれば、守ってくれるんだろう?」
 バドマが言葉に詰まった。澄まし顔で言い放った夫にひとつため息をつき、観念したように首を振った。
「……わかった。その代わり、合流した際には必ず街に残るのじゃぞ」

 

『なーに、あんたってば。あんなに息巻いてたくせに、まだ見つけられないの?』
 各々が準備を整える合間、ヴァヴァロはフリーカンパニー用のリンクシェルで仲間たちに通信を入れていた。──そして最初に応答した者の言葉がこれ。ヴァヴァロは少しムスッとする。彼女──ファロロはいつも、ヴァヴァロにだけは言葉が辛辣なのだ。
「探してはいるんですけど、もしかしたら魔法で姿を隠しているかもしれなくて。ファロロさんたちはいつこっちに来られそうですか?」
 それでもファロロが頼りになる先輩であることには変わりない。つっけんどんに返しそうになるのをぐっと堪えた。なにしろファロロは熟達した呪術の使い手──黒魔道士なのだ。今回の捜索で、最も助力の欲しい人物だった。
『予定通りニ、三日後ってところね。イェンは呼んでみた?』
「ああ、イェンさんにはまだ」
『アイツがこんな昼間に起きてるわけないってー』
 陽気な声で茶々が入り、それもそうだね、とヴァヴァロも笑う。ファロロの相棒、ノギヤの声だった。
 くすくすと笑い合う娘たちの声のなかには、いかにも快活そうな青年の笑い声も混ざっていた。
『イェンさんなら、ファロロたちと同じ日に出かけたみたいだよ。行き先は不明みたいだけど』
「ミックはこっちに来られそうにない?」
 仲間内でヴァヴァロに次いで若手のミックは、ううん、と少し悩むようにした。
『行くつもりではいるけど、間に合うかな。こっちはこれから動くところなんだ』
 ファロロとノギヤ、そしてミックだけでなく、各々の都合で、どうしても足並みが揃わない時もある。こればかりはどうしようもなく、亡霊騎士の発見時に折良く合流できることを祈るほかなかった。
「わかった。こまめに通信するね。そうそう、それと。イディルシャイアで会った人と組むことになったんだ。合流したら紹介するね」
『あら、腕の立つ人だといいけど。どんな人なの?』
「バドマさんって言って、アウラ族の人なんですけど、弓が得意なんだそうです。旦那さんも一緒で、旦那さんはお医者さんで──」
『あれれー? ファロロ、また勝手に知らない人間を引き込んでー、とか言わないのー?』
 ヴァヴァロの紹介も半ば、いたずらっぽい声でノギヤがまぜ返す。途端、ファロロがムキになった声を上げた。
『いつまで昔の話を引っ張り出してくるのよっ。刺激を受けられる相手なら私だって歓迎するんだからっ』
 はいはい、と笑うノギヤに、ファロロはますます躍起になったようだ。『あんたが変な奴ばっかり連れてくるから』『最後はいつも私が苦労して』──捲したてる声に冷やかす声、それに合いの手まで入って、リンクシェルは瞬く間にてんやわんやの大騒ぎだ。
『──これこれ、喧嘩するでない』
「おじいちゃん」
 苦笑する声に、ヴァヴァロはぱっと笑みを浮かべた。敬愛してやまない、祖父アンリオーの声だった。じゃれ合っていた面々も言い合いをやめ 、口々に挨拶を交わす。騒がしかった通信が一転、和やかな空気に包まれた。
『いずれにせよ、ヴァヴァロや。無理はしないようにするんじゃよ』
 ヴァヴァロが亡霊騎士を追っていることは、アンリオーも承知のこと。決して容易い相手でないことも、この場の誰もが承知のことだ。それでも孫を信じ、とやかく言わずに送り出してくれた祖父を悲しませるのは、ヴァヴァロにとっても本意ではなかった。
「うん、無理はしないよ。約束する。おじいちゃんたちは大丈夫? ……大変じゃない? いつでも飛んでいくから、なにかあったら連絡してね」
 ヴァヴァロにしてみれば、アンリオーの身のほうがよほど心配だった。ただでさえ老いらくの身──光の戦士とともに征く旅路は、決して平易なものではないはずだ。
『なに、エミリア殿もおるからの。大事なかろうて』
『本当になんかあったらすぐ呼べよな。爺さん意外と無茶するからよ』
 アルテュールのぶっきらぼうな声が通信に入ってくる。そうだよ、とヴァヴァロが口を尖らせていると、くすくすと若い女性の笑い声がした。
『アンリオーさんが無茶をしないよう、しっかり目を配っておくから。安心してね、ヴァヴァロちゃん』
『エミリア殿まで』
 エミリアは仲間内で唯一の癒し手──白魔道士であり、そして星から光の加護を受けた光の戦士だ。エミリアと同じく超える力を持つアンリオーは、彼女と行動をともにすることが常だった。
『そうね。エミリアがついてれば心配無用だわ』
「エミリアさん、おじいちゃんのこと、お願いしますね」
『ああ、こりゃあ、参った参った』
 立つ瀬なし、とアンリオーは照れ臭そうに笑った。
『というか、エミリアもよ。くれぐれも気をつけて。無事に帰ってきてちょうだいね』
『うん、ありがとう。大丈夫、ちゃんと二人で帰るから』
 ファロロの言葉に、エミリアはあくまでも穏やかな調子を崩さない。
『あんたたち、冒険者稼業に精を出すのは結構だけど、たまには家の存在も思い出しとくれよ。ここのところ誰もいなくて、張り合いがないったらありゃしないよ』
『ごめんなさーい』
 刹那に静まり返った通信に、闊達な女性の声が響いた。フリーカンパニーが所有する家を切り盛りする、ケイムゲイムの声だった。船乗りを引退した夫とともに、一同の衣食住を一手に引き受けてくれる彼女には、誰も頭が上がらないのだ。
『──ヴァヴァロちゃんとアルテュール君も気をつけて。手強い相手だって聞いているから』
「うん、ありがとう。気をつけるよ」
 ひとしきり笑いあうと、エミリアは口調を硬くする。ヴァヴァロは自身の胸にも刻むように、リンクシェル越しに頷いた。


 フリーカンパニー用のリンクシェルとは別に、自警団とモブハンターたちのリンクシェルにも捜索に繰り出す旨を報告すると、ヴァヴァロは最後の支度に取り掛かった。
 古くなった戦化粧を洗い落とし、新しく描き直す。気持ち新たに事に挑む際の、ヴァヴァロだけの特別な儀式だ。
 施す模様は虎の柄。勇猛な虎の如く果敢であれ、そして精進せよと、自身に言い聞かせるために施すのだ。もっとも、ヴァヴァロは本物の虎を見たことはないのだけれど。
 こうして模様を施していると、ヴァヴァロは必ず、懐かしい父の言葉を思い出す。
 冒険者として家を留守にしがちだった父に、早く自分も冒険に連れて行ってほしいとせがむと、父は決まって『もっと大きくなったらな』と笑うのだった。では早く大人になりたい、と泣きべそをかくと、『泣き虫だと立派な冒険者になれないぞ』とよくからかわれたものだ。──そうして泣き腫らした自分の顔に、父がこの模様を描いてくれたのだ。

(知っているかい、ヴァヴァロ。東の地には虎という、とても勇猛な獣がいるそうだよ。父さんも本物を見たことはないが、黄色い毛並みに黒く美しい縞模様を持つ、猛々しい獣だそうだ。──さあ、これでヴァヴァロも強い子だ)
 もうあれから何年も経ち、きっと父が施してくれた模様そのままとはいかないだろうけれど。
 それでも構わないのだ。大事なのは、これが亡き父が与えてくれた勇気の出るおまじないである、ということなのだから。
「──よし」
 最後の一条まできっちり描きあげると、ヴァヴァロは心を一路、低地ドラヴァニアへと馳せらせた。

 


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